意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

張樹新先生の著書『紀念于永年先生百年誕辰談意拳(大成拳)的「緊松」訓練』

筆者は意拳(大成拳)の大師王玉芳先生(王薌齋宗師の二女)の義理の子及び弟子であり、義母の委託を受け、筆者は何度も于永年先生の所を訪ねた。義母の話では、我々のこの一派は皆親しみを込めて于永年先生を于大舅と呼んでいる。

于老先生に会う度に、先生は私に先ず站樁をさせ、絶えず手で私の足首、小腿、大腿、腰腹、背中、上腕、前腕、手首、掌指等身体の各部位を捏ねて、私の站樁の状態に進歩があったかどうかを検査する。

于老先生は私に直接言われた。「当時薌老が大成拳の訓練方法を書く時、最初の原稿では緊松の訓練を行うと書いていたが、清書の時、薌老は緊松を削除し、松緊に変更した」。于老先生がその時非常に真剣に言ったのを覚えている。「薌老の学説は緊松であって松緊ではない。緊松と松緊は同じ事ではない」。私が帰って資料を調べてみると、薌老の文章では確かに「松緊」について多く言及されているが、時折「緊松」も見られる。例えば薌老は「……内は虚霊、外は挺抜にして、舒適得力を基本的な不動の原則とする。更に剛柔、虚実、動静、緊松が同時に起参し、互いに錯綜して作用する」(王薌齋『意拳総綱』)。しかし薌老のこの論述は、もし注意しなければ、「緊松」を「松緊」と見なしやすく、特別な説明がなければ、一般の読者は「緊松」と「松緊」にどのような違いがあるのかに気付かないだろう。

私の義母王玉芳先生も、訓練のある段階では身体に対して系統的な「緊松」の訓練を行う必要があると特に述べていた。義母の訓練方法は于永年先生の訓練方法とは少し異なるが、全体的な考え方は同じだと見ることができる。義母の訓練方法は外力によって引き起こされ、外部の意念の作用下で、自身の骨格は内側に緊縮し、外力は外側に牵拉する。この「緊松」の訓練は継続的な緊縮ではなく、一旦緊にしたらすぐに松にする。即ち「緊松」訓練時、身体はほんの少し緊の状態でさえあればよく、すぐに松にしなければならない。一松すればすぐに自身の骨格は外力に拽開し、その時また緊縮せざるを得ない。このように、緊緊松松を限りなく続ける。意識は粗野から精妙へ、速度は慢から快へ、勁力は拙から巧へと変化する。

薌老の言う「外挺抜」も外力によって引き起こされるもので、意念の作用下で、外力が自分を外側に牵扯し続けていると想像し、自分が絶えず伸長するようにする。薌老には「上に綱の線につながっている」という言葉がある。挺抜と対立するのは、正に筋骨の収縮訓練である。言い換えれば、挺抜は実は収縮のためにあるのであり、正に収縮するためにこそ、挺抜が要求されるのである。なぜなら「発は収である」からである。薌老の「舒適得力」は、その前提は力が過ぎてはならない、即ち執着してはならないということである。また、周身が合一して初めて「舒適得力」が可能になる。

更に薌老の「剛柔、虚実、動静、緊松」は、私は一つの事物のいくつかの側面、或いは一つの事物の異なる表現であると考える。例えば「緊松」ができれば、それは動静の結果であり、「緊松」ができれば、虚実ができたということであり、「緊松」ができれば、必ず剛柔の勁力の変化がある。別の角度から言えば、剛柔ができれば、それは虚実の変化があり、また一種の動静の変化でもあり、また「緊松」の変化でもある。虚実も同じで、即ち虚実があれば必ず剛柔、動静と「緊松」がある。私は一貫して薌老の学説は立体的だと考えている。薌老は一つの事だけを単独で語らず、全ての事は相互に関連しているが、またある程度の区別もある。これは立体的な観点であり、また彼の渾円整体観でもある。これこそ薌老の言う「同時に起参し、互いに錯綜して作用する」ということである。

