意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

技撃樁(『王薌齋拳学』より)

両腕を挙げて円を支え(=撑)、混元樁の姿勢を成し、その後身体を左側に約45度に傾けて斜めに向け、下肢もそれに従って側方に転じ、丁八字の歩型となる。また立正の姿勢から直接左腿を出し、その距離は自身の1歩半ほどで、歩幅の大小は前脚が自在に運動できるのを原則とし、踏み出した後さらに左に約1歩の距離横移動し、両脚の歩型は丁でも八でもないため、丁八歩と名付けられる。歩幅が小さすぎると歩の霊活に影響し、歩幅が大きすぎると動転が不霊になるため、適度であることが肝要である。歩を定めた後、左膝は順勢で僅かに曲げて突き出し(=頂出)、左踵は僅かに地面から離れる。右胯根部は紙一枚か鉛筆一本を挟むように、左膝と前後に争う勢を形成する。その他の要領は全て混元樁に準ずる(図38)。

 

 

初めて技撃樁を習う際も、まず雑念を生じさせず、神光内蘊、あたかも明月の清らかな潭に塵埃が入らないようにすべきである。さらに進んでは、この姿勢で前述の混元樁で習った各種の意念と試力および螺旋運動を一つ一つ復習すべきであり、基礎があるため自然とすぐに習得できるだろう。さらに進んでは、牽掛の活動を練習し、自身が徐々に一つが動けば全てが動く整体運動を達成するようにすべきである。

自身の両手首の間にはゴムひもが繋がっていると想定し、意念でこのゴムひもを引っ張って伸ばしたり(=拉緊放長)、緩めて元の位置に戻したり(=松開回帰)する活動をする。さらに両手首の間にそれぞれもう一本ずつゴムひもがあり、頸椎の所に繋がっていると想定し、両手を引っ張りながら頸椎に繋がった2本のゴムひもを同時に引っ張って伸ばす。このようにして、頸椎と両手首の間に無形の拉伸と牽掛の三角形が形成され、意念に従って絶えず松緊活動を行う。熟練するまで練習したら、さらに以下の意念を一つずつ加える。前膝と後胯、頸椎と尾閭、前足と頸椎、後足と頸椎にそれぞれゴムひもが繋がっており、一つずつゴムひもの松緊訓練を行い、最後は意念を用いて各所に繋がったゴムひもを同時に引っ張って伸ばし、また緩めて元の位置に戻す。このように訓練を積めば、自然と一つ動けば全てが動き、一つ静止すれば全てが静止する整体の松緊の効果が得られるだろう。もし単純に意念で身体のある一部の肌肉の鬆緊活動のみを指揮して調整しても効果はない。

牽掛を行う際、意念中の各ゴムひもの繋がりによって、自身が一つの整体を形成する。そして意念中のゴムひもの松緊によって、形体が相対的に静止不動の状態でありながらも、同時に頸椎を上抜し、尾閭を下沈し、脊柱を後ろにもたれ(=靠)、前足を下に踏み(=踩)、後足を下に蹴り(=蹬)、前膝を前に突き出させ(=頂)、後胯を後ろに引かせ(=拉)、そして全身の肌肉群の松緊の交替運動を生じさせる。久しくして功を成せば、自然と全身の肌肉の連結と放長の訓練目的を達成でき、そして全身に高度の協調性と弾力性を具えさせ、徐々に新しい習慣動作と習慣の用力を養成することができる。自身が全身を牽掛して整体運動ができるようになったら、さらに外界と牽掛することができる。牽掛する際はまず各ゴムひもの連結を保ち、それから遠くの山頂や木の梢などの景物を見つめ、意念中でゴムひもの一端をそこに繋ぎ、もう一端を自身の手に(後に頸椎に変える)繋ぐ。遠くの景物を身近に引き寄せ、また元の位置に戻す意念の活動を運用し、同時に全身の各ゴムひもも松緊に従うべきである。功が深まれば脊柱や両肩などで争わないところはなくなる(図39~42)。

 

以上の訓練に熟練したら、臨戦意識の培養に入ることができる。しかし我々は知るべきである。喧嘩屋と清廉で大胆不敵な拳学者は全く異なる概念であり、命を賭けることが大無畏の精神境界だと考えてはならず、勇往邁進の英雄気概は一朝一夕で養成できるものではない。拳学の奥深い境地は功力の増長、実作経験の蓄積、拳学の見識、文化道徳の修養など数多くの要因の向上に伴って徐々に形成されるものである。そのため、実戦意識の初歩訓練は精神集中、勇敢無畏、全力を尽くすことを主とすべきである。日々を重ねて功が深まれば、さらに進んで神は霧豹のごとく、意は霊犀のごとく、「猛烈な馬が奔騰し、神龍が嘶く勢を具え……烈火が身を焼くほど切迫し、さらには青龍が振るい、稲妻が直接飛ぶような神気を有し……神助の勇があるようである。ゆえに物に遭えば、則ち神意が一たび交わり、天羅の網のごとく、逃れられる物はなく、雷霆が鱗甲を震わせ、雪霜が草木を厳粛にするようである」という境界へと昇華させる。

楊鴻晨『王薌齋拳学』逸文武術文化有限公司より