意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

気的有関理論(『形意大成拳』より)

形意大成拳の気の理論は、中国伝統文化の中の気功理論に源を発し、中国伝統武術と源を同一にしている。それらは主に以下のいくつかの面に体現されている。

まず、気功の発祥地は中国である。気功は中国で数千年の悠久の歴史を有している。儒家気功、仏家気功、道家気功、医学気功、武術気功などに分けられる。医家気功は保健、延年を強調し、道家気功は性命双修を求め、仏家気功は明心見性を求め、武術気功は練気、発勁などの技撃応用を重視する。

次に、気功の主な練法には周天、存想、導引、吐納、禅定の五大派がある。中国気功は天人合一、形神合一、整体如一の整体観を体現している。気功は中医、武術とともに、重要な中華伝統文化とされ、世界中の多くの人々に愛好されている。ほとんどすべての気功を知る人は、気功が強身健体、修身養性できると認めており、気功に反対する人でさえ、程度が異なるだけでこの観点に同意している。なぜなら、人々は確かにこの否定できない事実を見たり体験したりしているからである。

第三に、武功を習練する中で、呼吸は自然でなければならず、一般的に腹式順呼吸と腹式逆呼吸の二種類の方式を用いることができる。腹式順呼吸法とは、吸気時に小腹が膨らみ、呼気時に小腹が内収することを指す。腹式逆式呼吸法とは、吸気時に小腹が内収し、呼気時に小腹が膨らむことを指す。

第四に、人体の気は三層に分けられ、すなわち皮下層(経絡の気)、筋骨層(筋骨の気)、内里層(丹田五臓の気)の三層である。修練方法は異なり、外から内に向かって練るものと、内から外に向かって練るものがある。武功の修練は外から内に向かって練るもので、つまり皮下層から練り始め、外から内に向かって練る。これにより功がより速く上げることができ、高級武功の修練である。例えば、整体樁から言力を練り、浑圆樁から守形を練り、虚無樁から守静を練るのは、外から内に向かって練るものである。逆に、先に虚無樁から守静を練るのは、内から外に向かって練るものである。一つは力、気、静から練り、一つは静、気、力から練る。理論的には、外から内に向かって練る方がより合理的である。外から内に向かって練ると、練精化気、練気化神、練神還虚の三層の道理に符合するからである。

第五に、気功は武術の修練において主に二種類に分けられ、すなわち養気と練気であり、つまり静功と動功である。一般的に静功は養気の修練方法であり、動功は練気の修練方法である。養練結合は気の修練における大道であり、内功向上の必由の道である。気は養うことで増え、練ることでその運化を知る。形意大成拳を習練して気功を練るには、まず站樁しなければならず、站樁によって気を生じさせ、次に試力して動き、発力によって到達し、技撃によって用いる。樁功養気の過程において、気化と静化の過程を経る。この過程において、気化はさらに練精化気、練気化神、練神還虚の三つの異なる段階に分けられる。静化は雑念不生から静まで、静から極静までの過程を経る。一つは気が静によって養われ、養うことで内気が徐々に増える。二つ目は気が動によって練られ、練ることでその丹田を通じ、その運化を知る。逆に、養うだけで練らなければ、気はその運化を知ることがない。練るだけで養わなければ、功夫は伸びづらい。練養結合し、動静結合し、相互に促進し合って、初めて高功を得ることができ、大道となる。

第六に、形意大成拳は内家拳であり、内気を練り通すには二大環節が必要である。内家拳の奥妙は練気の奥妙であり、如何に練気するかを知らなければ、何が内家拳であるかを知らないのと同じである。内家拳は気功拳であり、低から高まで、必ずまず丹田を通じ、丹田の気を得なければならない。次に周身の気を通じ、渾円一気を得る。内気が貫通すれば、気は水のように体内を運動する。拳の内勁を練り出したいのであれば、内気の練習から始めなければならない。気は内功の核心である!

中国の気功理論は博大精深であり、変化無常で、非常に理解することはできない。そして中国武術が無限の魅力を持つ鍵も気にある。気は生命の本であり、力の源泉であり、気は中国武術の神秘の所在なのだ! 内家三大拳はいずれも丹田を離れられず、気を根本とする修練を離れられない。武術気功は主に技撃と養生の二つの面がある。技撃は意をもって気を引き、気をもって力を発することを言い、養生は立って動かず、精神内守することを言う。武功は養生と技撃の完璧な結合を要求する。両面は互いに促進し合い、共に向上し、そうして初めて上層の武功を練成することができる。

古語に、内は一口の気を練り、外は筋骨皮を練ると言う。気功の主な作用は、精、気、神の練習である。中医は精、気、神は無形の極めて細微な物質であり、人体生命活動の根本であるとしている。古代の養生を重んじた人は、みな精、気、神を人身の三宝と称した。彼らは人の生命の起源は精であり、生命を維持する動力は気であり、そして生命の体現は神の活動であると考えた。そのため、精が充実すれば気も十分となり、気が十分であれば神も旺盛になる。精が不足すれば気も虚となり、気が虚であれば神も少なくなると言う。逆に言えば、神が旺盛なのは気が十分であることを示し、気が十分なのは精が充実していることを示している。外拳は気を語らず、ただ体力の発揮、筋肉の発力であるに過ぎない。彼らが言うのは筋肉の松緊による慣性の発力である。

形意大成拳の修練において、武功の気の修練には皮下層経絡の気、筋骨層筋骨の気、内里層五臓及び丹田の気が含まれる。これらはいずれも内気運行の主要部分である。これらの気は丹田から気を生じ力を発することを通じて生まれる。したがって、丹田は人体の発動機のようなもので、丹田の気は超常の力量を生み出すことができ、気は丹田から周身に到達することができる。丹田の気を練り出すには、さらに専門の修丹方法が必要である。点から周身に至ってこそ、渾円を修める正しい道筋なのである。

気功理論には気沈丹田という説がある。そして形意大成拳における気沈丹田とは、気が反復練習を通じて、気流を形成し、丹田に沈入することができ、勁を蓄えて発力し、行気を運用し、内勁を行走させることができるということを指す。この気沈丹田は硬気功、気貫丹田、気入丹田とは異なる。貫と入は努力して気を下に押し込めて丹田に入れる現象であり、気沈丹田は自然に任せ、本能的な入丹現象を形成するのである。

丹田は上中下に分けられる。上丹田は蔵神の府であり、中丹田は蔵気の府であり、下丹田は蔵精の府である。丹田は精気神を蓄える場所であるため、丹田の修練は極めて重視される。そして形意大成拳を習練する時は、三つの層次を経る必要がある。下丹田は蔵精の府であり、整体樁を通じて精を練って気に化することができる。中丹田は蔵気の府であり、渾円樁によって気を練って神に化する。上丹田は蔵神の府であり、最後に虚無樁によって神を練って虚に還る。

王建平『形意大成拳』五洲伝播出版社より