意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

王斌魁系統を読む

王斌魁先生(1915〜1993)は、王薌齋先生の後期の弟子で、「断手の王斌魁」として知られる方です。形意拳・八卦掌・太極拳・弾腿を経て1940年に入門し、実戦技撃(断手)に卓越した力を持つ一方、自著を一冊も残さなかった「沈黙の伝人」でもあります。没後は弟子の王安平先生が「意拳気功」から「渾円功」へと独自の体系を展開し、息子の王永祥先生は姚宗勲先生にも師事した二重師承の立場から意拳の再整理を行っています。

年代 出来事
1915年 生まれる
入門前 形意拳・八卦掌・太極拳・弾腿を学ぶ
1935年 全国第六届運動会武術器械比賽で第一名
1940年 王薌齋先生に入門
1946年春 姚宗勲先生・李永宗先生らとともに王薌齋先生に同行し柏郷の牡丹を再訪
1963年 5月、張鴻誠先生の王薌齋先生への「遞帖拜師」で見証師を務める。7月、王薌齋先生逝去
1987年 王安平先生が『意拳気功』を刊行
1991年 『斌魁先生授拳紀要』(王安平整理)成立
1993年 逝去(享年79歳)
1996年 王安平先生が「渾円功」に改名
2000年 王永祥先生『意拳普読』刊行(内部教材)

王斌魁先生の生涯

王斌魁先生は意拳に入る前に幅広い武術的背景を持っていました。形意拳・八卦掌・太極拳・弾腿を経て、1935年には全国第六届運動会で武術器械比賽第一名を得ています(中国側資料には「1936年」と記すものが多いですが、大会自体は1935年10月に上海江湾体育場で開催されたものです)。1940年に王薌齋先生に入門し、断手(実戦技撃)の名手として頭角を現しました。

王薌齋先生の弟子たちの特技を「趙道新の脆、尤彭熙の空勁、楊徳茂の推手、王斌魁の断手」と伝える一節が、『大成拳研究』誌の誌上論争に見えます(史鳳歧の投稿、1990年第3期)。伝聞の形で記された評ですが、断手すなわち散手の実戦において最も優れていたという評価です。

しかし王斌魁先生の人柄は、その実力とは対照的でした。王安平先生は「推手を好み散打を避けた」「相手を傷つけることを恐れた」と回想しています(『修真心語』所収「憶王斌魁先生二三事」)。断手の名手でありながら闘いを避け、黙々と站樁する人物だったと伝えられています。研究会の論争にも加わらず、著作も残しませんでした。この「与人争長論短せず」という姿勢は、資料が極めて少ない原因でもあります。

1946年春には姚宗勲先生・李永宗先生・楊徳茂先生とともに王薌齋先生に同行して柏郷の牡丹を再訪しており(楊鴻塵「王薌齋与白牡丹」『大成拳研究』1991年第1期)、王薌齋先生晩年に近い位置にいたことが窺えます。1963年5月には張鴻誠先生の王薌齋先生への「遞帖拜師」で見証師を務めています。

王永祥・王永立・王永忠の三兄弟は「京門三杰」と呼ばれました。王永祥先生は姚宗勲先生にも師事した二重師承の持ち主です。王薌齋先生の次女・王玉芳先生は王永祥先生について「永祥の身にはわが老王家のものがある」と語ったと伝えられています(『意拳普読』巻頭)。


王斌魁系の文献の性格

王斌魁先生は自著を一冊も残しませんでした。まとまった文章として残るのは、1991年に弟子の王安平先生が月日順の口述を内容別に整理した『斌魁先生授拳紀要』二百四十条余りがほぼ唯一です(ほかには晩年の短い談話記録「王斌魁先生談拳」が伝わる程度です)。この紀要の冒頭には「意拳気功弟子学煉中参考」という表記があり、「意拳気功」という語が王斌魁先生のもとでは使われていたことを示す一次資料でもあります。

したがって王斌魁先生を「読む」とは、弟子・王安平先生の著作群と息子・王永祥先生の内部教材に散在する言及を丹念に拾い集め、逆照射することで人物像を再構成する作業を意味します。太気拳の澤井健一先生と同じく、「誰が語る王斌魁か」を意識して読む必要がありますが、太気拳が多くの弟子の回想を持つのに対し、王斌魁系の中心的な語り手は王安平先生と王永祥先生の二人です。

当ブログでは意拳名家論文まとめの「王斌魁系統」の項に翻訳記事を掲載しています。


主要な著作

王斌魁先生の語録

『意拳大師王斌魁講拳語録』(授拳紀要、王安平整理、1991年)

王斌魁先生のまとまった一次資料としてはほぼ唯一のものです。二百四十条余りの語録を「拳学理論」「健身樁」「技撃樁」「試力」「発力」「力的運用」の六部門に分類して整理したものです。

拳学理論では「恭・慎・意・切・合」の五字訣と本能論が示されます(王薌齋先生の原典では「恭・慎・意・切・和」であり、「合」は王斌魁系での伝承です)。健身樁では「百練は一站に及ばず、万動は一静に及ばない」という格言と三円樁(神円・気円・力円)が出てきます。分量では試力(68条)と力的運用(117条)の二部門が特に大きく、試力部門には揉球式・蛇纏肘・三乗段階論(松静自然→均整充実→致用可能)など核心的な概念が集中しています。力的運用では「推手就是打」(推手はすなわち打である)「逢閃必攻、逢退必進」といった交手の原則が述べられています。

読む際の注意点として、これは口述を弟子が整理した語録であり、系統的著作ではありません。語の定義が厳密でない部分もあり得ます。当ブログでは全六部門の翻訳を掲載しています。

弟子の著作

王安平先生『意拳気功』(1987年、安徽科学技術出版社)

王安平先生の最初の体系的著書です。前言で王斌魁先生を「第二代嫡系伝人」と位置づけ、第三章から第六章では王斌魁先生から学んだ技撃樁と各種試力を実技的に解説しています。第七章では王斌魁先生の格言「百練は一站に及ばず」と「意即力也」を引用し、訓練哲学を示しています。王斌魁先生の教えがどう体系化されたかを知る基本文献です。当ブログでは技撃樁基本姿勢和要領ほか第三〜六章の翻訳を掲載しています。

王安平先生『修真心語』(1992〜96年、百花洲文芸出版社)

道教的修養論を軸にした三部構成の著作です。下部の修真漫談に「好拳師一生樁法も三二個に過ぎず」(名師の樁法はせいぜい二、三だ)、「平凡の中に異を求め、平常を練って非常を求めるな」(奥深さは平凡な練功の中にある)といった王斌魁先生の語録が散在するほか、巻末の重要附録として「憶王斌魁先生二三事」と「斌魁先生授拳紀要」を収録しています。「憶王斌魁先生二三事」は旱煙筒を持ったまま拳をかわす話、1976年に河南で器械を試した一夜の回想など、王斌魁先生の人柄とエピソードの最良の記述です。

王永祥先生『意拳普読』(2000年、内部教材)

王斌魁先生の二男・王永祥先生の唯一の単行本です。前言には姚宗勲先生が「王薌齋先生の拳論に依らず自分の言葉で語れ」と課した話、王玉芳先生の「永祥の身にはわが老王家のものがある」という発言があり、王斌魁系・姚系・王家の三者の証言が交差する珍しいテキストです。本文には王斌魁先生が「哲学を学べ」と指導した回想が出てきます。第八章「意拳健舞」では、王薌齋先生が北京・中山公園の社稷壇(五色の土を敷き詰めた祭壇)で「套路も方法もない、気ままに歩くだけだ」と述べた場面と、それを目撃した王斌魁先生が何年経っても「一メートル五六の老人が五色土の上を跳ね飛び…実に美しかった」と興奮しながら語ったという証言が記録されています。当ブログでは体内矛盾与体外矛盾的訓練の翻訳を掲載しています。

張東宝先生『大成拳築基功』(2006年)

王安平先生の弟子・張東宝先生による入門書で、站樁の原理(第一部)、修練哲学の随筆群(第二部)、練功問答(第三部)の三部構成です。王斌魁先生の揉球式が孫弟子世代で「球感」意識として概念化されている点に、教えの継承過程が見えます。当ブログでは四歩功法歩法身法「球感」意識の翻訳を掲載しています。

李照山先生

王安平先生に師事し、王選傑先生にも学んだ人物です。複数の著書と多数の記事があり、王安平先生・姚宗勲先生・王選傑先生の三系統の樁法を横断的に比較できる立場にあるため、王斌魁系の樁法が他系統とどう異なるかを相対的に知る手がかりになります。当ブログでは大成拳的内勁場談「入静」ほかの翻訳を掲載しています。

