意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

身手(『大成伝習録』より)

いかなる時も、身体と手の関係を明らかにしなければならない。腿も同様である。身体が主であり、身体と手は固定的に繋がってはならず、いかなる時も関節は活きていなければならない。いかなる時も他人が手臂や腿を制御しようとしても、身体を制御することはできない。相手が身体を制御できない時こそ、随時身体を発動し、身体を発動して手臂や腿を連れて行くことができる。身体で四肢を用いるのは、拳脚功夫とは呼ばない。もし身体で四肢を用いないなら、それは拳脚功夫である。中国人は中庸・中和を説き、未発を中と言い、発すれば和である。何で和となるのか。中で相手と和となるのだ。相手が遠すぎて届かない時、中は四肢というこの環節を通じて行く。この環節は用いるもので、この環節で和となるのではない。中で和となれば障害はなく、中を用いれば原則を掌握できる。なぜなら、それは戻ってこないからで、それは内部で炸裂できるからだ。大成拳は「炸力無断続」と言う。中から出る力量こそ炸裂できる。もし中を用いず、四肢の力量だけを用いるなら、それはこのものではない。

ある人の身手が悪くないと言うとき、ここでの身と手は実際に二つのものである。これは対抗において非常に重要な原則である。対抗において身と手は呼応して敵に対し、自分の身体で相手と関係を生じさせ、手を広げて相手を入れさせる。今はこのようにする者はいない。実は仔細に考えれば、平常の状態で他人は皆あなたの身体を動かすことはできない。対抗の状況下では、あなたは狂気であり、他人がどうしてあなたを打つことができようか。

拳が出るのは手が運動しているのではなく、身体がそれを催して外に行かせているのだ。ある人は理解の水準の問題かもしれず、思考が少し固まっているのかもしれない。手が先導して打つのも、身体が後に従うのも正しい。身体が手を催して打ち出すのも正しい。しかし、後ろで支撑する体系と貫通していなければならない。このように練習してあのように用いるのは正しくない。早年の散手運動が始まったばかりの頃、八卦を練習する者が拳を練習する者と対抗し、相手が架式を取って、打たれた後も架式を取るのは正しくない。なぜなら、彼を支撑するものがその形式と一致しないからだ。

接手や打人において、手で問題を解決してはならない。手は必ず暇でなければならず、全身で問題を解決する。身体で接手する方法は多いが、要点は自分の中を失わないことだ。自分の中で相手の手を食い止め、時には手は身であり、形意拳は「打人は接吻のよう」と言う。郭雲深は人を打つとき相手を呼び起こし、相手の根を失わせ、直接相手の身体に打ち込んだ。

相手の手が来たら、手を自分の身体に委ね、手は暇になる。身体で手に代わるのは、単に手が一つ多くなる問題ではなく、全てが多くなるのだ。身体の中と神で相手の中と神を奪い、一旦手を合わせたら相手の手臂を押さえつける習慣をつけてはならない。もしその悪習を改めず、一旦手を合わせたら押さえつけるなら、それは打たれる架勢だ。身上は松とし、肩を切り離し、身体は全て暇で、心で相手の心に貼り付く。皆功夫を用いる習慣があるが、功夫の大きな者に会えばなおさら功夫を手放し、空であるべきだ。拳を練習するのに王者の気を持ってはならない。以前私はこう言ったが、これでは足りない。拳を練習するには霊勁が必要だ。心意拳の拳譜に「霊勁のある身は天地を翻す」とある!

霊勁が身に付けば、相手の速度の快慢、力量の大小はあなたとは関係なくなり、どうあっても打つのみだ。相手が避けようが避けまいが、全てあなたが彼を打つのだ。

站樁の時、手は松であるほど良く、身体は大きければ大きいほど良い。王薌齋の拳論に「天と比べて高い」とあるのは、この意味だ。手がなくなり、身体が突出し、私もしばらくの間困惑した。王老師は站樁の力量は手に立たせるのが難しいと言い、常先生は私に手は身体より重くなければならないと言った。全て同じものを語っている。しかし私はどうしても霊勁を練り出せず、老先生の言うことは本当なのか嘘なのかと思った。後に私は手を諦め、『拳論』に従って練習し、身体を大きくした。ついにある日、手が空になった。手が空になった後、身体も大きくなり、手も身体より重くなった。

私の手はある期間非常に重かったが、「重」では多くの問題が解決できず、単一の問題しか解決できない。後に私は徐々に手を空にする練習をし、ほぼ全ての問題を解決できるようになった。

手は要らず、自分の中で相手と関係を生じさせ、身体は全て松である。この手と接触点は何のためか。相手を自分の中枢に渡すためだ。『拳論』に「その環中を得て、以て無窮に応じる」とある。中とは中枢のことで、環で相手を中枢に渡す。中枢は彼を分化する。あなたが勁を用い、大勁を用いれば、私は今直に(上下に)彼のを拡大し、分化する。簡単に言えば私は横に彼の勁を分化するが、身体の中は変わらない。これが推手の原理で、彼が勁を用いさえすれば、私はこの一点で彼の全身を制御する。制御さえすれば、私の全ての場所が開き、全ての場所が暇になり、彼の全身の全ての場所が閉合する。これが身手転換であり、推手は身手転換なのだ。相手の手を身体に渡し、身で相手の身を推し、自分の心で相手の心に貼り付く。

どうすればできるのか。神意は活きており、手を要らなくすればできる。一度手を要すればできなくなる。無手から無我へ到る。

私は虚であり、神であなたを圧倒し、身体は松で、あなたに虚のものを担がせ、定める。あなたの勁と意は全て私のものとなり、あなたは私が打つのを助けているようなものだ。

一旦手を合わせても私(の手)は彼を制御せず、私の神意が彼を制御し、相手はかえって私に制御される。もし速くすれば、この瞬間が打人となり、相手に力があろうがなかろうが、彼は常に打たれる位置にいる。この時私は「形は未到で、意はすでに到る」である。意で相手を圧倒し、意で相手を捕らえる。私の意はすでに遠くにあり、彼はただこの延長線上にいるだけで、私はすでにこのことを始めている。なぜ彼はダメなのか。彼はまだ私が接触し始めた時から、無形の意がすでに彼の身にあり、すでに彼を制御していることを知らないからだ。意拳とは、神意で拳を行うことだ。

神は霊動で、霊性に満ちており、霸道なものではない。霸道では弱点があり、強すぎれば弱点がある。もう一つ重要な点に注意すべきだ。これを正しく行っても、人を打つのに足りない。なぜか。それは意拳だからで、あなたは神意を用いていない。これを正しく行った後、あなたはまだ壁の外を見ていなければならない。あなたの前には人がおらず、ただ彼の後ろの壁があるだけだ。あなたは壁の方へ打つのだ。このように打てば、重くなる。

拳を練習する時に自分はなく、人を打つ時に敵はない。人を打つ時、意は遠くを追い、目の前の敵を打たず、私は彼の後ろの遠くの壁を打つ。意は遠くなければならない。

推手も同じで、頭頂と両脚の間で中を見つけなければならない。あなたが私の身体を適当に押せば、この中を見つける。この中がなければならず、この中を自然に練習しなければならない。身上到る所に軸があり、最後には身上到る所が空になる。意を用い、霊活でなければならず、手を要らない。これは双方向で、私は逃げることもできるし、同時に逃げないこともできる。あなたが私を押さえても、快慢は常に私と関係ない。あなたが速ければ私も速く、あなたが遅ければ私も遅い。『太極拳論』に「動が急なら則ち急に応じ、動が緩なら則ち緩に随う。変化万端でも理はただ一貫している」とある。あなたを私と無関係にさせ、私は常にあなたを相対的に静止した状態にさせる。断手とは、あなたと私の関係を断ち切ることだ。断ち切れなければ私の身体であなたの身体に貼り付く。胯は中枢で、胯は相手を断ち切りつつ自分と和する。例えばあなたが私を打とうとしたり、私を抱き殺そうとしたりして、私がどこも動けないとき、私が腰を一松すれば、打ち込むことができる。非常に重要だ! 老先生たちは「腰胯」と言う。腰が松となれば、胯は行くことができる。

二点に注意すべきだ。第一は松緊で、松緊は一体であり、一対だ。形松意緊でなければならない。王老師はよく、精神は真でなければならないと言った。人を打つことと人を殺すことは同じだが、この状態で手は松である。反対になってはいけない。心も手も緊なのは駄目だ。第二は心は勇、手は松でなければならない。この点は非常に重要だ!これは門檻で、この檻を越えれば入ったことになる。越えられなければ入っていない。意は真でなければならない!