于永年先生が語った「緊松」の問題は、「第二随意運動」の問題に関わっている(于永年先生著『大成拳站樁与道德経』を参照)。于老先生の練習方法には多くの独創的な点があり、彼の理論的観点は多くの面で薌老の理論学説を豊かにした。動物界ではこの「緊松」の力を見ることができる。例えばコブラが攻撃を仕掛ける時、一瞬で身体を膨らませ、雄鶏の羽毛も突然逆立つ。実は人も突然身体が膨らむことがある。

意拳(大成拳)の「緊松」訓練は精神に作用し、これによって周身の毛髪や筋骨及び気血を「緊松」させ、身体の外の阻力及び宇宙空間と呼応させることができ、薌老の言う至高の境地である悠揚に合致することができる。この悠揚の状態が突然爆発を生じさせることができれば、それが薌老の言う爆発力となる。故に、「緊松」訓練は爆発力の基礎功法であり、また爆発力が生じるための前提条件とも言える。

于永年先生は生涯「緊松」訓練を堅持し、また文章を書いて「緊松」訓練を提唱した。筆者の義母である恩師王玉芳先生もその家伝の訓練体系の中に「緊松」の訓練内容を含めている。于老先生の腰は特殊な年代に傷を負ったが、傷があるにもかかわらず、94歳の高齢(1920年3月31日—2013年10月2日)まで生きた。義母王玉芳先生の足も傷を負ったが、90歳を超える高齢(1921年1月7日—2012年3月14日)まで生きた。これは「緊松」の訓練方法に問題がないことを示している。この「緊松」訓練こそ、薌老の言う「大動は小動に及ばず、小動くは不動に及ばない。不動の動こそ生生として絶えることのない動である」の体現である。「緊松」訓練は外見上はわからないが、人の身体は外見上は全て静止しているように見えるが、周身は運動を止めておらず、しかも「生生として絶えることのない動」である。しかしこれらの運動は全て執着してはならず、非常に軽霊でなければならず、更に多くは意念が運動しているのであり、筋骨は時々ほんの少し呼応しているだけである。この度合いの把握が、全ての鍵中の鍵である。

意拳(大成拳)には骨格の「緊松」訓練の他に、更に進んだ訓練がある。それは骨格が収縮する時、周身の関連する大筋を全て興奮させることである。つまり周身の大筋を動かし、緊にしなければならない。大筋の運動に伴い、骨格の「緊松」状態はさらに強化されるが、大筋の運動も度合いを掌握しなければならず、やはり一緊すればすぐに松とし、緊緊松松は無窮に続けなければならない。これは意拳(大成拳)の「骨縮筋伸」という理論とも合致している。

この骨格と大筋の「緊松」訓練の後、更に進んだ訓練では、空間の収攏訓練を行うことができる。例えば意念で身体の外の空間の能量を身体の中に収縮させ、骨髄に浸透させ、骨髄も意念の中で「緊松」運動をさせる。即ち「骨」と「筋」を訓練するだけでなく、「髄」も訓練しなければならない。この方法は「易骨、易筋、洗髄」の功と異曲同工の妙がある。

上述の全ての訓練は執着してはならない。「執着しない」ことは中国武術の内功訓練の核心的な要求である。ただ「執着しない」ことは言うのは易しいが、実行するのはそれほど容易ではない。「執着しない」という理念は平凡に見えるため、多くの人は大抵それを重視していない。今、筆者はここに「緊松」の功について書いたが、それはレンガを投げて玉を引き出すだけであり、またこの場を借りて、意拳(大成拳)の大師于永年先生の百年誕生記念日に、故意拳(大成拳)大師于永年先生への追悼と意拳(大成拳)の全ての故人の先輩への敬慕と追憶の意を表したいと思う。