『大成若缺』(王建中先生講述・徐皓峰先生撰文、2011年)

崔有成先生(1945〜2008)の義弟である王建中先生の回想録で、作家・徐皓峰先生の撰文です。崔有成先生は王斌魁先生の弟子で于永年先生にも師事した人物であり、1950年代の北京武術界の空気と王斌魁系の人間関係が一人称で語られます。附録「王薌齋窍要談」を収録。当ブログでは義兄崔有成の翻訳を掲載しています。

金啓栄先生『意拳述珍』金啓栄先生訪談録

金啓栄先生(1951年生)は1965年に王斌魁先生に拝師した弟子で、姚宗勲先生・楊徳茂先生・王玉芳先生・于永年先生ら第二代伝人の指導も受けており、王斌魁系に軸足を置きつつ意拳全体を横断的に学んだ人物です。

『意拳述珍』は2008年の訪問記録(『武院』2012年1月号掲載)で、站樁から断手まで八部門を順に語っています。訪談録には王斌魁先生のもとでの修行の記憶が含まれており、王安平先生とは異なる角度から王斌魁先生の教えを伝える証言です。


王斌魁系の概念

王斌魁系の最大の特徴は、意拳の諸系統の中で最も気功統合方向に拡張した系統であることです。これは王斌魁先生自身の太極拳的背景と、弟子・王安平先生の展開の両方が重なった結果です。

三円樁(神円・気円・力円)

授拳紀要の健身樁14条に記録された王斌魁先生独自の体系化です。「円」概念は王薌齋先生の指導語にも頻出しますが、王斌魁系ではこれを「神円・気円・力円」の三円として定式化し、揉球式や「千変万化不離円」として訓練に落とし込んでいます。この三円が、第三代・王安平先生の「渾円功」(渾円力・抱円守一)への直接の前駆となりました。

ただし「渾円功」という体系名は王安平先生(第三代)の創出であり、王斌魁先生本人の語録には登場しません。「渾円力」の語そのものは授拳紀要に頻出しますが、王安平先生が独立の功法体系として立てた「渾円功」とは層が異なります。この区別は重要です。

「意即力也」

「意は即ち力なり」。王安平先生の『意拳気功』第七章「練拳練功中的主次」で「王斌魁老師は『意即力也』と言われた」として引用されている格言です。王薌齋先生の「意拳」の本旨を一言に凝縮したもので、姚宗勲先生もこの命題を三段階(用意不用力→意到力到→意力不分)に展開しています(姚宗勲系統を読む参照)。王斌魁先生の語録か王薌齋先生自身の言葉かの境界は、文脈によって曖昧になることがあります。

「気功」用語の許容

王斌魁先生と「気功」の関係は単純ではありません。楊鴻塵先生の『徳厚流光』によれば、1956年に王安平先生が「站樁は気功だ」と言った際、王斌魁先生は「站樁は気功では断じてない」と厳しく否定しています。一方、1991年に整理された授拳紀要の冒頭には「意拳気功弟子学煉中参考」と明記されており、少なくとも晩年には「意拳気功」という語を許容していたと見られます(ただしこの表記は編者・王安平先生による可能性もあります)。いずれにせよ、姚宗勲先生が1981年に気功協会の理事就任を拒絶したのとは異なる方向に進み、第三代の王安平先生が「意拳気功」→「渾円功」→「渾円養生」と展開する素地が生まれました。

この差異を「どちらが正統か」という論点にしないことが大事で、どちらも王薌齋先生の弟子として教えを受けながら、異なる社会的文脈で独自の表現を選択した結果と理解すべきです。

名称の変遷(読書の最大の落とし穴)

王安平先生の体系は、以下のように名称が変遷しています。

時期 呼称
1958〜1976年 「意拳」「大成拳」(王薌齋・王斌魁から継承)
1987年 「意拳気功」(初の体系的著作で独自呼称)
1992〜95年 「意拳気功」「大成拳」を併用
1996年春節 「渾円功」と改名宣言
2015年〜 「渾円養生」「渾円武学」の総合体系

これらは同一体系の異なる呼称です。知らなければ別の体系と誤解します。


他の意拳系統との違い

姚宗勲系との比較

最も鮮明な違いは「気功」への態度です。姚宗勲系は「站樁は気功ではない」を堅持し、王斌魁系は気功の統合を肯定しています。

試力の体系化にも差があります。姚宗勲系は六方向の争力に分解し、試力を七種以上に体系化しました。王斌魁先生の授拳紀要でも試力部門は大きな比重を占めますが、体系化の方向は異なり、揉球式・蛇纏肘といった具体的な形を通じて「円」の感覚を養う方向です。王永祥先生は「五歩功法」(洪水試力→前後争力→上下争力→左右争力→組合混元)として争力を段階的に教学する方法を整理しており、発想は姚系に近いですが方法論は独自です。

項目 王斌魁系 姚宗勲系
気功への態度 統合・肯定 完全否定
站樁の核心概念 三円樁(神円・気円・力円) 渾元力の六方向分解
理論の言語 太極拳的・道教的 運動生理学的
「渾元力」の語 授拳紀要内に「渾円力」が登場 「渾元力」として体系化
推手の位置づけ 「推手就是打」 推手から散手への段階移行

一方、1946年春に王斌魁先生と姚宗勲先生が共に王薌齋先生に同行して柏郷を再訪した事実が示すように、王薌齋先生晩年において両者は近い関係にありました。王永祥先生が姚宗勲先生にも師事していることも、両系統が根底ではつながっていることを示しています。

于永年系(養生系)との比較

両系統とも養生を重視しますが、方向性は対極的です。于永年先生は「站樁は気功ではない」を堅持し、「第二随意運動」「充氧運動」といった現代生理学の概念で站樁を再記述しました。王安平先生は逆に、気功を正面から取り込んで「渾円功」として体系化しています。養生を重視しながら気功への態度が正反対という、興味深い対比です。


代表的な伝人

王斌魁先生の教えは弟子ごとに異なる方向に発展しました。気功統合、理論化、実戦など「誰が何を担っているか」を意識して読むと、各伝人の著作の位置づけが明確になります。

王安平先生

王斌魁先生の最も著名な弟子です(1938年生、安徽省蕭県出身)。紅拳・査拳・華拳・少林拳・形意拳・八卦拳を先に学んだうえで意拳に入りました。1987年に『意拳気功』を刊行し、1996年に「渾円功」と改名宣言。南昌西郊の梅嶺に「中華武術気功渾元山荘」を建設しました。

理論面では、発力を整体力→爆発力→渾円爆発力の三段階に分け、意念誘導を皮下肌肉層通→内臓器官通→骨格節節通の三層構造として定式化しています。「養七練三」(養生七分・練功三分)の原則では、年齢と修練年数に応じた静功・動功の時間比率を具体的数値で示しており、王斌魁先生の「百練は一站に及ばず」を量的に展開したものと言えます。『修真心語』では道教的修養論を軸にさらに拡張し、特異功能を「小術」として肯定するなど、意拳の他の全系統と異なる独自路線を歩んでいます。意拳界の最周縁に位置しますが、王斌魁先生の教えを最も多く文字に残した語り手でもあります。

王永祥先生

王斌魁先生の二男です(1947年生)。姚宗勲先生にも師事した二重師承の持ち主で、『意拳普読』が唯一の単行本です。

理論の核心は「体内矛盾→体外矛盾」の訓練順序論です。まず自身の体内で矛盾(争力)を生じさせ、それを制御できるようになってから体外の対手との矛盾に進むという段階論で、これを「正本清源」(本を正し源を清くする)と銘打っています。この理論を実際の訓練法に展開したのが混元技撃樁の「五歩功法」(洪水試力→前後争力→上下争力→左右争力→組合混元)で、30年以上かけて整理・開発しました。毛沢東の矛盾論を拳学に応用するという発想は独特ですが、父の王斌魁先生が「哲学を学べ」と指導していたことと整合します。

金啓栄先生

1965年に王斌魁先生に拝師した弟子です(愛新覚羅・啓栄、1951年生)。兄の金啓庄先生とともに八卦掌名家・郭古民先生に先に学んでおり、王斌魁先生のほか姚宗勲先生・楊徳茂先生・王玉芳先生・于永年先生ら第二代伝人の指導も受けています。

王選傑先生の「七大功法」に「心法」を加えて「八大功法」とし、拳学理念を「自然・張力・本能」の六字に凝縮しています。発力の「争・拧・裹・采・提」五字要訣や、断手を意拳の最重要課程と位置づける姿勢は、同じ王斌魁系でも王安平先生の気功統合路線とは対照的な、実戦技撃に軸を置いた立場です。

