意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

2024-03-01から1ヶ月間の記事一覧

拳禅不二(『真正大成拳』より)

王選傑先生は実戦で武壇に名を馳せた大成拳の代表的人物であり、一代の拳学大師として、王薌齋の拳学を全面的に継承した上で、大成拳の科学理論と我が国の儒釈道などの伝統文化の精髄を結合し、創造的に「拳禅不二」の拳学理念を提起した。これを指針として…

林肇侖先生談試力

王老は試力は意拳の訓練の中で最も重要で、また最も困難だと言われた。 試力は一つの過程で、その目的は放人、打人、控制人を模索、研究することであり、重点は動作の内包を探求し、試力の深層の攻防の意義を探ることにある。 発力、試力は複製できず、毎回…

応怎様理解拳学中的「透」?(『大成拳学練300問』より)

「透」は王薌齋先生の論述の中で非常に多く出てくる。例えば、「指端力透電」、「透脊達背」、「風のように体を透す、堂を風が穿つようである」など、拳学の中にはさらに「練時は透功を包み、敵を放てば必ず空を飛ぶ。もし三要則を悉くすれば、功は自然に至…

衷心的敬佩 永遠的懐念 :回憶追随林肇侖老師学拳的日子

今年の3月20日は、林肇伦先生が逝去されて一周年になる日である。先生は武林のこの土地で、一生懸命に耕し、何世代もの弟子たちを育てられた。過去を振り返ると、先生と過ごした一つ一つの出来事が、はっきりと心の底に響いている。先生に付いて拳を学んだ日…

李見宇先生の著書『拳学之道神意求之 』

中国武術は博大精深であり、中華民族の伝統文化の中の宝であり、代々伝えられ、国民の尚武と習文の風は今に至るまで伝えられ、国と民に利があり、人類に福をもたらし、武術を習練し、拳学を研究することは中華民族の優良な風習である。私は祖籍が北京で、幼…

張樹新先生の著書『紀念于永年先生百年誕辰談意拳(大成拳)的「緊松」訓練』

筆者は意拳(大成拳)の大師王玉芳先生(王薌齋宗師の二女)の義理の子及び弟子であり、義母の委託を受け、筆者は何度も于永年先生の所を訪ねた。義母の話では、我々のこの一派は皆親しみを込めて于永年先生を于大舅と呼んでいる。 于老先生に会う度に、先生…

楊鴻晨先生の著書『春蚕食葉声:深切懐念于永年先生』

私は拳を学ぶ経歴の中で、幸いにも馬驥良と張恩彤先生の厳慈互済の教えを受けることができ、また王薌齋先生の他の弟子たちの無私の指導を受けることができた。その中で、私の身心ともに啓発を受けたのが于永年師叔である。 私が初めて于師叔に会ったのは1959…

于永年先生の著書『站樁進階:第一随意運動、第二随意運動』

第一随意運動 第一随意運動は凡そ現実的で、具体的信号、即ち第一信号系統を通して、直接各種感覚器官に作用する。工作筋に必然的、受動的な交互収縮運動または単独収縮運動を生じさせ、関節の角度を変化させ、それにより四肢の位置移動を引き起こし、循環、…

張樹新先生の著書『拳学真意:持環得枢』

「持環得枢」の理論は、意拳(大成拳)の功法における重要な構成部分である。王薌齋先生は拳学総綱の中で、「形松意緊で、潜能を発揮し、環を持って枢を得れば、機変は無形である」と提起した。 「持環得枢」とは、外部の「環」を把握することで、内部の根本…

勢的意義与作用(『大成拳核心訓練法』より)

「勢」とは、事物の発展に対する一種の描写である。事物が一定の程度まで発展し、定性的な傾向にある時、通常「勢」と称する。例えば、よく言う「勢力」とは、ある組織やある人々が持つ絶対的な優位性を指す。「勢不両立」は、二つの力が相互に対抗し合うこ…

大成拳視観功法(『大成拳学』より)

大成拳における視観功法の「視」とは、眼の視覚器官を使って外界の物や環境を見る練用功法の形式を指す。一方、「観」には観察の意味が含まれ、見るという意味だけでなく、察するという意味もある。察には、見る、気づく、感じるという意味があり、気づきを…

秘静克先生の著書『我向王薌齋先生学站樁』

1954年の間、長期の夜間労働が原因で、私の両眼は視神経萎縮になってしまった。当時、北京の大病院で積極的に治療を受けたが、効果がないどころか、徐々に悪化の一途をたどり、最後には左眼の視力が0.01、右眼が0.3になってしまい、やむを得ず仕事を辞めて長…

紀念先父王薌齋:王薌齋先生誕辰116周年講話

今日、私たちが一堂に会し、私の父——意拳創始者である王薌齋先生の116回目の誕生日を共に記念することができ、非常に感動しています。 まず、提案と多大なる支援をくださったアジア武術連合第一副主席、北京意拳研究会名誉会長の霍震寰先生に心からの感謝を…

姚承光先生の著書『姚承光先生談意拳推手』

1、推手実戦の際は、自分を虎だと想像しなければならない。精神を高度に集中させ、常に相手の攻撃に備え、心が粗く意が大であってはならない。虎に直面して、一瞬でも油断すれば命の危険に直面することを想像してほしい。 2、推手の際は、両手がまるでマムシ…

姚承栄先生の著書『意拳腿法』

意拳では技撃対抗時に使用する腿法は一般的に慎重である。腿の攻撃には一定の威力があるが、「抬腿半边空」ということを忘れてはならない。 意拳の腿法の力量も「形曲力直」の原則と斜面、螺旋、曲析三角力などから切り離すことはできない。一般的には相手の…