これらは日常生活でも達成しなければならない。この意味があるからといって、殺人の心を持たなければならないというわけではない。これらの意は充実し、常に存在しなければならない。健舞は必ず広々とした部屋で行わなければならない。人を真に、生きたように練習し、薄氷を踏むが如く、深淵に臨むが如く練習する。これが健舞だ。用いる時に手はなく、ただ精神だけだ。精神は非常に大きく、自分だけがいて、敵はいない。部屋の中の全ての人を私は一つと見なし、私は一つだ。私の意は部屋全体にあり、これらの人は一つであり、全て私の意の範囲内にいる。このようにしてこそ目中無人となり、開いて用いることができる。

身体と手臂は一つのものになってはいけない。もし肩が緊となれば、手臂は身体と一つのものになり、死んでしまう。手臂がないことを恐れてはいけない。もし相手を入れさせなければ、肩が緊となり、接触点が自分の身体と繋がってしまう。相手が手臂を押すことは身体を押すことと同じになる。肩を松め、手臂を要らなくすれば、このように安全になる。

要るのは自分の中であり、手臂ではない。このように手を合わせた後、私には無数の方向に動くことができる。いかなる位置、いかなる方向でも相手を不快にさせることができる。私は万向で、相手はどこに逃げても不快だ。相手が私を不快にしようとすると同時に、彼は出て行く。いかなる部位も私は脱することができる。なぜなら私は空で、活きていて、水のように流動し、相手に従い、彼に負担を増やし、隙間があればすぐに入る。

身体は松下し、最後にはこの意もなくなる。意拳とは意を用いない拳だ。今また一歩進んだ。さっきまでは意を用いると言っていたが、最後身体は松下し、最後にはこの意もなくなる。意拳とは意を用いない拳だ。今また一歩進んだ。さっきまでは意を用いると言っていたが、最後には意を用いない。無形無意が真意であり、これこそが意拳だ。第一歩は意を出すこと、第二歩は意を練ること、第三歩は無意である。ないからこそあり、手は占めてはならず、用いる時に出せる。手を合わせた後、相手が一度勁を用いれば、この隙間を見つけなければならない。彼が前に押せば、あなたは吞み、吸い、含み、彼を定位する。あなたの中で彼を捕らえ、相手をどこに引きたいかによって引く。まず神を起こし、手を取らず、ただ目で彼を見て、心で彼の心に貼り付く。身上は放松し、力を用いない。力を用いなければ不敗の地に立つ可能性がある。力を用いれば身上は僵緊となり、変化の余地がなくなり、相手と較勁しやすくなる。力を用いず、身上が空であってこそ、万物を容れることができる。

身手は分けなければならない。身は身、手は手だ。身子は自分のもの、手は相手のものだ。

于鴻坤『大成伝習録華夏出版社より

功夫之天人合一(『大成伝習録』より)

普通の訓練は肌肉を力量の主体とし、力量は肌肉の収縮と伸展から来る。我々の訓練では肌肉は力量の活動に参与せず、形力ではなく意力である。中国古人の訓練方法は伸筋縮骨、伸筋抜骨であり、気は沸き立ち、龍虎二気を修練し、気はあらゆるものに貫通する、古人が練っていたのはこのものである。伸筋縮骨は、筋に意が蔵され、意が筋の中にあり、骨に神が蔵され、神気が内に収斂される。これは肌肉を鍛えるのとは異なり、より内在的なものに属する。この訓練方法は肌肉の訓練と比べて一歩進んでいるが、これもまた入門の功夫に過ぎず、中国拳学の基礎の一部である。

中国式の功夫は天人合一の功夫である。

天人合一を実現するには、身心に一定の要求がある。第一歩は踝の関節を放松し、足と地面がつながることである。ある拳法では舒直を説き、足指を伸ばして開く。さらに一歩進んで主動的に接触し、歩を進め、足を置く際は、深淵に臨むようであり、薄氷を踏むようであり、猫の歩みや虎の歩みのようである。これらは全て身体と地面の関係を説き、主に貫通合一を説いている。地面に接触していない身体の他の部位は虚となり、空気の阻力を体認し、地に対しては実を虚とし、空に対しては虚を実とする。

全身の関節、肌腱、骨、靭帯は内在的に地面とつながり、通路として用い、それ自体は力を発しない。『黄帝内経』に「独立守神、肌肉若一」とあり、肌は肌腱を指し、肉は肌肉を指す。つまり全身の肉が働いていない時に肌腱に付着し、これによって一体となる。各々が各々であり、各肌肉間に関係がなく、曲直筋は曲直筋、背闊筋は背闊筋で、これらはつながらない。しかし、つながるものがある。それは間架であり、間架の支撑も、つまり関節もつながり、骨もつながり、筋もつながる。つながっても使えず、これは単なる通路である。この通路は何の役に立つのか? 相手と接触した後、この通路を通じて相手の力を大地や虚空に転嫁するのである。地と空を用い、空は天であり、つまり天地の力を用いて相手と対抗する。これを無意の状態で行えて初めて大成拳となり、拳学となる。ここで用いる心法は層を成しており、儒家の心法、道家の心法、禅宗の心法等があるが、最後にはこのものはなくなり、一出手すればこのものとなり、自分自身をこのものとする。このものが主体となって初めて中国の拳となる。この拳には技術も戦術もなく、ただ感知であり、感応であり、良知良能である。

第一段階の心法は、あるかないか、存在するか消滅するかのようなもので、時にあり時になく、朧げなそのものである。それ自体は明確には認識できず、確定できない。ある人々は一生懸命に考え、このものが何であるかを必ず確定しようとするが、彼らは知らない。このものを確定しようとする考え自体が既に間違っている。なぜなら、このものは確定できるものではないからだ。あなたがそれは何であり、どうあるべきだと言おうとしても、それはできない。そのようなものは存在しない。自分に知識があると思い込み、それと格闘しようとしても、決してうまくいかない。それはただの勢態であり、全体を統括している。この状態があることが正しく、それが確定的にどうであるかは決まっていない。なぜなら、相手は確定できないからだ。相手は常に変化しているが、このものはあらゆる場面で機会を捉えている。これが体である。

この心法を実現するには、まず心を安住させ、心を開く必要がある。我々が練習するすべてのものは、身法から入手して心を開き、そして心で物を印する。心が開かれれば、心が身体を導いて物を印し、真に頭頭是道となり、時時刻刻機会を捉え、時時刻刻これに従事し、時時刻刻主導権を握り、そして時時先を占め、処処機会を得る。機会の上でこれを行い、戦機を求めるのではない。手を伸ばした瞬間に機会を捉え、手を伸ばした瞬間に相手は消える。身体にはこのものがなければならない。何もない基礎の上で自分を安定させ、相手の変化を待つ。推手の時のように、今は相手を滅ぼせないが、相手が一度変化すれば滅ぼせる。これは言葉では二段階に聞こえるが、実際には一瞬のことだ。相手に変化の意識が生じた瞬間にあなたはそれを捕捉し、相手のその意識が現れた瞬間に終わる。実際、思考はこの待機の過程に関与しない。なぜなら、手の感覚が既に待機を完了し、終了しているからだ。拳はこのようなものである。

昔の先生方が八卦の削掌を練習していた時、彼は現代人は弱いと言った。彼は自分の動作を完全には使えないと言い、準備動作をするだけで、一度こすっただけで相手は両足が地面から離れて遠くへ飛んでいってしまうと言った。昔のように、一度こすって相手に変化が生じ、こすれなかった時に、相手の縮む勢いを借りてその変化を削る、これこそが削掌だった。私は最初彼の言葉を信じなかったが、後に自分が他人をこすってみると、同じようになった。一度こするだけで人が浮き上がった。

心法が実現されれば、それが功夫となる。徐々に、長期間心法を厳守すれば功夫が主導権を握り、他のものは入り込めなくなり、身体には功夫だけが残る。食事の時も功夫があり、会話の時も功夫がある。功夫は長期的にあり続け、一日二十四時間このような状態である。一人の時もそうであり、人といる時もそうであり、敵と対峙する時もそうである。まず理論がこのようであり、そして実践してもこのようになる。つまり、手を伸ばせば意が出て、意が相手と合わさり、そして形が意を助け、相手と較べ合う。これが老子の言う「無状の状」である。まず意が相手と合わさってこそ、このものが較べ合える。心神が安詳の状態にある時にのみ意が出てくる。

一般的な意味での拳術は純粋な技術であり、人と人が対抗する功夫と技巧である。いわゆる功夫とは、身体を強壮有力に鍛え上げ、さらに技戦術、つまり技術と戦術の運用がある。一般の民間の拳師にはこれがなく、専門家だけが技戦術を持っている。民間拳師の技の中にもこの技戦術が含まれているかもしれないが、ある人々には不明確で、ある人々には明確である。これが一般的な意味で拳を練習していると言えるものである。さらに下の水準では、形を練習するだけのものや他のものは計算に入れられない。大成拳学の功夫は身体に練り込むものではなく、身体にこのものがあってはならない。身体の通路は清潔で空でなければならず、外力が足場を得られないようにし、そしてこの通路から出ていくエネルギーは相手が抵抗できないようにする、これがこの技術である。この技術以外に、総合的なものがある。それは何か? それは身体の智慧が物に応じて自然な智慧であり、本能的で、感応する智慧であり、自然力の智慧である。それは技ではなく、速度の遅速でもない。それは機会であり、処処に機会と勢いを得、処処に中を守り中を用いる。それは中国哲学を基礎とし、西洋の運動原理を基礎とするものではなく、その中には人文的なものがある。では心の中には何があるのか?

祥和なものがあり、慈悲なものがあり、勇猛なものもあり、本能的なものもある。さらに時間と空間の問題がある。他人の功夫は時間差を探すが、我々はこのものを探さない。我々は自分を無に化し、相手も無にし、時間を超越し、空間を超越する。相手は存在せず、私も存在しない、では何か? それは神気であり、神気があれば時間を降伏させる。すべての時間と空間は私一人がコントロールするが、私はまだ無我の状態にある。大成拳学はこのようなものである。厳しさは簡単だが、拳の厳しさは拳術のほんの一部分に過ぎず、あなたの心のほんの一部分を占めるに過ぎない。あなたの心が非常に大きい時、相手が厳しいか厳しくないかは、実際にはあなたの掌握の中にある。この時、拳術の意義は変わり、純粋な対抗ではなくなる。他人の功夫は練習したエネルギーで対抗し、表現されるのは身体の力などだが、我々の功夫は身体の潜在能力、心霊の智慧、身体の智慧などを備え、単純に相手と対抗するのではない。相手が非常に激しい時、あなたは彼を停止させることができる。

相手が非常に平和で、動きたくない時、あなたは彼を怒らせることができる。天地同体であり、山河大地があなたに従って回り、相手もあなたの身体の一部分となる。あなたには無数の武器があり、相手の単一の身体エネルギーに対処できる。これこそが真の功夫である。

一般の拳を練習する人に身体の功夫を消し去らせようとしても、彼らにはできない。彼らは恐れ、しかしこのものがあれば必ずこのもので対抗しようとする。必ず放松して、それを無くさなければならない。その時、身体は空で何も存在しないと言っても、この時あなたの身体は心をすべて変えており、あなたのこの身体は自然と別の種類の身体になっている。もはや元の身体ではなく、なぜまだあの種の功夫、俗人の功夫が必要だろうか?