崔有成先生

王斌魁先生の弟子で、于永年先生にも師事した人物です(1945〜2008)。王斌魁系と于永年系の交差点に位置し、系統の境界が曖昧になる実例です。義弟の王建中先生(于永年先生の弟子)は「渾円沖氧拳」を自創しており、于永年先生の「充氧」概念と王斌魁系の「渾円」概念の融合を試みたものと位置づけられます。

張東宝先生

王安平先生の弟子です(1955年前後生)。『大成拳築基功』のほか、『大成拳站樁養生之道』『意拳気功譚』『意拳気功大師王安平伝奇』など複数の著書があり、王安平先生の体系を最も多く書籍化した人物です。『大成拳築基功』では四歩功法(站樁→試力→発力→実作)という独自の入門体系を整理し、揉球式を「球感」意識として理論化しています。『意拳気功大師王安平伝奇』は神功・技撃・神医・弟子・修道の五篇からなる王安平先生の伝記です。

李照山先生

王安平先生に師事し、王選傑先生にも学んでいます。王選傑先生とは1990年に「大成拳養生功」を共同で創編した関係です。『大成拳核心訓練法』『大成拳精典探秘』『大成拳初学入門』など複数の著書があり、「大成拳」の名称を一貫して用いています。

理論的な特徴は「内勁場」概念です。站樁と試力を通じて発達する「自然力」と「内勁」が相互浸透して形成される力の場を「内勁場」と名づけ、站樁の修練を五段階(肌肉の松弛力→用意不用力→力意相逆→力意相随→空霊)に整理しています。複数系統に師事した経験から、三派それぞれの主要樁法と試力の特徴を横断的に記述しており、意拳内部の比較研究として他に見られない視座を提供しています。


どれから読むか

王斌魁先生本人

まず『意拳大師王斌魁講拳語録』(授拳紀要)をおすすめします。二百四十条余りの語録ですが、拳学理論(五字訣・本能論)→健身樁(三円樁)→試力(揉球式・三乗段階論)→力的運用(交手の原則)の順で読むと、基礎から応用への流れが把握できます。王斌魁先生本人のまとまった一次資料はほぼこれに限られるので、まずここを押さえないことには始まりません。

弟子の著作

人物像を知りたければ、王安平先生の『修真心語』所収「憶王斌魁先生二三事」が出発点になります。「断手の名手なのに闘いを避けた」という一見矛盾する人物像が浮かび上がります。

技術面では、王安平先生の『意拳気功』が体系の全体像を示しており、そこから技撃樁基本姿勢和要領試力応掌握的基本原則に入ると、王斌魁先生の教えを第三代がどう体系化したかが分かります。王永祥先生の体内矛盾与体外矛盾的訓練は、姚系にも師事した視点からの独自の整理です。義兄崔有成は王斌魁系の人間関係と空気感を伝える読み物としても興味深いです。

なお、王斌魁系統を日本語で紹介した書籍・雑誌記事は管見の限りほとんどありません。日本語で読める意拳資料の全体像は意拳関連書籍目録(日本語)を参照してください。

関連する他の著者

王斌魁系は王薌齋先生の拳学の一つの分枝です。源流の理論は王薌齋先生の著作を読むを、意拳全体の見取り図は意拳(大成拳)の流派を読むをご覧ください。姚宗勲系との比較に関心があれば姚宗勲系統を読むへ、太気拳との比較であれば太気拳(澤井健一系)を読むへ進むとよいでしょう。他の系統の中国側の文献は意拳名家論文まとめからたどれます。

王安平『意拳気功』

王斌魁先生の最も著名な弟子である王安平先生(1938年生、安徽省蕭県出身、1958年に北京で王斌魁先生に拝師)の最初の体系的著書です。前言で王斌魁先生を「意拳気功の第二代嫡系伝人」と位置づけ、著者が後に「渾円功」(1996年改名)、さらに「渾円養生」として発展させていく体系の出発点がここにあります。中央電視台・河南電視台での著者の意拳気功講座の放映に合わせ、全国の療養院からの資料需要に応えて編まれたという経緯が前言に記されており、1980年代の気功ブームのただ中で意拳が医療・気功の文脈に乗って広まった時代の空気を色濃く残す一冊です。

書名の「意拳気功」自体が、実は系統内で争点を含む呼称です。楊鴻塵・尹洪波『徳厚流光』によれば、王安平先生が「站樁は気功だ」と言ったところ、師の王斌魁先生は「站樁は気功では断じてない」と厳しく否定したと伝えられます。また本書の「意識それ自体が物質である」という路線は、後に『大成拳研究』1997年第3期で批判の対象にもなりました。本書を読む際は、意拳と気功・特異功能を正面から統合したのが王安平先生の独自路線であって、王斌魁先生や他系統を代表する立場ではないことを踏まえる必要があります。逆に言えば、その統合の論理を最も率直に読めるのが本書だということです。

  • 著者:王安平
  • 出版社:安徽科学技術出版社
  • 出版年:1987年

目次

  • 第一章 意拳気功概述
  • 第二章 樁功(健身樁/技撃樁)
  • 第三章 試力
  • 第四章 発力
  • 第五章 力的運用
  • 第六章 幾種特異功夫訓練
  • 第七章 練拳練功中的主次及練習者応知応会

全体の論理構造

本書の主張は一本の因果連鎖に集約できます。意識(意念誘導)が神経を鍛え、神経が気血を支配し、気血の充実が力量になる、という連鎖です。この連鎖の上に、治病→健身→技撃→特異功能が一続きの発展段階として置かれます。第二章の健身樁で病を治し(23の症例)、同じ樁功の意念を変えるだけで技撃樁になり、試力・発力を経て、最後は隔空掌などの特異功夫に至る。全七章は独立した項目の並びではなく、「四個階段三層功夫」という進度表で貫かれた一本の階梯として書かれています。この構造を頭に入れておくと、養生の記述と技撃の記述が同じ用語(麻・熱・脹、内視と仮借、松緊)で語られる理由が分かります。

主要な理論

発力の三段階――整体力・爆発力・渾円爆発力

第一章と第四章で示される本書の代表的な独自体系です。初級の力は整体力(一動全動の身体で打つ力)、中級は爆発力(整体力の基礎の上に肌肉が一瞬で収縮して出す力)、高級が渾円爆発力(四面八方への爆発的発力)とされます。さらにその上に「渾円力(超級力)」が置かれ、「意念で人を襲うとは実質的には外気を発して人を打つことであり、往々にして意が到れば気が到り、人は倒れる」とまで書かれます。この最上級の主張こそ他の全系統が否定するところで、王安平路線の分水嶺です。一方で、初級・中級の記述は「発力は力を用いず」「松紧運動の頻率が高いほど力量は大きい」など、意拳の一般的な発力論として読める内容です。

四個階段三層功夫――麻・熱・脹の進度表

樁功の全過程を四つの段階(不適応の初歩実践段階→功感が全身に及ぶ入門段階→疾病反応段階→理性認識・身体強壮段階)と三層の功夫(皮下肌肉通→内臓器官通→骨骼節節通)で示す、本書で最も詳細に書き込まれた理論です。進境の目印は麻・熱・脹の感覚で、第二段階では「気血上頭」の不快への対処法、第三段階では過去の病巣が反応として現れる「痕跡反応」の考え方が示されます。第三層の骨骼節節通は「洗筋易髄の功夫」とされ、道家の人仙・地仙・天仙の階梯に対応づけられるあたりに、本書の気功文献としての顔がよく出ています。この進度表は後の『修真心語』『渾円養生大講堂』まで一貫して用いられる、王安平体系の背骨です。

意念誘導の方法論――内視と仮借

意念誘導を内視(体内の麻・熱・脹を観る)と仮借(体外の物を想定する)の二本立てで整理し、病状別の仮借カタログ(高血圧には細雨が降り注ぐ意象、低血圧には気球が上昇する意象など)を提示します。注目すべきは伝統気功との切断面で、意守丹田を張三丰の「己が身に執着するは道にあらず」を引いて退け、周天搬運も線や点を守ると偏差を生むとして採らず、局部から全身へ発展する内視法を意拳の方法として立てます。仮借の心得として、一度想えば正しいが想い続ければ誤りだと説き、意念過重への戒めが本書全体を貫いています。巻中の健身樁三字経と69項の問答は、療養院での指導経験がそのまま文字になったような実用的な内容です。

気の理論――気を練ることは意を練ること

書名に「気功」を冠するとおり、本書は意拳の訓練を気の枠組みで読み直す試みです。第一章では気を三層に整理します。現代科学の酸素・二酸化炭素、中医学の元気・宗気・営気・衛気、そして気功の渾円気(体内を循環する気)と外気(体外に発放される精微物質)です。外気の実体は生物電・電磁波・微粒流・赤外線・紫外線を含むとされ、ここに冒頭で触れた「意識即物質」論への布石があります。

