2024-01-01から1年間の記事一覧
尚氏形意拳の真実 登場する先生 李文彬 内容 形意拳における意 印象に残った言葉 私がこうやって立って動かない(三体式を示す)。しかし私の体の中では、神経や思惟、気血はすべて動いている。誰にもそれは見えない。気血や意念、全身の感覚、いわゆる神経…
武功に優れた大成拳功法において、站樁は基礎であり、試力は要である。站樁を通じて、相当に篤実な内在動力を生じることができるが、これを切実に有用な「活」に変えようとするならば、必ず試力訓練を行わねばならない。さもなければ、自身の持つ勁は真の発…
異なる技撃樁についてその意感の調配は異なるが、その総体から言えば、功力の蓄積と功の応用という二つの大きな段階に分けることができ、この二つの段階の精神假借には区別があり、前者は静力性の功力鍛錬に属し、後者は動力性の功力鍛錬に属する。 いわゆる…
中国武術の多くの門派において站樁の鍛錬がある。その方式は各々異なり、説き方も異なるが、名称は一つである。 一般の站樁は、樁法の他に、更に他の修習課程がある。拳套、散手に関わらず、いずれも站樁を補助鍛錬とし、動力を増長することを主とする。応敵…
尚氏形意拳 登場する先生 李文彬 内容 尚氏形意拳の真実 印象に残った言葉 意拳には、明勁、暗勁、化勁の三つの段階がある。この三つの段階は、形意拳の修行の過程て必ず通らなくてはならないのだが、八、九十パーセントは第一段階か第二段階まてて、第三段…
「走步」は運動中の身法、歩法の整体練習であり、「处中」「守中」「持中」の総合練習であり、また運動中の整体試力である。 「走步」の練習はおおよそ三段階に分けられる。一、「起歩は泥を抜くようであり、進歩は席を巻くようである。二、「戦戦兢兢として…
尚氏形意拳 登場する先生 李文彬 内容 形意拳をどのように認識し修得するか 印象に残った言葉 下の下に唾液がたまったら、息を吐くのに合わせて飲み込み、まっすぐ丹田に送り込む。これを長く続けて、息を調えて根に帰し、意を丹田に注ぐことを練習すれば、…
厳密に言えば、形意拳の古い規矩では帯技投師は許されず、また一つの理想的な説として、師と弟子の年齢は十五歳差が最も良いとされている。これは体操は幼少から練習できるが、拳法は十五歳で骨格が基本的に成長してから練習しなければならないためである。…
薌老が我が家に移り住んで半月余り、毎日夕食後に父と話をしても、拳のことは話さず、站樁にも触れなかった。 父(訳注:程志灝先生)は考えた。なぜ先生は話さないのだろう? 考えに考えて、おそらく自分が話すだけで練習しないからだろうと思い、そこで站…
意拳の站樁は利己利人の鍛錬方法であり、先ず己の身を得て、要領を掌握し、一定の基礎を得た後に他人を指導する。これは仏家の衆生を済度する道理と同じである。意拳の站樁は三つの段階に分けられる。第一段階は養生段階であり、休養生息、自己医療、強身健…
李仲軒老人は生涯で弟子を取らなかったが、晩年幸いにも『武魂』に言論の場を与えられた。李老の子女の回想によると、1984年、李老は中国科学院の家族院で門番をしていた。一人の中国科学院の同志が李老のために本を出そうとしたが、李老は謝絶した。 また、…
ある日、薌老は父(訳注:程志灝先生)を連れて崇文門外の河泊廠の羅耀希大夫の家に用事で行った。薌老は先ず父を羅大夫に紹介し、用事を済ませて帰ろうとした時、羅大夫は「お待ちください」と言った。彼は奥の部屋から白蝋杆を取り出し「志灝との初対面の…
1944年の春頃、薌老は万字廊の庭で父(訳注:程志灝先生)と姚宗勲師伯に推手を教えた。まず父に教え、姚師伯に見学させ、次に姚師伯に教え、父に見学させた。 薌老は両手を父の上げた両腕に置き、わずかな動きで内側に引くと、父は後ろに数歩下がってようや…
脚踝は全身の重量を支える要であり、盤架の蹲低にとってより重要なのは、落胯だけでなく、落踝である。落踝により、気は涌泉に沈むことができ、涌泉に根なければ、気には主がなく、「力学は死んで補うことができない」の状況に陥ることとなる。 脚踝の拳架に…
体松というのは、身体の各部分、手足及び肢体等々を指す。腹松とは、丹田気の松浄を指し、丹田気の滞りや閉塞がないことを指す。腹松とは腹部肌肉の弛緩ではなく、歩行時、行功運気時における丹田の気の運行流通が順調であることを指す。力を用いて気を使う…