この拳を練習する過程で、師は常にあなたに言い聞かせなければならない。なぜなら、身体は非常に奥深く、身体がわずかに変化するだけで、全体の構図が変わってしまうからだ。何が必要で何が不要かを知ることで、前に進むことができる。功夫は自分で練習するが、明白な人に導かれる必要がある。この導く人が本当に明白でなければ、あなたは前に進むことができない。だから站樁は適当に立っていてはいけない。多くの人が始めたとたんに、すべて形のある間架で立ってしまうが、それは間違いだ。無形無相で、執着がなく、心が一度執着し、何かをしようと思った瞬間に、すぐにそうではなくなる。普通の人が対抗する時、みな何かをしようと思うが、二人ともそうであるため、どちらも反応できず、どちらがより混濁で、より力強く、より荒々しいかを見ることになる。あなたが一日六、七時間站樁をしても、彼に考えがあれば負けてしまう。一度考えが生じれば、一瞬でなくなってしまう。彼に一度考えが生じれば執着し、障害が生じ、一度考えが生じればすぐに終わりで、形が体を破り、力が先に出て、神が逃げてしまう。站樁は三年立ち続けなければならない。そうすることでのみ、心を安住させることができ、その時心も動かず、情も動かない。これこそが我々の功夫であり、天人合一の功夫である。この三年は、あなたがこのものを実現できるようにするためだけにある。他には何もない。この形式によってのみ、あなたの心の中のものを検証することができる。

于鴻坤『大成伝習録華夏出版社より

唐承根先生の著書『訓練方式和時間安排』

この問いは余計な話かもしれないが、師の導きがなく、かつ拳法の経験もない者にとっては効果的な訓練の助けとなるだろう。

毎日の総合的要求は、站樁を2時間以上、試力を1時間、歩行を30分、その他30分は自由な推手またはその他の練習である。

効果的な訓練は質と量の結合でなければならない。毎日適当に30分や50分練習するだけでは、数年経っても小成にすら至らないだろう。速成の本質は投機ではなく、回り道をせず精進を求めることだ。趙道新、姚宗勲、王選傑が薌老に習って短期間で頭角を現し、日の昇るが如く発展したのを見るとよい。また、多くの人が少年から白髪頭まで苦心して求めながら碌々として成果がないのを見よ。速成がないと言えるだろうか? 選傑老師はこう言った「速成とは回り道をせず、最短時間で最良の効果を得ることだ」。この言葉を覚え、しっかり記憶せよ。これは武術だけでなく、人生にも当てはまる!

毎日の訓練配分は、まず站樁から始めるのが最良だ。功力が浅いときは時間を短くし、毎日左式と右式を立ち、累計2時間で十分である。功力が深まれば毎日左式か右式のみを練習し、2回に分けて各1時間、翌日は別の式を練習する。

站樁が終わったら少し休憩し、試力を練習できる。異なる進度に応じて異なる内容を配分し、歩行やその他は別の時間に訓練を行う。訓練時は集中して質を保証し、途中で雑談したり、お茶を飲んだりしてはいけない。功夫は自分の身に練るものであり、他人に見せるものではない。

練習期間中は、教程を注意深く読み、一字も見逃してはならない。正しく体得してこそ事半功倍となり、自惚れて誤解や誤練をし、いい加減に済ませてはならない。

条件が整えば、できるだけ師のもとで学ぶのが最良だ。たとえ10日や8日でも、多くのことを理解させてくれるだろう。

この教程はここで全て終了するが、まだいくつかの感想や認識を書き出したいので、後ろに付け加える。学ぶ者への示唆や啓発となることを願う。

答疑(6)(『走進王薌齋』より)

問:大成拳とボクシングの違いは何ですか? どのような相違点がありますか?

答:全体的に言えば、異なる点が多く、同じ点が少ない。おそらく私の水準が限られているからか、同じ点が見つからないため、主に相違点について話そう。まず文化が異なる。大成拳は我々中国人が5000年近くの時間をかけ、無数の能人が生涯の精力を注いで作り上げた一門の拳術だ。その起源と発展は中国文化と共に成熟してきた。中国最古の文化には二家あり、一つは「武学」、もう一つは「文学」だった。先に武学があり、後に文学(口伝心授)があった。薌齋老先生は公に次のように言った。「開闢は武を首重し、小道と視るなかれ、長ずるもの集まらざれば、学術ここに始まらず。」文学には易経、内経、道学、仏学、中医薬学などが含まれる。武術は中国人が長期の実戦を通じて非常に貴重な経験を積み、さらに禽獣の長所を結合し、西方の達磨老祖の洗髄易筋之法を参考にして徐々に形成されたものだ。中国の武学と文学は共に中華民族の文化を作り上げ、中華民族の生存と発展に不朽の功績を立てた。5000年以上の歴史が証明するように、中国人が地球上で滅びずに生存してきたのは、我々の文化と大きな関係があると言わざるを得ない。特に武文化は、中国人の身体素質と知力を作り上げる面で功績は計り知れない。ボクシングはヨーロッパに起源を持つ。ヨーロッパにはヨーロッパの文化があり、ボクシングの起源と発展もヨーロッパ文化という土壌から離れることはできない。その思考方式と観念は必然的に西洋文化と直接的な関係がある。二つの文化の違いにより、大成拳とボクシングは思考方式、観念、人体に対する認知程度、訓練方法、技撃形式などの面で本質的な違いがあり、同じように語ることはできない。

上述の環境、雰囲気の違いにより、人体に対する認知程度も大きく異なる。それは力に対する認識の違いに集中的に表れている。西洋のボクシングが認知しているのは筋肉の力であり、もちろん局部的な筋骨力もある。それにも一つの動作を反復操練する訓練方法があるが、この方法で得られるのは局部的な筋骨力だけで、しかも受動的に得られるものだ。筋肉の力は比較的認識しやすく、人々は後天的な仕事や労働で力を使えば筋肉を使って力を使っている。大成拳が求める力は筋骨力であり、意中の力、つまり意力と言える。当初、達磨が東来して中国で洗髄経と易筋経を伝授し、中国の武術家がそれを学び、巧みに自身の技撃経験と融合させ、筋骨鍛錬法を創造した。達磨の東来は機会であり、中国の武術家はこの機会を掴み、自身の武文化を大きく昇華させた。この種の力は人類が認識するのは容易ではなく、相当に深い文化を備えていなければ、この種の力を開発するのは難しい。しかし、中国の武術家はそれを成し遂げた。当時の中国武術が非常に高い境地になかったなら、洗髄、易筋之法を理解することもできず、参考にすることもできなかっただろう。力に対する認知程度が異なるので、訓練方法も異なる。大成拳の訓練方法は站樁に慢練を加えたものだ。ボクシングの訓練方法は皆知っての通りだ。訓練方法が異なれば、技撃の形式も同じであるはずがない。大成拳の技撃形式は実を打つこと、即ち搭手だ。ボクシングの技撃形式は虚を打つこと、つまり相手の両手を避けて相手の急所を打撃することだ。大成拳は技撃時に相手の両手を避けず、相手の両手が防護している状態でも継続して相手の急所を打撃でき、相手を投げ出すこともできる。もちろん後者の状況は大成拳の造詣が非常に高い者のみが為せることだ。養生面でも異なる。大成拳は養生でき病気を治せる。体の弱い者も大成拳の練習を通じて身体を強くし、抗病能力を増強できる。これらはボクシング運動では為し得ないことだ。ボクシングは強者の運動で、生まれつき身体の良い人が練習するのに適している。大成拳も強者の運動だが、たとえボクシングのチャンピオンでも、大成拳を練習しようとすれば10年の苦功を重ねなければならない。

問:大成拳の発力はボクシングと違いますか? もし違うとすれば、それは何ですか?