しかし著者は、気を練ることの本質は気そのものにはないと断じます。第七章で、気を練ることは実質的に意を練ることであり、練気は現象にすぎず練意こそが本質だと明言します。さらに、力と気を練るなら気を主とせよ、気と意を練るなら意を主とせよ、と二段の優先関係を示し、力→気→意という階層を立てます。気功の語を使いつつ、その実質を意識の訓練へ還元するのが本書の一貫した論理です。

気功としての具体的な訓練法は養気・収気・放気の三本柱で構成されます。養気は元気を培い蓄える段階、収気は人体・植物・自然界から有益な物質を吸取する段階、放気はいわゆる外気の発放です。第七章では放気より収気を主とせよと説き、放気を抑え収気と養気に重点を置くよう繰り返し戒めます。この三分類は王安平体系の独自概念で、姚宗勲系統が気を語らず、于永年が「站樁は気功ではない」とする立場と対照的です。意拳の各系統で気の扱いが最も大きく分かれる論点であり、本書はその一方の極をはっきり示しています。

試力と力の運用――争力の段階論

第三章は扶按式から鷹爪功まで16種の固定試力と脚腿・歩法の試力を仮借とセットで並べ、第五章は単推手・双推手の打法と散手(冷・絶・脆・快)を扱います。理論的な核は試力の九原則で、とくに争力を求める順序――まず四肢の間の争力、次に肢体と身体の間、前後、左右、四面力が揃って渾円力が現れ、さらに人と空気、人と地球の間の争力へ――という段階論は、渾元力を一挙にではなく積み上げで求める本書の行き方をよく示しています。遅いほうが速いに勝り緩やかなほうが急に勝るという原則や、単双重を避けるといった王薌齋先生由来の原則も、この枠組みの中に整理し直されています。当ブログで第二〜三章の中核部分を翻訳済みです(関連参照)。

養七練三――練拳練功の主次論

第七章は「何を主とし何を次とするか」を12対で論じる訓練哲学です。内功を主、静功を主(初年は静功8割)、慢動を主、練意を主、養を七分・練を三分。「毎日サンドバッグを打ち蛮力を使うのは自己消耗であり、養こそ蓄力である」という立場から、香港の武術家ブルース・リーを「練るのみで養わず、功夫は高超でも短命に終わった」と評する一節は本書の訓練観を象徴します。王斌魁先生の格言「意はすなわち力なり」が引かれるのもこの章で、力の大小は練功者の神経の興奮程度で決まり、意識誘導の積み重ねが力を練らずして自ずから力有りに至るという、書名の「意拳」の解釈がここで完結します。


印象に残った言葉

王斌魁先生は意拳気功の第二代嫡系伝人であり、王薌齋先生の入室弟子の中で意拳気功の精髄を深く得た傑出者である

初級の力は整体力である。一髪を引けば全身が動き、相手に触れるのは局部でも、発する力は整体の力である。中級は爆発力で、整体力の基礎の上に肌肉が一瞬に緊張して爆発する力である。高級の力が渾円爆発力である

王斌魁老師は言われた。「樁功は休息の中の鍛錬であり、鍛錬の中の休息である」

「意守」の二字は、練功者の思想・意識がすでに局限を受けたことを物語る。道家の張三丰は「己が身に執着するは道にあらず」と言った。「意守」は「執着」であり、意識が束縛を受ける。ゆえに意拳の樁功は丹田を意守しない

まず四肢の間の争力を求め、進んで肢体と身体の間の争力を取る。まず身体前後の争力、続いて左右。四面の力ができ、さらに四つの争力を取れば、渾円力が現れる。人と空気の間に争力があり、人と地球の間にも争力があるはずである

一度想えば正しい、想い続ければ誤り。一度想えば正しい、絶対にすれば誤りである

渾円爆発力よりさらに高級なのが渾円力であり、超級力とも呼ばれ、常に意念の中で相手を襲う。意念で人を襲うとは実質的には外気を発して人を打つことであり、往々にして意が到れば気が到り、人は倒れる

いわゆる気功とは、具体的な意識誘導のもとに身心を合わせて練る気血の運動である。気を練ることは実質的に意を練ることであり、練気は現象、練意が本質である

力の大小は身体素質のほか、鍵は練功者の興奮の程度にある。俗に「一人が死に物狂いになれば百人でも敵しがたい」と言う。意識誘導の結果、人の力量・敏捷さ・速度・柔軟性・耐久力が統一協調され、最大限に発揮される。かくして力を練らずして自ずから力有り、である


関連

武術(うーしゅう)1991年冬号

尚雲祥先生親伝 形意八式拳の技と撃 ――手去不空回、触れた所で発勁する

  • 登場する先生
    • 李文彬
    • 尚雲祥
  • 内容
    • 八式拳の歌訣と特徴(「手去不空回」の技法)
    • 「鶏形八式」は誤称であることの論証
    • 各式の動作・要領・実戦攻撃法
      • 鵠子入林・黒虎掏心・烏龍翻江・青龍出水
      • 烏龍撹水・熊坐嵩・白鶴亮翅・上歩拌翅・鷹鵠回頭

印象に残った言葉

技が多く動作が短いが、その短さの中に長さを含め、手を無駄に引き戻さないことは予想外に強い。鷹鵠回頭式を人は見たことがなく、その激しい勢いには鬼神も慌てるほどである(八式拳の歌訣)

動作の技撃作用を知り、技法で敵を制すことだけに満足しているようではいけない。それはただ小乗的な技だけである。さらに進んで練功と勁の追求を行い、形意拳の妙諦を会得しなければならない(李文彬)

(烏龍撹水の用法について)相手がどんな技で遮っても、また我の身体のどの部分に触れたとしても、この拳が発勁できさえすれば、相手は必ず打ち倒される

臂は体の力を借りて力を強め、体は臂の力を借りて発することができる。全身を一気に整えなければ達成できない(横跨歩肘打について)

或把或拳望着就是(把にせよ拳にせよ触れた所で打ち込む)(鷹鵠回頭の用法。拳経より)

尚雲祥先生が晩年にお伝えになった形意拳は、招法を強調しないことが特にそうである。しかしこれは武術において招法が必要ないという意味ではない(李文彬)

体内外矛盾争力与発力

矛盾は普遍的に存在する。歩くとき、足裏と地面のあいだに摩擦力があるから歩ける。車には加速度もあり、急制動もある。これらはすべて矛盾である。矛盾がなければ力はない。たとえば自動車の駆動輪が穴にはまると、アクセルを踏んでも駆動輪は空転するだけで、車は前へ進まない。矛盾がなければ力はないのである。

音楽には高低があり、調子があり、拍子がある。それらを運用することで美しい音楽が生まれる。絵画にも濃淡があり、円みと線があり、疎密がある。これもすべて矛盾である。自動車のタイヤを大きなナットで締めるのも矛盾であり、締めることで統一され、タイヤと車軸が一体となって安全に走行できる。

手の五本の指も同じである。親指は最も重要で、他の四本の指と対立を形成することで物を持ち上げることができる。矛盾の対立統一が世のあらゆる事物を構成しているのであり、これが真理である。

一つの物体が、同時に相反する方向の力を出す。一つの中心から相反する力が発し、互いに反しながら互いを成り立たせる。これが真理である。この真理によって、我々の身体は相争することで一体となる。我々の目的は身体を合わせることであり、争は意拳を練る手段で、合が目的である。合一した後には争力はなくなる。この時に生じるのが、訓練の中で思想が昇華した一致性である。身体は相争によって一致性を形成し、身体全体の質量感を大きくする。では功力とは何か。身体という物質に速度を加え、外界に対する打撃の強さを増すこと、これが功力である。

体内矛盾の試力を行う前には、まず養生樁を行い、心身を静かに落ち着ける必要がある。意拳は非常に細やかなものであり、地道で静かな状態でなければ、意拳の哲理と功法の味わいを体認できない。

第一の基本功法は「轟水試力」と呼ぶ。両手を身体の両側に置き、前脚と後脚で半丁半八の形を取る。前脚の踵を上げる。両脚の間に一本の隙間があると想定し、重心は前三後七とする。身体で腕を導くように前方へ動かし、両脚の間の隙間をゆっくり開いていく。重心は前三後七から前五後五へ移る。

前へ行く時は地面の隙間を開き、戻る時はその隙間を再び閉じる。戻る時は、前脚を前方へ押し出すことで重心を後方へ移す。すると前脚の足裏と足指が下へ押さえ、開いた隙間を合わせて閉じる。

