意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

応怎様理解拳学中的「透」?(『大成拳学練300問』より)

「透」は王薌齋先生の論述の中で非常に多く出てくる。例えば、「指端力透電」、「透脊達背」、「風のように体を透す、堂を風が穿つようである」など、拳学の中にはさらに「練時は透功を包み、敵を放てば必ず空を飛ぶ。もし三要則を悉くすれば、功は自然に至る」、「透は意であり、行である。諸法が備われば、妙は無窮である」がある。「透」は拳学の中で以下のいくつかの解釈がある。

(1)透:「指端力透電」は、身から発する力が最後に手の指先まで伝導し、力が電気のように貫通して一気に、敵の身体に作用することを指す。

(2)透達:「透脊達背」は、意力が相手の胸を透過し、脊背の深部まで達することを指す。

(3)穿透:「風のように体を透す」は、站樁功の練習時に、外界の空気(風)が自分の身体を透過するかのような意味で、実際には風や空気は皮膚を通って身体の肌肉、骨格、内臓を吹き抜けることはできないが、これは松和した状態で站樁するときの外界に対する微細な感覚であり、「風のように体を透す」の「ように(=如)」という字は、まるで風が体を透過するかのようだという意味を比喩している。

(4)神、意、形、力の全面的な「透」:「練時は透功を包む」、「透は意であり、行である」は、拳の練習と応用には透を目的とする内容が含まれており、神、意、形、力、気、声の六功がすべて用いられ、すべて透に達することを指す。また、諸功を合わせて透用する意である。

(5)参悟の透:法要を参透し、真髄を悟透し、功用を練透し、達透の用を意とすることを指す。

(6)三要則:透の三つの功夫、三つの段階を指す。一つは三種の功夫と三つの練用内容を指し、二つは三つの練用要領を指し、三つは三種の練用段階の異なる形式効果を指す。

和振威『大成拳学練300問』北京体育大学出版社より