答:大成拳の発力とボクシングの発力には本質的な違いがある。ボクシングの発力の特徴は短(時間が短い)、脆である。その主な目的は相手の虚の部分を打撃することだ。大成拳の発力は長(時間が長い)で、ボクシングの発力の時間よりも数倍または十数倍長い。例えばボクシングの一回の発力が1秒だとすると、大成拳の発力は数秒または十数秒に達することがある。大成拳の発力時間が長いのは、その発力の目的と関係がある。大成拳の発力の主な目的は実を打つこと、即ち相手の力を控制し、相手の力を控制してから打撃を実施することだ。例えば技撃中に二つの力が接したとき、時には相手の腕を押さえつけてから打撃を実施する必要がある。相手の腕を押さえつけているこの間に、相手の腕は多くの相応の抗衡をする可能性がある。逃げたり、横に動いたり、縦に動いたりなどだ。相手の力の方向に応じて横竪力の原則を用いて相手の力に粘を用い、相手の力を打てもなく逃げられもしない状態にし、そうしてから打撃を実施すれば最も確実だ。この種の横竪力の運用は、ボクシングが直接虚を打つ力と比べるとはるかに長い。力が長いというのは虚点がないという意味で、虚点があれば力が断たれたことになり、力が断たれればもはや長いとは言えない。ボクシングの発力は時間が長くなりようがない。それは筋肉の力を使っており、筋肉が発する力は人が息を止めた状態で、呼吸しない発力は長続きしない。大成拳の発力の源は筋骨力で、筋骨の力の運用は呼吸の制限を受けない。力を運用する時、人の呼吸は常に正常な状態にあるので、その発力時間はやや長くなることができる。なぜ私が站樁と慢練の時に必ず呼吸を自然にするよう、どんな練習をしても呼吸は自然でなければならないと繰り返し強調するのか、今ここに表れているのだ。大成拳の発力にはもう一つの特徴がある。それは重物(相手の力の抵抗)に遭遇しても、横竪力の原則を運用して前進し続けられることだ。ボクシングの発力は重物に遭遇すると阻まれ、前進できない。レンガを投げるようなものだ。レンガを投げ出し、重物に遭遇すれば地面に落ちる。重物に遭遇せず、目標に当たらなくても自然と地面に落ちる。大成拳の発力はミサイルのようなものだ。人のコントロールを受けることができ、相手の表現に応じて力の方向をタイムリーに修正し、目標に打ち込むまでできる。ミサイルは銃弾や砲弾よりも有効性が高いが、ミサイルの製造にかかる費用と時間は砲弾よりはるかに長い。大成拳の発力は動中に静を求め、静中に動を求める。搭手せず、二つの力が接していない時は動の処、動中に搭手を求め、二力の接触を求める。二力が接すれば静となり、静で動けなければならない。これは形意拳で「動を以て静を待つに借法有り、静を以て動くに上法有り、借法は容易く上法は難しい」と呼ばれるものだ。実はボクシングだけでなく、世界のあらゆる技撃を見渡しても、それらの発力は全て一つの原理だ。拳で打つにせよ、足で蹴るにせよ、全て虚を打つもので、本質的には同じだ。最も恐ろしいのは、現在の中国武術家が皆ボクシングの発力を用いて武術の対抗を行っていることだ。このようにすることの害は、武術選手にボクシングの発力を学び運用し、筋肉の訓練を研究するよう奨励するのと等しく、我々中国武術特有の発力、筋骨力を研究する人がいなくなってしまう。このような武術の発展傾向は疑いなく中国の文化を失うことになるだろう。

問:「近ければ投げ、遠ければ蹴り、遠口なく近くもなければ拳を用いて打つ」という言葉の意味を説明していただけますか?

答:この言葉は大成拳学の言葉ではない。まず、王薌齋は投げ(摔跤)をしなかった。薌齋先生が人を投げるのは、一度手を合わせると奪位の方法を用いて相手を根こそぎ崩すもので、上肢は柔らかくならず、表面的には人を投げ倒すように見えるが、実際には中国武術功夫を用いており、摔跤の法ではない。大成拳の腿法も遠ければ蹴るというものではない。明拳暗腿、抬腿見えず腿、抬腿半辺空だ。大成拳の脚の使用は相手が知らない状況で脚を上げて人を蹴るものだ。もう一つの状況は、相手が進めない状況で脚を上げて人を蹴るというものだ。中国武術の大家には一人も摔跤の名手はいない。大成拳の訓練にも摔跤という言葉はない。王薌齋は弟子と手を合わせる時、よく腿を上げて人を蹴った。時には事前に腿を上げておき、弟子が防ぎきれないようにしたが、これは全て双方の功夫に大きな差がある状況で使用されたもので、少し遊びの意味合いがあった。水準が同等の相手と手を試す時、彼は軽々しく腿を上げなかった。大成拳が技撃時に表現する投げは、実際には摔跤ではなく、相手を守るためのものだ。過去の武術の大家が手を試す時は相手を傷つけないことを重視した。相手に勝とうとすれば相手を傷つけないようにしなければならず、その自信がなければ、むしろ動かない方が良く、相手を傷つけてはいけなかった。

大成拳の技撃でいつ拳を使い、いつ腿を使うかは、主に相手の運用状況を見る。大成拳は相手の力を控制することを重視し、その全ての行為は相手の力を控制するためのものだ。有形有意は皆偽であり、無形無意の法こそが真である。

問:私はよく薌齋老先生には二種類の力があったと聞きます。一つは放人の力、もう一つは打人の力で、人を放とうとすれば放人の力を使い、人を傷つけようとすれば打人の力を使うと。この二種類の力について説明していただけますか?

答:実際には一種類の力だ。人が一種類の力を練習するのもとても難しいのに、さらに二種類の力を練習するなんてどうして可能だろうか? さらに言えば、技撃は一瞬の出来事だ。どの力を使うかを考える余裕があるだろうか? 力は一種類の力で、この種の力は筋骨力であり、静力であり、自争力だ。二つの力が接した後、この種の力は速く、相手の横竪力が転換する時にそこに鑽り込む。この時、相手には抵抗力がない。これがいわゆる打人の力だ。放人の力も同じことだ。ただ打人の力よりも難しいだけだ。相手の横竪力が転換する時に鑽ることができるのに鑽らず、進むことができるのに進まず、相手を一瞬待つ。相手にある程度の抵抗力があり、しかもこの抵抗力がまだ形成されていない時に相手を打撃する。表面的には人を打つように見えるが、実際には力は相手の両腕にあり、真に力を受けているのは腕であって打撃を受けている部位ではない。これに奪位(法)を加えれば相手を放り出すことができる。このようにするのは非常に難しく、王薌齋だけができた。彼は相手の力の火加減を非常に正確に把握し、功夫も経験も持ち合わせ、非常に老練だった。早すぎると相手は打たれず、遅すぎると打ち込めない。前者の打人の力ができるだけでも非常に難しく、一般の人にはできない。武術の大家同士の手合わせでは打ち込めない。双方とも一種類の力で、どちらも速く、どちらにも虚点がなく、誰も打ち込めない。功力で相手を放り出すしかなく、人には当たらない。だから武術の大家同士の比武は勝負が見えるだけで、相手を傷つけることはない。これが自己防護能力だ。相手に放り出されるだけで、相手の拳は身体に当たらない。双方の攻防は全て腕上で完成される。

問:多くの拳譜に「伸筋抜骨」とありますが、あなたの文章では「伸筋縮骨」と言っています。結局どちらが正しいのでしょうか、それとも両方正しいのでしょうか?

答:大成拳の練習ではまず伸筋を学ぶ必要がある。筋を一定程度まで伸ばせば、骨は自然と縮んだ状態になる。伸筋は撑力、縮骨は収力で、この二つの力が対抗して引き合うことで一つの完全な力となる。収と撑も自争力を形成できる。もちろん自持力は非常に多くの接力で構成されており、収と撑が形成する自挣力はその一つだ。筋骨自争というこの言い方は確かに正しいが、結局のところ一種の感覚であり、科学的な説明ではない。将来、科学が一定の程度まで発展すれば、この現象を説明できるようになるだろう。大成拳の練習では伸筋だけを練習すればよく、骨を縮める必要はない。筋を一定程度まで伸ばせば、縮骨は自然に達成される。だから伸筋抜骨説と伸筋縮骨説は、私個人の意見では重要ではない。この概念が不明確だからといって拳の練習の質に影響することはない。最も重要なのは伸筋の方法を明確にすることで、伸筋さえ明確になれば、以下のことは自然だ。

伸筋抜骨という言い方については、こう考える。筋を一定程度まで伸ばすと一種の争力が生じ、この争力も抜骨するような感覚がある。争が一定程度に達すると自然と収力が生じる。収力が生じるのは自然なので言及せず、争力だけを言及する。もし争力だけを言って伸筋抜骨と言わなくても良い。要するに私は「伸筋抜骨」説と「伸筋縮骨」説、この二つの概念は全く異なるものではなく、拳に対する認識に影響を与えるものではなく、重要な概念ではないので、必ずしも区別する必要はないと考える。

問:王薌齋先生は拳論で「爆炸力」に言及していますが、これは爆発力のことですか?

答:「爆炸力」と「爆発力」は二つの異なる概念で、この二つの概念を混同してはいけない。そうでないと大成拳の理解に影響を与えてしまう。爆炸力は筋骨の範疇に属し、中国古代武術の力が達した一つの境地で、中国の武文化だ。大成拳を非常に高い境地まで練習すると、身体に二つの部分の反応が現れる。一部分は特別に緊で、残りの部分は特別に松である。緊であるべき部分が緊であるほど、松である部分はより松になる。緊は撑力を生み出し、松は収縮力、あるいは収力を生み出す。撑力は非常に堅固な外殻のようで、いつでも外力の打撃に抵抗できる。縮力は火薬のようで、いつでも相手の比較的弱い部分を爆発的に打撃できる。この二つの力が合わさって初めて大成拳が追求する力となる。この種の力を薌齋先生は爆炸力と呼んだ。この種の力は一旦阻力に遭遇すると自然に力を発し、準備期間がなく、力を発する前にまず松にしてから、緊にして力を発する必要がない。この種の力はどんな状況でも松である、同時に緊である。力を発するときもこのように松緊を同時に備え、一部分は緩み一部分は緊張している。これが中国武文化の奥妙なところだ。薌齋先生はこの種の力を備え、自在に運用し、技撃時には言葉では言い表せないほど素晴らしかった。

形意拳もこの種の力を論じるが、爆炸力とは呼ばず、炮拳と呼ぶ。炮拳は火のようで、「力は火薬の如く拳は弾の如し、霊機が一動すれば鳥は飛ぶのも難強い」と言うのは同じことだ。この種の力は対抗の中で非常に速く、一度手を合わせ二つの力が接すれば、心で思ったことがすぐに成し遂げられる。つまり一つの考えの事で、意が至れば力が至る。搭手の時から数えれば銃よりも速い。

爆発力は筋肉の力の範疇に属し、西洋文化だ。現在、科学の指導下にある各種のスポーツは全て爆発力を体現しており、即ち筋肉の一松一緊で一種の力を生み出す。一松の時は力がなく発力の準備をし、一発力すれば緊張し、緊張すれば力が出る。一松と一緊で一つの発力を構成し、次の力を発するときはまた一度松としてから発力する。この種の発力を大成拳では断続的だと考える。松は断であり、一松すれば力がなくなる。力がなくなるということは力が断たれたということだ。力が一度断たれれば相手に乗じられてしまう。しかし相手が誰かによる。薌齋先生は「混打乱撃は有益だが、相手が誰かによる」と言った。功夫のある人に出会えば、一松しただけで敗北してしまうだろう。さらにこの種の力は控制できない。松になれば力がなくなり、力がなくなれば断たれ、力が断たれれば当然控制できなくなる。だからこの種の発力を用いると、一つの動作の中に多くの断点があり、控制できない。

問:王薌齋先生は「私の言う通りに練習すれば間違いだ、私の言う通りに練習しなければもっと間違いだ」と言ったそうですが、薌齋先生は本当にこのようなことを言ったのでしょうか? もし言ったのなら、その意味を説明していただけますか?