意念的運用与効応(『大成拳実用学説』より)

(一)意念運用有階段性 王老先生が意拳の名を取ったのは、後学の者にこの拳は「意」の拳中での作用に注意するよう提示するためであり、必然的に時と場所を問わず意念を離れることはできない、というのが一般の人の大成拳に対する理解である。実際はそうではな…

一想即止(『螺旋宝塔—崔瑞彬五十年体認如是説』より)

我々はすでに意念活動は手段であり、適切に止めるべきだと述べた。もし意念活動が目的に達したら、もはや意念活動を用いる必要はない。これは「一想即止」の道理である。 「一想即止」は意念活動の操作方法である。我々は站樁の過程で絶えず強調している。站…

趙道新先生の著書『道新拳論:樁法』

樁法活動は一歩一歩、低級から高級へと発展する。即ち、浅から深へ、片面からより多方面へと進む。站樁で得られる知識概念は、推理と判断の段階であり、整体の訓練、即ち拳術訓練の認識過程において非常に重要な段階であり、理性的な認識の段階である。それ…

器械(1)(『大成拳実戦教程』より)

一、器械正義 ある意味で言えば、真に伝えられた器械の使用は渾円力の隔点発力であり、その実質は手足の延長である。王薌齋は「もし拳の中の真理を得ることができ、各種の力の功能、階段面積の曲折、長短斜正の虚実、三段九節の功用、路線高低の方向、接触時…

対意拳発力関係至巨的「惰性力量」和「鼓蕩」(2)(『意拳浅釈』より)

次に、発力に極めて関係の深い「鼓蕩」について述べる。 「鼓蕩」という語句は、そのままの字義では形容詞的に用いられることが多い。例えば海水の激しい動きや、気流の波動を表す言葉として使われる。しかし意拳の文章では度々「鼓蕩」という語が出てくるの…

筋力六梢的訓練:站樁(『中国拳道・神意拳: 王薌齋原伝拳法』より)

勁を求め、筋力を求めよ! 易筋、易骨、易髄は唯、樁のみである! 『筋力六梢解析』の一節で述べたロープのA端とB端の理論によると、後天的に形成された六梢の運動に影響を与えたり阻害したりする肌肉の作用を取り除いてこそ、人体は六梢の整力を得ることが…

対意拳発力関係至巨的「惰性力量」和「鼓蕩」(1)(『意拳浅釈』より)

私は武術の道に関する知識は浅いが、その中に染まってすでに40年余りになる。しかし物理学における「惰性力量」という名詞によって、武技の理論を論ずるのは、恐らく薌齋先生に初めて聞いたのみである。 初めて「惰性力量」によって拳理を解述されるのを聞き…

気的有関理論(『形意大成拳』より)

形意大成拳の気の理論は、中国伝統文化の中の気功理論に源を発し、中国伝統武術と源を同一にしている。それらは主に以下のいくつかの面に体現されている。 まず、気功の発祥地は中国である。気功は中国で数千年の悠久の歴史を有している。儒家気功、仏家気功…

空(『大成伝習録』より)

空は身体に雑染がなく、周身に雑質がないことである。空は虚実ではない。またある人は、あなたの身についた功夫が非常に純正であることを空だと言う。空は一種の状態で、自然に練習すべきで、妄想でそれを探したり、考え込んだりしてはならない。一度考え込…

趙道新先生武学特色(『神州意拳』より)

拳術は非常に重要なことであり、非常に誠実でなければならず、その後で非常に得られるものがある(趙道新) 趙道新先生の武学体系は、常に「神龍の頭は見えるが尾は見えない(=神龍見首不見尾)」の形象で武林に現れ、その内在する精義を展開することができ…

浅談大成拳之遒放説(『走進王薌齋』より)

遒放は筋骨を非常に高い水準まで鍛錬した結果、人体に自然と現れる一種の状態であり、また一種の能力である。王薌齋老先生はこの状態と能力を遒放と呼んだ。王老先生は生前よく「放を欲すれば先ず遒せよ」とも言っていた。放人しようとするなら、まず「遒」…

論「縮骨発力」(『神州意拳』より)

意拳の発力は、俗に「爆炸力」とも呼ばれ、「驚抖力」とも呼ばれる。いわゆる驚抖力は、整体勁力の瞬間的な開合転換を条件とし、急速な起動と急速な制動の中で、力の吞吐と開合の相互転換を形成しなければならない。 急速な起動は、エネルギーを瞬時に集中さ…

技撃樁(『王薌齋拳学』より)

両腕を挙げて円を支え(=撑)、混元樁の姿勢を成し、その後身体を左側に約45度に傾けて斜めに向け、下肢もそれに従って側方に転じ、丁八字の歩型となる。また立正の姿勢から直接左腿を出し、その距離は自身の1歩半ほどで、歩幅の大小は前脚が自在に運動でき…

蓄力(『拳意図釈』より)

蓄力は試力を転化するための必経の道である。試力に初めて得るところがあれば、仮借した力と身体が呼応したことになり、これは将来意中の力の運用と施発の最も基本的な条件を備えることになる。拳を練習する人の多くは、站樁と試力の練習を経て、人と較べる…

単、双重(『走進王薌齋』より)

単重と双重は站樁練習における原則的な問題である。双重とは何か? 人体の各関節、各部位は対称的であり、例えば肩には左肩と右肩、肘には左肘と右肘、手には左手と右手がある。二つの対称的な関節と部位の動作が同じ、力の方向が同じ、力の大きさが同じなど…