こうして前脚と大地の間に非常に強い摩擦力が生まれ、足と大地が粘着する。これが中国武術で言う「根」である。根があるかどうかは、試してみれば分かる。哲学的に言えば、これも矛盾の対立統一である。この功法は左右の脚を入れ替えて行う。

この功法は、ナノメートルほど微細な動作にまで到達させる。空気中に漂う微粒子ほど小さな動きにしても、身体はなお動き続けている。この時、重心は三七のままで、外からは動いているように見えないが、実際には内部で動いている。

こうした訓練によって、足は地に落ちれば根を生じるようになる。これは将来の発力にとって非常に重要である。根本を立て、基礎を築き、根を大地に生じさせるのである。一定期間訓練すれば、足が着地した瞬間に大地と粘着する。どのような歩法でも、足が着地するたびに根が生じる。

歌訣は「欲求渾元気充足、轟水試力最為先。樹本立基根生地、再把六面争力添。三個争力要単做、然後組合出渾元」(渾元の気を充足させるには、まず轟水試力を第一とする。根本を立て基礎を築けば、根は大地に生じ、さらに六面争力を加える。三つの争力はまず単独で行い、その後に組み合わせて渾元を生み出す、の意)である。

前後争力を行う。足下は轟水試力の基本功法のままで、大地との強い摩擦力によって根がある。手を胸の前に上げ、自分の腰帯を引くような感覚で前方へゆっくり動く。重心は前三後七から前五後五へ移る。この動作では、手が腰帯を引き、後腰との間に争力が形成されるので、手と身体が一致する。一致とは相合である。

この道理を理解したら、腰帯が手の位置まで延長されていると想定する。動作は非常に小さい。相争することによって相合するのである。これも左右の脚を入れ替えて行い、ナノメートルほど微細な動きにして樁法とする。外形は極めて小さく、動いているように見えないが、実際には内部で動き続けている。

すべての試力法は、一つの樁法でもある。樁法は活きたものであり、ただそこに立って動かないものではない。この点を理解しなければならない。

上下争力を行う。手が重い物を支えているように感じると、足下も重くなる。手と脚の間に強い連結の意識が生じる。手で小さな円を描くように、上へ、前へ、下へと動く。手が重い物を支えているので、脚下と上方との間に争力が形成される。これもナノメートルほど微細な動きにして、樁法とする。

左右争力を行う。これは旋転の動作であり、足下の前後の分け方も変わる。左脚が先になる時は左へ旋転する。手を身体の両側に置き、両手の間に伸縮する帯が張られているように想定する。相争しながら旋転し、重心は前三後七から前五後五へ移る。旋転しながら隙間を張り開く。二つの脚は反対方向に旋転し、そこにまた矛盾が形成される。両手は相争しているので、一方が一寸動けば、もう一方も一寸動く。これも左右の脚を入れ替えて行い、ナノメートルほど微細な動きにして樁法とする。

六面争力を統合する。上下・前後・左右の三つの争力を同時に行う。上へ一つ提げれば上下争力、前へ一つ推せば前後争力、先頭の脚の方向へ包み込むように回せば左右争力である。上下・前後・左右を同時に行うことで、六面三維の立体構造が形成され、さらに丹田から身体内部全体に圧が加わって、渾元が形成される。

体内矛盾を完成した後、体外矛盾を行う。まず前後の体外矛盾をゆっくり行う。前方へ推す力があり、同時に後方へ引く力もある。前に推す時、後方にはなお引く力がある。後ろへ靠る時、手先にはなお前へ引く力がある。これは双重の力であり、体外矛盾である。身体全体が一つにまとまった後は、身体内部はすでに統一されている。その上で、身体と外界との矛盾を行うのである。

左右の体外矛盾を行う。左へ行く時、右手はなお重い物を引いている。右へ行く時、左手は反対方向に重い物を引いている。ここには主動面と被動面がある。主動面には抵抗があり、被動面には引く力がある。

上下の体外矛盾を行う。上へ行く時、上方には抵抗があり、下方には引く力がある。下へ押す時、下方には強い抵抗があり、上方には引く力がある。主動面は抵抗であり、被動面は引く力である。これも双重の力である。

前後・左右・上下をすべてナノメートルほど微細な動きにすると、体外の微細な功夫となる。全身をそのように微細化すると、身体全体が空気の中に嵌め込まれたようになる。周囲はすべて空気であり、自分の身体がその空気に嵌め込まれている。これが体外矛盾の技撃樁である。

王薌齋先生は、神・形・意・力の四者が高度に合わさることを説いた。周囲のすべてと強い粘着感を持つのである。

発力の練習を行う。体外矛盾の技撃樁を完成した後、発力の練習に入る。まずゆっくりした動作から始め、意識の中の力感を少しずつ強める。やがて外に本当に力があるように感じられるまで行う。

声を少し出すのは、丹田が増圧する感覚を理解してもらうためである。発力の瞬間、丹田は実円となり、直後に松円・長円へ戻って、人の常態に復帰する。

脚は前述の功法を通じて、すでに大地に根を生じている。足下の力、つまり整体としての大地からの反作用力に、丹田の高圧が加わる。これが発力の二つの力源である。後脚が大地に対して生む反作用力、前脚が深く地に入る力、さらに丹田の高圧が一つになる。

慢発力で一度停頓した後、力の波がさらに外へ揺れ広がっていく。左への発力も同じであり、身体の旋転によって大地の反作用力と丹田の高圧を用いる。上方・下方への発力も同じである。

最後は速度を上げ、連続して発力を行う。

車毅齋論形意拳(『拳意述真』より)

形意拳の道は、中庸の道に合する。その道はまっすぐで偏りがなく、広大で、このうえなく易しくこのうえなく簡潔であり、偏らず寄りかからず、調和しても流されず、あらゆる現象を包み、万物のうちに現れて欠けるところがない。これを放てば天地四方に満ち、これを収めれば内に深く収まる。その味わいは尽きることがなく、すべて実学である。ただし、最初に学ぶときは、まず一派を学び、その一派の中でも一つの形に専念して学ぶべきである。学んだら折にふれて練習し、すでに熟してから、さらに他の形を学ぶ。各形が十分に身についたら、さらにそれらを一つにつなげて習う。そこまで練り込むと、全身のさまざまな形の式は、一形が一手の式のようになり、一手が一意の動きのようになり、一意が虚空から発するかのようになる。したがって、拳を練り学ぶ者は、虚無から起こり、虚無に還るのである。この境地に至れば、形意も、八卦も、太極も、諸形はすべてなく、万象はすべて空であり、混混沌沌として一つの渾然たる気だけがある。どこに太極があり、どこに形意があり、どこに八卦があろうか。したがって、拳術を練る要は形式にはなく、ただ神気が円満で欠けるところがないことにある。神気が円満であれば、形式が方であっても動きは滞らない。神気が不足すれば、形式が円であっても動作は自在に働かない。拳経に「徳を尚び力を尚ばず」とあるのは、意は神を蓄えることにある、という意味である。神意を用いて丹田に合わせ、先天真陽の気を全身に巡らせて働かせれば、細かなところまで行き届く。応用に至っても、どこにもそれがあり、いつでもその通りである。いわゆる、あらゆるものに太極があり、あらゆるものに陰陽がある、ということである。『中庸』に「鬼神の徳たるや、それ盛んなるかな。これを視ても見えず、これを聴いても聞こえず、物に体現されて欠くことができない」とあるのも、またこの拳の意義である。したがって、拳術を練る者は、決まった形や方法(成法)に固執してそのまま応用してはならない。成法とは、初めて入門する者に教える規則であり、それによって人の気質を変化させ、知識を開き、心性を明らかにすることができる。これは後天の気質を化し除いて、先天の気に復させるためのものである。虚無に至った時には、体というものもなく、用というものもない。拳経に「静を本体とし、動を作用とする」とあるのは、体用一源であることを言う。体用を分けて言えば、体については、行止坐臥、一言一黙、どこにあってもその道を得ないことはない。用については、可もなく不可もないのである。

私は若い頃、血気は十分に盛んで、力も強く、法術もかなり多く覚え、用い方にも熟して速かった。人と相較べるたびに、相手の形式を見て、この手法を用いればちょうどよいと判断した。技術の浅い者に対しては、相手の一気の先を占めて、往々にして勝った。しかし技術の深い者に出会うと、その身式を見て、この手法がやはりちょうどよいと判断しても、いったん相手の身辺に至れば、相手はすぐ式に随って変化した。自分の旧力はまだ尽きておらず、新力はまだ生じていない。さらに手法を変えようとしても間に合わないことが多く、ひとたび進退が自由でなくなると、その相手に敗れたのである。