答:薌齋先生は確かにこのような言葉を言った。常志朗先生も私に拳を教える時にこのような言葉を言った。実はこの言葉は非常に理解しやすい。薌齋先生が拳について話すのは内在的な力、つまり静力、あるいは動静合一の力のことだ。内力には一つの特徴がある。それは「像」であって、「是」ではないということだ。内力は実際には筋骨を練習した後に人体内に生じる内力で、一種の感覚だ。内力、感覚を描写するのは非常に難しく、言葉でそれを非常に明確に描写するのは難しい。近似的に、あるいはおおよそ描写できるだけで、100%正確に描写することは決してできない。例えば「空気阻力のよう」と言うのは、内力が空気に阻力があるかのようだという意味だが、決して空気に阻力があるわけではない。空気に阻力はなく、あってもごくわずかだ。拳の練習では非常に大きな力が求められ、空気の阻力と拳力を比べるとあまりに小さすぎて、力がないに等しいと見なすべきだ。もし習拳時に本当に空気の阻力を体感しようとすれば間違いだ。しかし外界の阻力を追求しなければもっと間違いだ。薌齋先生が拳について言うのは習拳者に一つの方向を示すためで、その方向に沿って進めば正しいのだ。彼が言うのは「像」であって「是」ではない。一種の内力には多くの描写方法がある。例えば「空気阻力」は一つの描写方法で、水の阻力はまた別の描写方法だ。風中の旗、淵中の魚、身外に物あり、内外牽掛などがある。形意拳では「大自然と呼応する」などと言う。どれだけ多くの描写があっても、それらが言うのは全て「像」であって、「就是(訳注:まさに〜である)」ではない。私はよく次のように言う。「もしある日本当に内力を練り出せたなら、あなたは彼らの言ったことが全て正確ではないと感じるだろう。しかしあなたに正確な「像」を言わせようとしても、あなたは言えない。結局、あなたはやはりこれらの大家の言葉を使って拳を論じることになる」と。このときこそ本当に内力を持ったと言える。誰が練習しても正しければ、練り出される内力は同じだ。内力は一種類しかないが、内力を解釈する言葉は多い。そうでなければ中国武術がどうしてあれほど多くの派に分かれることができただろうか。真の拳は一つしかない。あなたはこう解釈し、私はああ解釈する。あなたはこの角度から解釈し、私はあの方向から解釈する。そうして派が生まれる。しかし内輪の人を欺くことはできない。内輪の人は一聞いただけでそれが正しいかどうかわかる。芗斋先生が練習したのは中国古代武術だ。現代の人は生まれた時から西洋文化の雰囲気の中で成長してきたので、芗斋先生の武術思想を受け入れるのは確かに難しい。受け入れやすいのは芗斋先生の個人的魅力だ。拳を上手く練習し、功夫があり、武技の水準が高いということだ。

300年以上にわたって、中国古代の武文化は中国人の心の中でゆっくりと忘れられ、代わりに西洋文化いわゆる科学的運動が取って代わった。現在、中国の改革開放は良い結果を得て、経済的に大きな発展を遂げ、民が富み国が強くなり始めた。人々は再び中国に非常に良い文化があることに気づき、自分たちの文化を掘り起こし始めた。しかし中国古代の武文化の失伝は数年や十数年の問題ではない。回復も短期間でできることではない。中国武文化の思想が中国人に受け入れられるには長い時間が必要だ。

問:私は大成拳を長年練習していますが、王薌齋先生の拳論の中の一段落をずっと理解できません。説明をお願いします。原文は以下のとおりです。「習う時はまず節段、面積の偏倚から始め、力の均整を求め、次に点力の均整を通じて虚実の偏倚を推し量り、さらに偏倚の松緊によって発力の適当を試し、その上で適当な発力を通して神光の離合旋繞と波浪の弾力の鋒棱を利用し、次に全身の毛が道を尋ねるように一触即発の機能を実現する」。

答:「習う時はまず節段、面積の偏倚から始め、力の均整を求める」。節段とは何か? 節段は特定の関節や部位を指し、全体ではない。三節について言えば、特定の一節を指す。つまり、一つの関節、一つの部位から練り出すということで、一気に全体にはならない。面積とは何か? 大成拳では面積は曲折と正確な姿勢によって形成される。腕と脚は曲がっていて、まっすぐすぎてはいけない。一本の直線を形成してはいけない。そうでないと面積を形成できない。各部位はよく配合し、厳しくなければならない。面積を形成した後、技撃の中で厳しくなれる。まず動作の上で中線を守れるようにする。相手が私の中線を通ろうとしても、必ず私のある部位に引っかかって搭手を形成できるようにする。面積があり、かつ各点に力があってこそ真の面積だ。均整とは何か? 均整とは三節のことで、各関節、各部位、全身各所に力があれば、人は整体となる。偏倚とは動くことだ。正しい樁は偏倚しない。人が動き始めれば必然的に偏倚が生じる。大成拳では一般的に偏倚は試力を指す。この文の意味は、試力の中で一つの関節、一つの部位ずつ、少しずつ整体の力を求めるということだ。

「力の均整を求め、次に点力の均整を通じて虚実の偏倚を推し量る」。点力とは何か? 点力は一本の線ではなく、一つの動作全体でもない。一つの動作は一本の線を動かすことができ、一本の線は多くの点で構成される。功夫が良ければ良いほど点は多くなり、際限がない。虚実とは何か? 身外に阻力があれば実で、阻力がなければ虚だ。どの関節に阻力があればその関節は実で、そうでなければ虚だ。「点力の均整」とは、動かない時に均整がとれているということだ。例えば站樁の時は均整がとれており、これを点力之均整と呼ぶ。「虚実之偏倚」とは、運動の中で虚実を求めることだ。運動は一本の線を形成し、一本の線は多くの点で構成される。運動の中で一点一点虚実を求める。つまり、試力の中で一点一点虚実を求め、目標は試力の時に全身がいつでも阻力の中にあるかどうかだ。

「偏倚の松緊によって発力の適当を試す」。松、緊とは何か? 運動しているときに緩んでいるということで、言い換えれば緩んだ状態で力を使えるということだ。この種の力が断続しない力で、亡びないのだ。「偏倚の松緊」とは、運動の状態で、身体が緩んでいると同時に力もある状態を保つことができるということだ。この時、人体は弓を引き絞ったようで、矢は手を放せば飛び出す。骨は弓のごとく、筋は弦のごとく、拳は矢のごとく、力は火薬のごとく拳は弾丸のごとし。功夫がここまで練られれば上乗の功夫に属する。「発力の適当を試す」。適当な発力とは、二つの力が接する時、二人が接触して阻力に遭遇し、自動的に力を発することを指す。これはもはや純粋に功夫の問題ではなく、ある程度の実戦経験も必要だ。虚実転換の枢軸処、経験しなければ永遠に知ることはできない。

「適当な発力を通して神光の離合旋繞と波浪の弾力の鋒棱を利用し、次に全身の毛が道を尋ねるように一触即発の機能を実現する」。三節が徹底的に練られれば、人体は整った状態になる。整体力自体が横、竪力を備え、さらに手腕が回転し、腰が旋回でき、身体が揺れ動くことができる。これもまた一種の横竪力だ。さらに歩法、寸步、快步、整步を加えると、これもまた一種の横竪力となる。縦横交差し、横竖貫通し、まるで羅網のようだ。この種の力の混合運用は必ず神意のもの、自然のものでなければならない。「有形有意は皆偽であり、無形無意の法こそ真である」、「形が断たれても力は断たれず、力が断たれても神はなお連なる」。この種の力が非常に高い水準に達すると、全て神の運用となる。五行相表裏、内側のものが良くなれば、必然的に外側に反映されるのが形だ。この種の内外相表裏が神で、神は意力の外在的表現だ。

人の三節が徹底的に練られると、三節が互いに錯力を生み出すことができる。例えば手腕が下に力を入れ、他の二節が上に力を入れる。手腕が左右に力を入れ、身体と脚が反対方向に力を入れる。この種の力は力をより充実させることができ、この種の力もまた一種の自争力だ。薌齋先生はこの種の力を波浪力と呼んだ。人が大きな力を使う時に身体が非常に放松した状態にある。あるいは人が放松した状態で非常に大きな力を使うことができ、しかもこの種の力は非常に長く、断続しない。この状態では人は自分の毛髪が逆立っているように感じる。この種の功夫があってこそ、技撃時に「全身の毛が道を尋ねるよう」ということが可能になる。薌齋先生のこの段落は実際には試力と搭手のことを言っている。相当な桩功の基礎がなければ、この境地を追求することはできない。

まず樁上で松緊、虚実、動静などの機能を追求する必要がある。樁上で追求するものは全て点上のものだ。点上のものが基礎となる。試力で追求するのは線上のもの、正確に言えば線上と面積のものだ。線上のものができれば、さらに正しい形を加えれば面積となる。偏倚に関わるものは全て試力だ。中国古代武術の魂は樁功にある。清朝から現在まで300年以上失伝したのも樁功だ。薌齋先生の中国武術への最大の貢献は、彼が樁功を継承し、中国古代武術の魂を継承し、中国の武文化を継承したことだ。現代の人が大成拳を継承しようとするなら、必ず樁功を明確にしなければならない。樁功さえ明確になれば、大成拳は失伝しないだろう。

李栄玉『走進王薌齋』大展出版社有限公司より

答疑(5)(『走進王薌齋』より)

問:あなたの書いた文章では試力を樁法の中に入れていますが、站樁は試力を含むのですか?

答:厳密に言えば、樁法は試力を含む。樁が一定の程度に達したら必ず試力を練習しなければならない。樁をどんなに上手く立っても、得られるのは点力だけだ。点力の均整、点力の虚実だ。しかし一本の線上で永遠に力を得るには、試力に頼る必要がある。面積上の力(立体)も試力から得る必要がある。站樁で静力を得ることはできるが、動静は互いに根であり、試力の中で体験して摸勁する必要がある。逆に站樁と試力を通して、動中に静があり、静中に動力があり、面積力、線条力を得た後、この経歴と経験があれば、再び站樁しても点の力ではなくなる。まだ動かずに立っているが、動中に静があり、静中に動があり、虚中に実があり、実中に虚がある力も同様に站樁で得ることができる。温故知新であり、站樁と試力の関係はこのようなものだ。

樁が一定の程度に達したら必ず試力をしなければならない。試力がうまくできないと站樁の継続的な進歩に影響し、樁も非常に高い境地に達することはできない。この水準から言えば、樁功は試力を含むべきだ。搭手も同じ理屈で、詳しくは述べない。

大成拳の核心は筋骨を鍛錬することだ。具体的な鍛錬形式は站樁、試力、搭手だ。浅い水準から言えば站樁は站樁、試力は試力、搭手は搭手だが、深い水準から言えば、站樁、試力、搭手は一つのことだ。一つのことになるまで練習して初めて本当に樁、試力、搭手を理解したと言える。初心者には分けて説明する必要があるが、ある程度功夫のある人には一緒に説明する必要がある。王薌齋老先生はかつて長い期間、站樁だけを言及し、他は何も言及しなかった。彼は大成拳の全てを樁で説明し、技撃も含めていた。彼が最後に教えたのは站樁功で、大成拳には言及しなかった(公の場では)が、言っていたのはやはり大成拳のことだった。この境地に達すると神意の事となり、どんな動作をしても関係なく、全て神意となる。この時、彼の言葉を借りれば「拳本服膺、推名大成」と呼ぶ。

要するに、樁功は試力を含むだけでなく、多くのものを含んでいる。拳の中のことは全て含んでいる。しかし初心者に対しては、やはり站樁は站樁、試力は試力と、混同して話すべきではない。ある程度に達したら自然に結合させるのが良い。

問:試力は遅いものから速いものへ、練習すればするほど速くなるべきではないですか? そうでなければ技撃でどう運用するのですか?

答:試力は遅ければ遅いほど良く、しかも試せば試すほど遅くなる。私には友人がいて、ある太極拳の大家は一つの動作を2時間練習すると言っていた。私は信じなかった。私の体験では、一つの動作をどんなにゆっくり練習しても2時間には達し得ないからだ。もし本当に2時間だとすれば、それは站樁になってしまうのではないか? この話は多少誇張があるかもしれないが、ここから一つの理を見出すことができる。つまり、試力は遅ければ遅いほど良いということだ。

試力を始めたばかりの者は遅くても力がなく、速くても力がない。しかし力を練るには必ず慢から得なければならない。速ければ速いほど力は得られない。もちろんこの力が指しているのは静力だ。長く遅く練習すれば力を得る可能性がある。慢練するだけでなく、さらに止まる必要がある。頻繁に止まり、絶えず止まる。動くときは遅く、動かないときは止まる。このようにしてこそ力を得ることができる。力は慢から得られ、力は停から得られる。力が大きくなったらまた使い方を知る必要がある。搭手の経験と結びつけ、慢の中で体得し、停の中で体得し、慢の中で思惟し、思惟が明確でないときは止まり、思惟が明確になったらまた動く。拳術には「勇を交える者は思惟してはならず、思惟する者は寸歩も難しい」という言葉がある。これは技撃時のことを指すが、試力時は必ず思惟しなければならない。思惟しなければ寸歩も難しい。

技撃時にどう使うかについて言えば、中国武術功夫のある者は技撃時にボクシングのような動作のように速くはない。速く打つ、虚を打つのではなく、功夫のある者は実を打つ。実を打つとは搭手のことだ。守中、用中、奪中を通じて、相手に搭手を強いる。一旦搭手すれば、この種の遅い練習で得た力は速く、大きく、手を合わせれば銃よりも速く、「霊機が一動すれば鳥は飛ぶことさえ難しい」のように速い。この種の力は専ら相手の横竖力の転換の間に鑽り込む。この間が無力なので、誰の力よりも大きいのだ。

試力の正しい方法は遅ければ遅いほど良く、功夫があればあるほど遅い。功夫のない者は遅くしようと思っても遅くできない。

問:形意拳の古い拳譜に「鷂子穿林」という言葉がありますが、これはどういう意味ですか?

答:鷂子穿林の原意は、鷂が林を通り抜けるとき、左右上下の方向をとてもよく把握し、非常に熟練していて、木に触れないことを指す。これは武術の中の「搬」「把」力によく似ている。搬力とは物を持ち上げる力を指す。把力とは物を持ち上げるときに比較的安定していることを指す。例えば、我々の生活で水の入った盆を持つとき、盆自体に重さがあり、搬力が必要だ。水を持つときに水をこぼさないようにするには安定性が必要で、拳では把力と呼ぶ。例えばスポーツ項目の射撃では搬把力が必要だ。銃を支えるには搬力が必要で、テン・リングス(訳注:漫画に出てくる武器)を打つには安定性が必要で、これが把力だ。ただし射撃運動に必要なのは局部的な搬把力であり、武術に必要なのは全身の各関節、各部位の搬把力、三節の搬把力だ。王薌齋生は站樁で静力を出すべきだと言い、静力には「展、抗、横、抖、順、劈、楼、搬、把、撑」の力が含まれると言った。搬把力は静力の中の二つの力だ。鷂子穿林が言っているのは、功夫がある程度に達したとき、身体の中に現れる一種の感覚のことで、この感覚が大成拳で言う搬把力なのだ。

問:「形は破体せず、力は出尖せず」とはどういう意味ですか?

答:形は破体せずとは、技撃時に中線を守るべきで、動作上で中線を守るべきということを指す。中線とは敵味方双方の最短距離を指す。中線を守れば、相手が私を攻撃する時必然的に中線を避けることになり、そうすると遠回りになり、私は時間を稼ぐことができる。中線さえ守れれば、敵味方双方の競り合いで既に先機を制したことになる。動作で中線を守る鍵は力にある。この種の力は必ず静力でなければならない。この種の力の源は自争で、大きな幅の動作を必要としない。動作の幅で発力すると中線を守ることはできない。仮にあなたの動作が中線上にあるとして、一度引けば、動作に幅が出てしまえば既に中線上にはなく、自然と中線が露出してしまう。この時、形が既に破体したと言える。静力というこの種の力を、王薌齋老先生は渾円力と呼んだ。渾円力は立体的な円であり、平面的な円ではない。渾円力は出尖しない。力が一度出尖すれば局部的な力となる。渾円力は整体力なので、力が出尖しない機能を持つ。形が破体しないようにするには、必ず渾円力の保障が必要だ。渾円力があってこそ、力は出尖しないことができる。出尖し力を備えてこそ、中線を守ることができ、形が破体しないことができる。しかし中線がどこにあるかを知る必要がある。渾円力を備えた人だけが中線がどこにあるかを知っている。中線がどこにあるかを知り、動作肢体が中線上にあってこそ、形が破体しないと言える。

「形は破体せず、力は出尖せず」は大成拳の最高境地だ。郭雲深の言葉を借りれば「化勁」段階の事だ。大多数の大成拳を練習する人にとっては、やはり基礎的なものをより多く研究すべきだ。基礎的なものとは筋を伸ばし、意を練り出し、静力を練り出すことだ。

李栄玉『走進王薌齋』大展出版社有限公司より

答疑(4)(『走進王薌齋』より)

問:大成拳の練習は先ず站樁ですが、いつ試力を練習すべきでしょうか?

答:大成拳の学習を站樁から始めるのは正しい。站樁の主な目的は静力を鍛錬することだ。静力とは動かない時に力があることで、自身の争力によって得られる力だ。站樁を練習しない人には静力がない。人体には百の関節があり、多くの部位があり、大きな面積がある。静力は一つの関節、一つの部位ずつ、点から面へと少しずつ鍛錬されていく。おおよそ静力が人体の各関節、各部位の半分ほどに現れた時に試力を練習できる。早すぎても意味がなく、王薌齋の言葉を借りれば「力がないのに何の力を試すのか」となる。遅すぎると進行を妨げる。試力とは動いている時に静力を現すことだ。動力と静力は合わせなければならず、いつでも合わせなければならない。動静の力が合えば、逆に站樁を助け、站樁時に静力があり、さらに動力もあり、動静の力がまた合わさる。樁を正しく立てず静力を認識できないことを専門用語で力がないという。力がない時に試力をするのは時間の無駄だ。だから、必ず站樁を通して静力とは何かを知り、力とは何かを理解してから試力をするべきだ。試力の中で動静の力が合えば、逆に站樁を促進し、樁の進歩をより速く、より強くする。

問:内清虚、外脱換とは何ですか?