その後、長く功を用い、ある日突然、豁然として貫通すると、それまで身につけていた体式や技法上の身構えをすべて脱ぎ去った。そこで初めて、以前練っていた体式はすべて血気であり、用いていた法術は成規にすぎなかったと悟った。以前の用法は、その中間にいずれも間断があり、手を連ねて変化させることができなかった。これはすべて後天の働きが主となり、中和を得ていなかったためである。

昔年、ある先生がいた。同じく拳を練る人で、私のところに来て雑談をしていた。彼は自分の血気の力が十分であることを頼みにして、この拳の道理を理解しておらず、内心では不服に思っていた。私はその時ちょうど顔を洗っており、しかも洗面の姿勢にはすべて騎馬式を用いていて、彼には注意を払っていなかった。ところが彼はふざけようとして、立ち上がり、足で私の後ろ腰を蹴ろうとした。彼の足がまさに私の身辺に届き、触れるか触れないかという時、私はまったく予期していなかった。たとえるなら、静坐の功夫で丹田の気が初めて動く時、心中の神意知覚がただちにそちらへ接応するようなものである。この時、物が来れば神が知り、私は神形合一となり、身体がひとたび起こると、腰の下で何かがぶつかり弾き出されたように感じた。振り返ると、彼は一丈あまり(約三メートル)も飛ばされ、体を平らにして地面に倒れていた。私は事前に、彼がどこから来るのかをどうして知り得ただろうか。また何の法で応じたのかも、知る由がなかった。これこそ拳術が無意の中で奮い起こす神力である。至れるかな、信なるかな。拳経に「拳に拳なく、意に意なく、無意の中にこそ真意がある」とある通りである。

ここに至って拳術とは、無形無相・無我無他であり、ただ一つの神の霊光があって、奥深く妙なるものとして測り知ることができないのみである。拳経にこう言う。「混元一気によって、わが道は成る。道が成るとは、五つの真形にほかならない。真形の内には真の精神が蔵されており、その神が気の内に蔵されることで丹道が成る。もし真形とは何かと問うなら、まず真なるものを求めなければならない。真形を知りたければ、その真相に合しなければならない。真相と合すれば、そこに真の秘訣がある。真の秘訣が道と合すれば、徹霊を得る。霊根を養いつつ心を動かす者は敵将であり、霊根を養いつつ心を静める者は修道である。武芸がいかに真であっても、肝心の竅が真でなければ、どれほど心機を費やしても空しく精神を労するだけである。祖師が残したこの真の妙訣、それを知る者が伝授するには、受ける人を選ばなければならない」と。

王紅宇大成拳訪談録

(聞き手)王老師、最近多くの記事を読んだ。丹道や中華武学、さらには西洋のボクシングや格闘技でも、呼吸を非常に強調している。呼吸は確かに重要だと感じる。呼吸について、最初からどのような段階があるのか、話していただきたい。

(王紅宇)多くの大成拳を練る人がこの問題を知っている。大成拳の最初の段階では、自然呼吸を求める。気を丹田に沈めるとか、意で気を導くとか、これらは正しくない。他の人にはもっと良い訓練方法やもっと高明な方法があるかもしれないが、われわれはよく知らない。呼吸は最初は自然呼吸で、たとえば站樁を一年ほど続けて非常に真面目に練っていると、站樁の時に気が足りなくなるのを感じる。普通の人は息を吸って吐けばそれで足りており、さらに深く吸い込む必要はない。しかし站樁を通じて、肺まで吸っても足りないと感じるようになると、そこで初めて呼吸を少しずつ深める訓練が出てくる。そうすると、気がはっきりと身体に届く感覚が出てくる。

さらに筋骨の強化訓練を通じて、なぜ王薌齋老先生が「毛孔で呼吸する」と言ったかが分かる。何か方法があって毛孔で吸って毛孔で吐くということではない。それは站樁が一定程度に達して身体の筋が開かれ、各筋が大量の気と酸素を必要とし、通常の呼吸では足りなくなった時に、自然に毛孔からも入ってくるということである。身体が必要とする時に初めて生じるのであり、何か意念や方法で練り出すものではない。中国武術のすべてにおいて、力も今後の技撃も推手も、すべての動作は自然に出てくるものである。拳の勁も自然に出てくるのが最も良い。

(聞き手)師傅、質問がある。多くの功法では站樁は過度にしてはいけない、楽にやるべきだと言うが、私が站樁をしている中で、非常に痛い、大筋が引かれる時は本当に痛い、さらには骨や関節も痛いのだが、この痛みについて教えていただきたい。

(王紅宇)站樁は必ず痛みを伴う。站樁が楽で力が出るなら、それは正しくない。楽で力が出るというのは結果であるべきだ。站樁して動かずに立っている状態で、上下前後どこにでも発力できる時に初めて楽で力が出ると感じるのであり、非常に楽に一日站って楽しいということではない。痛みについて言えば、筋を張り開く時は必ず痛い。

(聞き手)大成拳は形意拳から発展したものとも、脱胎したものとも言われるが、どう違うのか。

(王紅宇)最も重要なのは、われわれの大成拳は老先生の意拳、古い形意拳の流れを受けたものであり、真に伝統的な練習方法であるということだ。この樁も、老先生は当時このように站っていたはずだと私の老師・王選傑は言っていた。発力については、私は発力は空を打つものだと感じており、実を打つものではない。だから発力はボクシングや散手と同じ類のものだが、中国武術の特色がない。中国武術は完全に筋骨の力量であり、筋骨皮肉の全体的な鍛錬である。局部の力量ではない。

われわれが今練っているものは、王選傑老師が教えてくれたもので、完全に形意拳から来ている。私個人としては大きな変更はないと考えているが、現在流通している形意拳とは確かに異なる。

形意拳を練る人たちは站樁の時間がそれほど長くなく、主に三体式をやっている。站樁の時間は確かに長くない。彼らは站樁を主とはしていない。站樁は非常に重要だが、動く中で得られるものも非常に重要だ。一生站樁だけで十分ということではない。しかし老先生は、入門の初めにはまず三年站樁すべきだと言った。

初級段階では一つの樁で十分だ。一つの樁で非常にうまく身体の勁の変化や筋骨の力量を体得できる。多くの樁を同時にやると、すべてを良くするのは非常に難しい。だから大成拳の練習には各種の樁があるが、最も基礎的な段階では一つの樁、多くても二つで十分である。

(聞き手)私は以前散手の選手だった。散手と大成拳の違いについて話していただきたい。

(王紅宇)散手も一つの体力運動である。機敏性と対抗性は非常に強いが、それが中国武術の全体を代表するとは言えない。中国武術の全体の発展過程は、最初の一拳一腿から次第に動物の特性を加え、さらに筋骨の鍛錬へと進んだはずだ。しかし現在はまた退化して一拳一腿の段階に戻っている。筋骨の訓練がなくなっている。

散手は主に速度と力量だ。速度が速い方、力が大きい方が勝つ。体重別である。しかし、速度が速いと言っても、世界中にジャブの速い人はいくらでもいる。一日百回練る人がいれば、一日三百回、五百回練る人もいる。五百回の方が百回より確実に上だ。

武術は実を打つものであり、散手は虚、つまり空隙を打つものである。散手は空隙を打つので、水準の低い相手には簡単だが、水準の高い相手との対抗では虚を打つのは非常に難しくなる。

(聞き手)伝統武術は手袋をつけるとリングに上がれないと言われるが、どう思われるか。

(王紅宇)完全にそうとも言えない。虎に口輪をつけ、各爪に手袋をつけて、爪を出せなくすれば、それも問題だ。散手と拳術にはもう一つ違いがある。当時の老先生が言った散手の力は、煉瓦を叩き割るような一発の力である。目標に拳が到達した後に力を発するものである。しかし今の散手選手は三拳出して三つの実点があると言える人は非常に少ない。間は空隙であり虚で、一つしか力を出せない。

大成拳や中国の伝統武術は、どの門派でも武術である限り、各点の中で制御できるか、各点で力を発せるかが問われる。

だから大成拳は違う。出拳の各点で力を発せる。大成拳では、抵抗がかかると、それに応じて自然に力が出る。相手が圧迫すればするほど力は大きくなる。もちろんこれには非常に長い時間の鍛錬が必要である。

(聞き手)大成拳でグローブをつけてリングで現代の優秀な散手選手と対抗できるか。

(王紅宇)できないことはない。しかしそれは訓練の強度による。中国武術は必ず非常にゆっくりと練るもので、長い過程である。だから私は広告にも、王道に近道はなく、大器は必ず晩成するものだとはっきり書いている。中国武術に速成はありえない。速成があるなら他の人もできる。さらに武術で最も重要なのは人の生理を変えることだ。骨が折れて固定しても最低三か月はかかる。武術がどうして速成できるだろうか。