答:内清虚、外脱換は西方インドの僧侶達摩の洗髄経と易筋経に由来する。南北朝時代に達摩が東来し、中国で洗髄経と易筋経を伝授した。洗髄経の洗髄が内清虚と呼ばれる。洗髄は主に気を練り、気を養い、内障を清めることで、非常に良い養生効果があるという。外脱換は易筋経の易筋で、易筋を通して筋を長く、縦に、順にする。易筋の法を通して人を力強くできるという。洗髄、易筋の法は養生と技撃が共存する難題を解決した。後にこの方法は中国武術家に利用され武術に融合され、非常に成熟した武文化として完成した。武術の練習ではこの方法を筋骨を鍛える、または功夫を練るといい、「洗髄易筋の法」とは呼ばないが、我々のこの練習方法は達摩の『洗髄経』と『易筋経』に由来し、後に多くの中国武術の大家は達摩を「老祖」と呼んだ。

洗髄経と易筋経は西方に由来するが、この学術は西方では発展せず、中国で、特に中国武術の中で輝かしい発展を遂げた。王薌齋先生が達摩の言葉「内清虚、外脱換」を引用するのは非常に正常で、彼自身が筋骨と功夫を鍛錬する継承者の一人であり、しかも非常に適切に、的確に運用していることから、彼が筋骨と功夫の鍛錬を完全に理解していることがわかる。

問:少林拳外家拳ですか?

答:少林拳外家拳ではない。明朝以前の武術は一派しかなく、それが少林拳だった。明末清初に中国で多くの拳派が現れたが、全て明朝の武術から発展したものだ。明朝の武術は公開で伝承され、誰もが同じように、誰が教えても同じで、新しいものではなく、站樁と慢練だった。清朝になると、武術は密かに伝えられるようになり、民間伝承に入り、あらゆる面で保障が得られなくなり、多くの派別が生まれた。中国の各派武術は全て少林拳から変化したもので、もし少林拳外家拳なら、中国に内家拳はあり得ないだろう。練習者が少林拳外家拳として練習するのは別の話だ。少林拳自体は外家拳ではなく、どんな拳でも練習が良くなければ外家拳で、良く練習できれば全て内家拳だ。何の拳であれ、その根源は一つの流れ、それが少林拳だ。天下の武術は少林から出たというのは、先人から伝わる言葉だ。大成拳も練習が良くなければ外家拳になる。

問:「持環得中、以応無窮」とは何でしょうか?

答:「持環」の意味は四方八方に意識があるということで、環は円の意味だ。最も理解が難しいのは「得中」だ。得中とは「力を得る」ことを指し、「力が中上にある」「力が中間にある」ということだ。斉執度先生は力が十字路にあると言い、これも形象的だ。站樁ができる人にとって「力が中上にある」の理解は難しくない。なぜなら樁を一定程度立てると力は中間に来るからだ。站樁をこの程度まで立てると、自然と「力が中上にある」とはどういうことかわかるようになる。得中の力が静力だ。静力の力はまさに中上にある。静力はまず站樁で認識し、得られ、そして小さいものから大きいものへと変わる。静力は筋骨力で、筋骨を鍛錬する人だけが静力を得られる。筋骨力の発力は自分で争うことで完成され、自持力の出現は人体が動かない中で完成される。動かない中の力が筋骨力で、静力だ。力が中上にあってこそ横力と竪力の平衡が取れ、敵が竪力を使えば横力を使い、敵が力を使えば竪力を使い、敵に先んじることができる。この程度に達してこそ、複雑な技撃の中で横力と竪力の平衡を見出し、「以応無穷」することができる。他のスポーツの力は振り回すことに頼り、動作の幅で完成される。例えば、力がすでに中上にあり、左に力を発しようとすると、動作で左に一尺振り回す必要があり、このとき力はすでに中位から外れている。もし再び中央に力を発しようとすると、また右に一尺振り回す必要があり、往復で二尺になる。つまり中位から左右各一尺、合計二尺ずれることになる。

得中の力とはどういう意味か? 左に発力しようとする時、何の動作もせずに、自身の関節を一つ争うだけで、左に向かって発力することができる。この時、彼は動いておらず力はまだ中上にある。右に発力する時も同様だ。どの方向に発力しても、動作はなく、身体は動かず永遠に中位にあり、永遠に中を失わない。技撃がどんなに複雑でも、力は二つしかなく、それは横力と竪力だ。横力と竪力をうまく処理さえすれば、複雑な技撃の中で永遠に中を失わず、これを持環得中、以応無穷という。

技撃の中で持環得中、以応無窮を実現するには、もう一つ必須条件がある。それは搭手だ。技撃時には必ず搭手の形式で完成させなければ、持環得中、以応無窮を実現できない。「持環得中、以応無窮」という一句は、大成拳の站樁、試力、搭手の全訓練過程に関わっている。大成拳には完全で科学的な訓練体系があり、よく練習した人、功夫のある人だけが技撃の中で「持環得中、以応無窮」を実現でき、このような境地に達してこそ、中国五千年の武文化を体現できる。

問:なぜ技撃は「拳の末技」と言われるのでしょうか?

答:この言葉を言った人は必ず武術を徹底的に研究し、一つの国家、一つの民族、一つの社会の角度から問題を見て、このような結論に達したのだろう。この言葉を説明するのは実際とても難しい。なぜなら、これは中国武術の発展史と武術の訓練内容に関わるからだ。この二つの面について十分な理解があれば、この言葉を理解するのは難しくない。

まず武術発展史から見ると、人類が存在して以来武術はあったが、当時の武術は絶対に技撃を主な目的としていた。当時の社会では、誰の技撃水準が高いかが、富と権力の象徴だった。かなり長い期間、一つの国家、一つの民族、一つの部族は全て武術を現在の国防力に相当するものとして発展させ、あらゆる物資と人力を惜しまなかった。科学、政治及び他の学科の出現に伴い、後に武術は戦争における役割が徐々に小さくなった。例えば宋朝では、岳飛の軍隊は全て中国武術を練習し、戦争でも連戦連勝したが、当時「山を動かすは易しいが、岳家軍を動かすは難しい」と言われた。しかし最後には皇帝が捕らえられ、局部的な戦争には勝ったが、全体の戦争には負けた。その時から、戦争に勝つのは武術ではなく、武術以外のものだということがわかる。清朝に至っては、武術は完全に民間に追いやられ、民間でしか伝承できなくなった。

訓練内容から見ると、非常に早い時期から、武術は一つの国家の国防軍事力に相当するものだったため、必然的に重視され、投入される人力、物力は絶対に大きく、発展も速かった。「一拳一腿一刀一槍」から「禽獣の長を借りる」まで、さらに達磨の洗髄易筋之法に至るまで、それは非常に高い水準に達し、その訓練内容は既に単純な筋肉の練習から人体深層の筋骨鍛錬へと転換していた。

中国武術の筋骨鍛錬法は養生と技撃の両面で想像を超える神奇な効果がある。古今東西の技撃術は養生できず、病気を治せない。養生術は技撃できない。中国武術は養生と技撃を兼ね備えることができる。この点だけでも、哲理的に言えば必ず深い道理があるはずだが、この道理は今日まで科学では説明できない。一旦科学で説明できるようになれば、必ず科学、医学、経済に大きな推進力となり、恩恵を受けるのは全人類だろう。

当初、王薌齋先生が功夫を練習したのも技撃家になるためではなかった。彼は幼い頃から喘息を患っており、病気を治し身体を養うために功夫を練習したのだが、結果的に武術の大家になった。王薌齋先生は民国初期に多くの人を教えたが、その多くは中国の大政治家、大軍事家、大軍閥、大芸術家だった。これらの人々が拳を練習したのは技撃のためだろうか? 大総統に技撃が必要だろうか? 軍隊の総司令に技撃が必要だろうか? しかし彼らはなぜ拳を練習し、筋骨を鍛えたのか?それは技撃以外のものを必要としたからだ。これらのものは技撃よりもさらに重要なのだ。

中国古代では、武人だけが功夫を練習したわけではなく、文人も士大夫も功夫を練習した。功夫は非常に高雅な文化で、中国で非常に高い地位を享受していた。明代に至ると、功夫は中国でかなり普及し、素質の低い一部の人々が功夫を練習して技撃を大技とし、至る所で勇を誇り力を争うようになり、中国功夫の地位が少し低下した。文人士大夫は徐々に武壇から退くようになった。清朝に至っては、中国功夫を民間に押しやり、それ以来中国功夫の筋骨鍛錬法は失伝し始め、世代を追うごとに劣化していった。

中国武術の筋骨鍛錬法は、その機能から言えば、あらゆる人々に適している。強者は練習を通してさらに強くなり、老弱病残者は練習を通して強くなれる。つまり、誰でも拳を練習できる。それは運動の休息であり、また休息の運動でもある。体力労働者が筋骨を練習すれば休息の目的を達成でき、頭脳労働者が筋骨を練習すれば運動の目的を果たせる。どんな人でも、筋骨の練習を通して人の生理を改造し、五臓六腑を正常に働かせ、人体を健康にできる。逆に、健康な身体は人の心理に作用し、人を聡明で精神的にさせる。さらに逆に、良好な心理状態は生理に作用し、人の身体をより健康にし、人を良性循環に入らせ、より良く生活し、仕事ができるようにする。

中国人がこの土地で生存できたのは、中国武術が軽視できない役割を果たしたからだ。それは自衛、健康、病気予防などの面で巨大な役割を果たし、その役割は医薬では代替できないものだ。技撃を好む者は広大な人々に比べれば一部に過ぎず、大多数の人が最も必要としているのはやはり養生だ。中国武術の筋骨鍛錬法は全方位的に発展してこそ、人類に巨大な貢献ができるのだ。

中国の武術家の中には養生のために武術を習練する者もいれば、技撃のためだけの者もいる。目的が何であれ、ある程度まで練習すると皆が共通の見解を持つようになる。それが「技撃は拳の末技なり」ということだ。

問:なぜある人々は長年拳を練習しても拳譜を理解できないのでしょうか?

答:実は理由は非常に単純だ。過去に拳譜を書いた人は一般的に武術の大家だった。練習を理解していない人は拳譜を書く勇気がなく、書くのも恥ずかしいと感じていた。一般的に言えば、武術の大家は皆功夫を練習し、筋骨を鍛えていた。彼らが書いたのも筋骨を鍛える際の体験と効果だった。現代の人々は一般的に肌肉を鍛えているが、肌肉と筋骨の感覚は全く異なる。だから、筋骨を鍛えた人が書いた拳譜をどうして理解できるだろうか?

筋骨を鍛えて得られるのは静力と動力の合力だ。肌肉を鍛えると動力は得られても静力は得られない。これは人の生理が決定しているのだ。力が異なれば、力の使い方と法則も異なる。筋骨力を使う方法は全て外形が動かないか、外形の制御を受けない状況で運行する。現代の人々はこの種の力の使い方を特定の動作に付加しようとするが、これではどうして合うだろうか?

現代の人々も拳譜を書くが、皆理解できる。しかしそれでは、古い拳譜と合わない。肌肉を鍛える人は肌肉を鍛える人が書いた拳譜は理解できるが、筋骨を鍛える人が書いた拳譜は理解できない。筋骨を鍛える人は筋骨を鍛える人が書いた拳譜も、肌肉を鍛える人が書いた拳譜も理解できる。肌肉を鍛えるのは比較的単純で直接的で、皆よく見かけ、よく聞き、宣伝も多いので、自然と理解しやすい。筋骨を鍛えるのは違う。一般的に理解しづらいが、実は筋骨を鍛えることこそが中国の武文化なのだ。

李栄玉『走進王薌齋』大展出版社有限公司より

答疑(3)(『走進王薌齋』より)

問:大成拳は中国武術各門派の長所を集めたものでしょうか?

答:そうではない。私も大成拳に初めて触れた時はそう聞いていた。1980年代、常志郎先生に系統的に大成拳を学んだ時、私も無意識に「大成拳は中国武術各門派の長所を集めたもの」と言ったが、後に常先生に訂正された。王老先生は「大成拳は天下の大成を集めたもの」と言った。天下の大成を集めるとは何か? 第一に、中国の人類誕生以来の真の格闘経験、王老先生の言う「一拳一脚一刀一槍の時代」。第二に、禽獣の長所を吸収した時代。第三に、筋骨を鍛錬した時代、これ以降中国武術は成熟し、練法、用法が形成された。前の二段階は中国のもので、後の筋骨鍛錬段階は外国のものである。一、三段階は人間のもの、第二段階は動物のもの、故に天下の大成を集めたと称する。この言葉も薌齋老先生の言葉ではなく、代々口伝心授されてきたものである。

中国武術の全盛期は明朝で、明朝以前の武術は派に分かれておらず、全て一派で、少林拳と呼ばれていた。明朝滅亡後、清朝政府は中国武術を発展させず、中国の武術家も清朝政府に中国武術を理解・把握させたくなかった。大部分の武術家は伝承しない方法を採り、中国武術が失われても清朝政府の手に落ちるのを望まなかった。少数の武術家は、この武術を失わせないために、密かに中原人(彼らは清朝を外国人と見なした)に伝えた。そのため形意、太極、少林拳の各派が現れ、後に八卦掌も出現した。

民間伝承のため、経済、人的資源等の保障が得られず、西洋文化の影響もあり、中国武術套路、招式を発展させ始め、表演に有利になった。薌齋先生はこれを「生計を立てられない者」と呼んだ。この意味で、中国武術各門派の本来の意図は明朝以前の武術であり、全て天下の大成を集めた拳術で、各門派の長所を集めた一門の拳術など存在せず、各門派の原始は全て一派であった。

王薌齋先生は生涯、中国明朝以前の武術の伝承を提唱し、彼の言葉で言えば「志を立てて拳学を唱導し、元始に復古する」であった。中国武術の発展は三段階を経て成熟した。この三段階は多くの武術の大家に天下の大成を集めたと呼ばれ、王薌齋は「大成」の二字を用いた。その心は、彼の拳が明朝以前の武術であることを示すためであった。王薌齋の拳は理論から実際の練法まで代々伝わってきたもので、大成の二字さえも王薌齋自身の創作ではなく、多くの先人の意図であり、彼がこの二字で拳を命名しただけである。王薌齋によると、形意拳も姫際可の創作ではなく、このような深遠な拳術は一人の姫際可では創り出せず、千人万人の姫際可でも創り出せない。彼も継承したものであり、ただ記録がなかっただけである。中国武術の各門各派は誰か一人が創り出したものではなく、中国五千年、千千万万の能人が共同で創造したものである。王薌齋老先生はよく言っていた、一人で創れる拳は価値がなく、価値のある拳は一人では創れないと。

問:技撃を練習したくなく、養生だけを練習したいです。大成拳の站樁は養生価値が高いと聞いたが、養生面の知識をもう少し詳しく話してもらえないでしょうか?

答:まず肯定すべきは、あなたの心構えが特に良く、大成拳を練習する上でこのような心構えを持つべきで、大成拳の規律にも合っている。大成拳の練習は本来養生から入るべきで、多くの人が最初から技撃を学ぼうとするが、結果として急ぐと達成できない。中国には多くの武術の大家がいるが、彼らが拳を練習した当初の目的は身体を鍛錬することで、武術家になろうとは全く考えていなかった。結果として後に大武術家、技撃の高手となった。王薌齋老先生もそうだった。

大成拳の核心は筋骨の鍛錬で、骨を鍛えることは気を養うことであり、気は骨から生じ、気が十分に養われれば身体は自然と良くなり、抵抗力も強くなる。筋を鍛えることは気を全身に送ることで、気が四梢に貫く。気が十分で上昇下達し、陰陽の平衡が取れれば、自然と百病は生じず、たとえ病気になっても治りやすい。人が病気になるのは全て気血不足か、経絡が通じないことが原因だ。正常な人は、気が経脈を通じて全身に運ばれるが、経脈に一旦問題が生じると、気血がある経脈で通じなくなり、疾病を引き起こす。筋骨を鍛錬することは、経脈を良い状態に保ち働かせるだけでなく、筋も鍛え、筋も気を送る通路となる。南水北調工事のように、南方は水が多く北方は水が少なく問題が生じやすいので、人為的に南方の水を北方に送り、北方に二つの管路で給水し、北方の用水を確保する。筋を鍛えるのもこの理屈で、経脈で気を運ぶのは生まれつきのもので、親からもらったもの。後天的な鍛錬で筋を鍛え出し、気を運ぶ通路をもう一つ増やし、我々の身体に問題が出ないようにする。これは薬ではできず、自分で練習するしかない。

大成拳の練習において養生と技撃は切り離せない。養生は技撃の基礎で、養生がうまくいけば技撃を練習したくなくても難しい。もちろん技撃を練るからといって、必ずしも技撃という競技に参加するわけではないが、よく練れば必ず養生と技撃を同時に備える。王薌齋には多くの弟子がいて、技撃能力は皆優れていたが、彼らは政治家、軍事家、芸術家などで、具体的な状況により、技撃という競技に参加することはできなかったが、それは彼らが高い技撃能力を持っていないということではない。養生から大成拳の練習に入るのは非常に良い考えで、大成拳を練習する自然な規律に合っており、このように練習すればかえってうまくいく可能性がある。養生が最も重要で、人は中高年になってこそ、この点を深く理解できる。体調が良いことが人生最大の幸福だ。この意味で、大成拳の練習は一生人に奉仕でき、生涯享受できる。

問:含蓄とは何でしょうか?

答:「含蓄」は薌齋老先生がよく言及する概念で、含蓄は拳を練習してかなり高い境地に達した時に身体に現れる一種の状態で、弓に矢をつがえた状態のようで、手を離せば矢が飛んでいく。この状態は生理学的に言えば、身体の力を使うべき場所で力を使え、力を使う必要のない場所で完全に放松できる状態だ。つまり、緊張すべき場所で緊張でき、緊張する必要のない場所で放松でき、松緊が同時に存在する。また、「力を発しようとして発していない」状態が含蓄とも言える。筋骨の鍛錬は人の生理を改造することで、含蓄状態は筋骨の鍛錬がある程度に達した時に身体に必然的に現れる一種の状態だ。

意念から言えば、先人は含蓄を一般に「烈馬が手綱を噛むように」や「鷹が鶏舎に下りる用に」と形容した。意念は生理改造の過程で現れる一種の像で、まず生理的な変化があり、何かに似ている状態が現れる。この何かに似ているのが意念だ。意念は空想で考え出すものではない。もし筋骨の鍛錬を行わず、生理的な変化が起きず、松緊が同時に存在できない状態で、単に「烈馬が手綱を噛む」「鷹が鶏舎に下りる」を想像させても、身体のその状態を想像できるだろうか? たとえ想像できても、身体が含蓄の状態にあり、一触即発、感じたらすぐ反応できるだろうか? 含蓄はこのようなもので、他の拳学の概念も同様で、全て筋骨を鍛錬して練り出したもので、空想で考え出したものではない。正しい形を通して筋骨を鍛錬し、生理が変化すれば、意念が現れる。意念が来たら意念を留めて意で拳を練習できる。

含蓄状態は技撃において非常に大きな作用がある。技撃時に一旦二つの力が接すると、すぐに発力することができ、動作の調整をする必要がない。含蓄状態に達することができれば、筋骨はかなり高い程度まで鍛錬されたことを示し、この時気血は充足し、上下が通じ、気も基本的に四梢に貫くことができ、これは養生に非常に良い。

李栄玉『走進王薌齋』大展出版社有限公司より