(聞き手)散手を練ってから大成拳に移った場合、三年站樁すれば散手の専門訓練の人に勝てるか。

(王紅宇)本当に三年站ったとしても、専門訓練を積んだ散手選手を相手に、簡単に勝てるとは言い切れない。ましてグローブをつけて打つなら、なおさら長い時間の発展が必要である。身体の筋を無限に引き伸ばし、深層の血液循環が生まれ、骨の中の滋養の通り道が整っていかなければならない。老先生が言った骨は、練って太くするのではなく、重くするのである。長期間かけて筋を無限に引き伸ばす。老先生は、巨大な蟒蛇が身を翻すようなものだと言った。蟒の動物としての特性は、筋が非常に長いことにある。

(聞き手)站樁で一番大きな変化は何か。

(弟子の発言)以前は部隊で偵察兵をしており、体力訓練やボクシング、散手などにも接触したが、以前はそういった訓練の後は身体が非常にこわばり、肌肉の訓練の後は非常に疲労感があった。站樁の後は、站樁中は非常に辛く痛いが、站樁を終えると非常に快適である。最も顕著なのは大筋の引き伸ばしである。前腕、前胸、背中、さらには脚の筋がすべて繋がって、まるで何かで全部を貫き通したようだ。これがおそらく昔から言う「筋腱の連結」である。筋の痛みが過ぎた後には関節の骨が痛み、さらには大きな骨も痛む。この痛みは非常に耐え難い。これがおそらく伝統武術が失伝する原因だろう。多くの人がこの苦しみと寂寞に耐えられない。われわれの訓練は毎日七、八時間である。一般の人はこれほどの寂寞に耐えられない。しかし最大の感覚は、以前よりずっと力があることだ。しかもこの力は以前の腕立て伏せや懸垂やバーベル挙げの力とは異なる。この力を梢節に放つことができ、以前とはまったく異なる。

(王紅宇)痛みは正しい。身体が痛くなければ、関節が痛くなければ、筋が痛くなければ、力は生まれない。力の源は、中国武術でいう筋・骨・皮にある。

(聞き手)寸拳と伝統武術の整体力は区別があるか。

(王紅宇)それは一種の簡単な協調力だ。身体の協調と肌肉と素質に頼る衝撞の力である。武術はそういう力ではない。武術は筋骨の弾抖の力だ。

(聞き手)散手選手がこの整体力を学びたい場合、大成拳の訓練を取り入れることはできるか。

(王紅宇)散手をやめない前提で、大成拳の站樁を加えることはできる。それは虎に翼を添えるようなもので、伸びはかなり早いはずである。ただし大成拳の力を本当に打ち出すには、長い時間の鍛錬が必要である。今テレビで散手の試合を見ると、外形は非常に整って見えるが、どこか打つ前に片手を背負っているようで、蹴る時も手を抱えたまま蹴っているように感じる。中国武術は本来そういうものではない。王薌齋老先生は痩せていたし、速さや衝撞力に頼って人に勝つタイプではなかった。

(聞き手)散手選手が大成拳を学ばず、站樁もせず、直接実戦や試力だけをするのはよいか。

(王紅宇)それは不可能だ。大成拳で勁を養い出す方法、力を養い出す方法は站樁の一つしかない。直接試力をしても、ただ二本の腕を振っているだけだ。優秀な舞踊演員を見つければ、動きはすぐにきれいにできるが、功夫がない。功夫はゆっくりと練り出すもので、絶対に急にはできない。

(聞き手)散手を学びながら伝統武術も学び、站樁をせずに直接実戦をすることは。

(王紅宇)それは絶対に不可能だ。今練っている力は武術の力量ではなく、素質と速度に頼っているだけだ。武術の最高の境地ではない。速度が速いと言っても、動物界を見れば猿はもっと速い。しかし実力で言えば、虎が一撃すればそれで終わりだ。だから武術は格闘の中で、相手の動きが速くても、功夫のある人には通用しない。

(聞き手)街頭格闘では、数年拳を練った人が路上の相手にやられることもあると思う。これは精神の問題が主なのか、功夫と筋骨の鍛錬が足りないのか。

(王紅宇)精神も非常に重要である。しかし功夫がなければ、精神だけで真に強くなることはできない。武術は陰部を打つ、要害を打つといった重手法の問題ではない。どこを打っても効くべきである。私の老師は、王薌齋老先生は一生、人を拳で殴ったことがないと話していた。完全に身体の力で相手を弾き上げたり放ったりするのであり、速度で回り込んで背後から一掌を入れる、あるいは蹴り一発で済ませる、というものではない。

(聞き手)武術は人の一生にどのような作用があるか。

(王紅宇)伝統武術は一生に非常に大きな作用がある。少なくとも老いても益がある。若い時に研鑽しておけば、晩年にも真にその中で楽しめる。私の老師は「若い時にやっておけ。晩年になって始めようとしても身体条件が許さない」と言った。身体には徐々に適応する過程がある。第一に老いても益がある。第二に站樁を通じて心が平穏になる。焦躁でなく穏やかになり、物事に遇った時にも非常に柔和に処理できる。

私の老師・王選傑を見て、私は真に武術家を見たと感じた。

(聞き手)試力はどのような条件で行えるのか。最初から站樁と同時に試力をしてよいのか。

(王紅宇)試力は必ず站樁で身体が整った状態で行う。少なくとも站樁で全身の筋が引き開かれ、骨関節が力の依拠となった後に行う。站樁で手や身体に力が乗り、站樁で求めた意がすべて力に変わった時である。全身のどこを動かしても、身体全体が大気に包まれているような状態になって初めて試力ができる。

(聞き手)泰拳の海中での打拳訓練は大成拳と似ているか。

(王紅宇)似ていない。それは局部的な外在の抵抗である。大成拳は身体全体の協調した力を用いる。泰拳の抵抗は虚のもので、普段は抵抗感がなく、水の中だけにある。大成拳は站樁の抵抗感を動きの中でも保たなければならない。

(聞き手)老先生は站樁の時に仮想の敵を持つと言い、多くの人が怒目で前方を見つめるが、この練習方法は正しいか。

(王紅宇)老先生の大成拳論は、身体が整った状態で書かれたものである。身体がまだ散っている状態では、老先生のものを体得することはできない。怒目で前方を睨めば、殺気に包まれたような感じは作れるかもしれない。しかし大成拳の精神は含蓄であり、精神と力量を内に含み保つことである。相手に接触する瞬間に体重が追随し、精神も追随する。練功の時に真に含蓄していれば、外形は非常に飽満で整って見える。しかし人に触れた時にまだ空隙を打とうとするなら、それは大成拳ではない。

大成拳は、押されれば押されるほど力が充実するものである。養生と技撃について言えば、養生は技撃を含まないが、技撃は養生を含む。大成拳のどの動作も、どの樁も、必ず養生を兼ねている。養生は病気のある人や年配の人にも適しているが、若い人なら技撃樁を站ち、拳術を求めたほうが内容が深い。

(聞き手)王選傑老師がご在世の時に多くの拳術関連の文章を整理されたが、今後の計画は。

(王紅宇)老師がご在世の時に一部を整理した。老先生が直接私に講じてくださったものだ。また老先生が残された日記や拳術の筆記もある。今後さらに整理していく。私が教える拳は私のものではなく、老師が教えてくれたものだ。自分で何も変えていないし、自分の思想も加えていない。老師の王選傑先生が学んだものは王薌齋のものであり、一代一代と伝わってきたものだ。

(聞き手)伝統武術の絶招は何か。

(王紅宇)武術には絶招はない。要所を打つとか絶招とかはすべて相対的なものである。絶招とは功夫である。功夫が大きければ、どんな応じ方もできる。功夫が大きいことが最大の絶招である。虎が飢えて羊を見れば食べる。しかし飢えていても熊を見たら、すぐ食べに行けるわけではない。武術は猛虎のように制御するものであり、牛羊のようにぶつかり合って抵抗するものではない。

散手の脚法についても、私の老師によれば、手で制御せずに直接起腿して人を蹴り、それで効果を出せる老先生はごく少数だった。本来は上の手で相手を制御してから、下の脚を用いるべきである。散手の側踹や直撃は、たいてい空隙を打つものであり、真の武術とは違う。

(聞き手)大成拳は健身養生の面で、社会にどのような作用を果たせるか。

(王紅宇)この数年、人に教えてきて感じるのは、精神が愉快でない人や慢性病のある人が、大成拳を練ることで多くの益を得ているということである。ただし大成拳は絶対に万病を治すものではない。ある病については緩和できるかもしれないし、根本からよくなる場合もあるかもしれないが、どんな病にも大きな効果があるということはありえない。体質を増強する面では問題がない。大成拳は筋骨皮肉を全体として鍛えるものであり、局部的に煉瓦を割る、木を打つ、跳ね回るというものではない。

(聞き手)社会の仕事が速くなり、生活にも圧力がある中で、大成拳を練る人が増えている。この現象はそうした圧力と関係があるのか。

(王紅宇)一部の人にとっては、大成拳は一種の解脱であり、心を練るものでもある。しかし練る人の中には、真の武技、真の王薌齋の武技、真の伝統武術を追求する人もいる。短期間で対抗に使えるものを求めるなら、散手やボクシングを練るほうが実用的である。精神状態がよくない、仕事が忙しすぎるという場合には、站樁も一つの良い療法である。ただし散歩でも同じような作用はありうる。私個人としては、やはり多くの人が本当の中国武技、伝統武術とはいったいどのようなものかを追求して、ここに来て訓練しているのだと思う。

(聞き手)今後の大成拳の普及について、どのように考えているか。

(王紅宇)今は主に大成拳の伝人を育てることを考えている。私はまだ若いので、次の段階では、老師が私に教えてくれたものに余計な水分を加えず、そのまま伝承していきたい。誰かが本当に練り、功夫を身につけられることが最も重要である。

(聞き手)現在散手を練っている者が大成拳に転向するのはどうか。

(王紅宇)現在現役で試合をしているなら、站樁を加えることはできる。散手を完全にやめる必要はない。鍛錬の中に站樁の訓練を加えればよいのだ。

憶王斌魁先生二三事(『修真心語』より)

斌魁老先生が我々のもとを永く去って、すでに一年余りが過ぎた。武林の友人たちから老先生を偲ぶ文章を書くよう求められた。承諾したその日から、心中にはずしりと重いものがあり、往時の情景や出来事がたびたび胸に押し寄せてきた。

斌魁老師は多くの弟子のなかで、私に最も良くしてくださった。私は当時、煙草も酒もやらなかったので、老師の家を訪ねるといつも部屋に引き留めて長話をし、時には深夜一時二時まで語り合った。師母は私を見るといつもこう言った。「よかった、よかった、安平が来ると、あの人のおしゃべり箱が開くのよ。」老先生は人への接し方が誠実で、心根がよく、飾り気がなかった。虚偽と浮薄、名利への執着を最も嫌った。この徳性は武学の造詣にもそのまま表れており、功底と内力を重んじ、招数や技巧には重きを置かなかった。

ある晩のこと、私は老師に尋ねた。「もし片手を誰かに掴まれたら、どうしますか。」老師は逆に問い返した。「おまえはどうする。」私は「腕や手首を返して振りほどきます」と答えた。老師は笑い、首を振ってこう言った。「よし、私の片腕を掴んでみろ。両手で掴め。」

斌魁老師がどんな技を出すのか見当がつかなかったので、私は言われたとおり両手で老師の腕をしっかり抱え込んだ。

老師は「よし」と一声発すると、同時にその腕をいきなり一振りした。私はまるで何かに猛然と突き飛ばされたように身体が後方へ吹っ飛び、両手にはもう何ひとつ掴めるものはなく、最後にバタンと音を立てて、斌魁老師の向かい側の数メートル先、窓の下に転倒した。

私はまったく呆然となり、起き上がってから老師に尋ねた。「これは何という技ですか。」

斌魁老師はにっこり笑い、その場で名を付けた。「『蛇蛻殻』とでも呼ぶか。ほら、殻を脱いで飛んでいくように見えないか。」

その晩、老師は話に乗ってきて、さらに私にこう言った。「安平、もう一丁、私を殴ってみろ。本気でだぞ。」私はおずおずとしていたが、斌魁老師は私の躊躇を見て取り、笑って言った。「構わんから、思い切り打て。」そう話しながら、左手に持った旱煙筒をひと吸いしていた。

やむなく私は老師の心窩をめがけて不意に一拳を突いた。老師がどう躱したのかわからないまま、気がつけば老師の身体は一瞬で私の左側に移っており、左手の旱煙管で軽くぽんと叩かれた。

「これは何の技だと思う。」老師は笑いながら言った。「もう一発やってみろ。」私は再び直拳を突いていった。老師はわずかに身を閃かせ、右手で私の腕を軽く叩いただけであったが、私はたちまち足を止めることができず、よろめきながら前のめりに崩れ、ついに両手がベッドの縁に触れるまで止まらなかった。

「もう一度やってみろ。」斌魁老師は笑って言った。

やむなくさらに二度試みた。この二度は、一度ごとにさらに速く強く拳を振るった。結果は、一度は老師が私の背後に回って背中を軽く叩き、一度は掌を刀に変えて側身から私の首筋に当てた。私には理解できなかった。少林拳を九年以上も修め、部隊内では間違いなく腕利きと目される「武林の達人」であるはずの私が、老師の前ではまるで子供が大人に挑むようなものであった。さらに妙なことに、最後には老師は躱しも閃きもせず、私の拳をまともに心窩に受けた。老師はにこにこしたまま胸腹をさりげなく張っただけであったが、私は拳面がまるで固く張ったタイヤに叩きつけたかのような感覚を受け、痛みに思わず冷たい息を何度も吸い込んだ。

老師はにこにこしてこう言った。「見えたか。確かな功底があれば、打つにせよ打たれるにせよ、すべてこのとおりである。功底はどこから出るか。站樁からである。」

斌魁老師のこの一夜の教えは私に極めて大きな啓発を与えた。その後の数十年間、私はまさに老先生の言葉に従って練り、考え、それによって計り知れない恩恵を得た。いま、私の弟子のなかには地道に站樁をすることを嫌い、しきりに老師から何か「秘技」を伝授してほしがる者がいる。しかし真の秘技とは、深い内功が自ずから表れたものにほかならず、内功の基礎を離れて秘技を語るのは技巧遊びにすぎず、意味のないことである。

これは斌魁老師がかつて幾度も私に教えてくださった言葉であり、私は今日この言葉をそのまま弟子たちの教育に用いている。弟子たちが私の真心と苦心を理解してくれることを願っている。

1976年の下半期、斌魁老師が河南にやって来て、私の家に泊まった。ある夜、月明かりが美しく、斌魁老師は興が乗って、庭に出て兵器を交えようと言った。斌魁老師は1936年の全国運動会器械競技の優勝者であるが、普段は北京においてめったに槍や棍を手にすることはなかった。老師が今日、私の器械の技量を試そうというのであるから、私としてはまさに望むところであった。

二人は庭に立ち、老師は長棍を私に投げ渡し、自らは短棍をひょいと拾い上げた。そしてにこにこしてこう言った。「安平、打ってこい。」

私は迷うことなく長棍を構え、頭上から一撃を打ち下ろした。斌魁老師は意が動くと同時に身が動き、私より半秒速く側方に到達しており、手にした短棍が私の腕を軽く打っていた。

私は非常に驚いた。続いて斌魁老師が再び打たせたので、私は横一文字に薙ぎ払った。斌魁老師はやはり私より半歩速く、気づけば背後に回っていた。

最後に、老師は見事な一手を見せた。私が斜めに打ち下ろした長棍を、手中の短棍で迎え撃ったのである。バシッと音がして、私の手中の長棍はその響きとともに弾け落ち、手は痺れて痛んだ。

私は心中さらに当惑した。当時すでに師事して十八年余り、功力も少なくないはずであったが、器械に内力を通す方法をまったく知らなかったのである。

斌魁老師はそこで、長短兵器の運用の妙を語ってくださった。とりわけ、いかにして内力を器械に通し、器械を腕の延長とするかを説いた。老師が強調されたのは、やはり内力の深さであった。

あの一夜は、まさに生涯忘れがたい夜であった。

斌魁老師は技芸においては私の恩師であり、人としての生き方においても私の模範であった。王薌齋老先生の門内にあって、誰とも長短を争うことなく、常に自分が最も劣っていると謙遜し、ひたすら黙々と站樁し続けた。たとえ人と手合わせする際にも、常に推手を用い、散打はめったにしなかった。相手を傷つけ不具にすることを恐れたからである。

同門の兄弟弟子たちはみな老師によくしてくれたし、弟子たちも老師を深く敬慕した。今日この文章を書くにあたり、胸には深い慕情が満ちている。我々が老師を偲び、追悼するということは、老師のように生きることにほかならない。実直に人となり、実直に真の功夫を広め、虚飾に反対し、見せかけに反対し、偽りに反対することである。

王安平『修真心語』社会科学学術出版より