私見では、意拳の練功は、多くの場合「預」功(或いは「欲」功と呼ぶ)を練るものであり、即ち「将に」の功、「未だ発生せざる」前のその功、また「将に」発生せんとするその功である。皆が意拳の站樁において「動」の前の運動、即ち「未だ発生せざる」前の…
中国歴史上に多くの武学の巨匠がいるが、もし彼らを一流と超一流に分けるならば、意拳祖師王薌齋先生は超一流の列に入る。実際、武学巨匠の歴史的記録は、往々にして脚色された部分が多い。現在の意拳の観点から見ると、多くの巨匠も出尖の功夫であり、祖師…
伝統武術は「瞬撃術」を強調し、意拳は「一触即発」を強調する。「瞬撃術」と「一触即発」の前提は周身が一動すれば整となること、即ち「一動すれば動かないところはない」を可能とすることである。私はこれを「零起動」と呼ぶ。一動して整であろうとすれば…
私が若かった頃、尚雲祥に師事して形意拳を学んだ。何年も経って、師の拳法は尚式形意として人々に尊ばれるようになったと聞いた。近頃、武術愛好者が訪ねて来て、「尚式」という名は何が異なるのかと尋ねたが、簡明な言葉で答えられなかった。当時は拳を学…
問:仲軒太師爺、このようにお呼びさせていただきたいのですが、私の師承は李存義——劉云及——崔振先のこの一派です。崔振先は私の太師爺であり、彼は薛顛に入門していたので、あなたを太師爺とお呼びするのは分内のことかと存じます。我々のこの一派の教えで…
李仲軒は寧河で唐維禄から拳術、医薬、道法(形意拳は内家拳で、道家を帰旨とするため、医薬、内功がある)の全ての伝承を受け、唐の伝衣鉢弟子となった。 唐維禄が形意拳の古歌訣を口伝する際、「虎豹雷音」という句があったが、詳しい説明はなかった。李仲…
尚氏形意拳 登場する先生 李文彬 内容 形意拳の三乗の功夫 印象に残った言葉 尚雲祥先生は、「形意拳で言われる「精を練って気と化し、気を練って神と化し、神を練って虚に還す」は、技術の進歩の段階であり、決して神秘的なものではない。」と言っている 先…
武術の修練は先ず精神を重んじ、意念を用いて精神を取り出し、さらに身体から光芒を放つ精神意念を持たねばならない。しかし武術における光芒の訓練は養生健身の柔和な光を主とし、これを常態化すべきである。技撃時の戟や槍のような金光の訓練は小部分のみ…
尚氏形意拳 登場する先生 李文彬 内容 形意拳における一身の法についての認識 印象に残った言葉 技撃において威力を増す作用のある「四梢」のうちの三梢は頭部にある。舌は肉梢であり、歯は骨梢であり、毛髪は血梢であり、いずれも頭部にある。ただ、手の指…
形意拳はどこまで練れるのか? 唐師は私に例えて言った。断崖絶壁から飛び降り、地面に激突しそうな時、手で岩壁を一撃すれば、人は横に飛び出し、無事であると。人と戦う時、一度搭手しただけで相手の勁を変えられる、この技は良いものと言える。さらに良い…
尚氏形意拳 登場する先生 李文彬 内容 形意拳をどのように認識し、どのように鍛錬するか(下) 印象に残った言葉 形意拳の「肩」についての技法要求は主に「鬆・垂」である。形意拳九歌では「頭宜上頂、肩宜下垂(頭は上にまっすぐ伸ばし、肩は下げるべきで…
韓嗣煌先生は元国民政府山東省主席韓復榘の第六子で、河北霸州の人、1933年生まれ、2000年に67歳で亡くなった。 韓嗣煌先生は学者出身で、オーストリアで力学を専攻し、元々は華北水力電力大学の力学教授で、北京民革で秘書長を務めていた。 韓嗣煌先生は194…
太気拳の精髄(6) 登場する先生 佐藤嘉道 門馬智幸 内容 立禅 印象に残った言葉 動きだけ同じようにできても仕方ない。腰が「この腰(練習通り)」になっていないと。腰に締まりがない、棒立ち状態の腰でやってもダメ。締めて気を入れ動作、またすぐにパッ…
尚氏形意拳 登場する先生 李文彬 内容 形意拳をどのように認識し、どのように鍛錬するか(上) 印象に残った言葉 形意拳は、静と動の内外兼修の三体式椿功の操練から始め、形と意の内外併用の動作および套路の鍛練にまで至るが、その中でも相当難しく、かな…
一、初習にして気感あり 1984年、私が十八歳の時におじの世明に従い站樁を学び始めた。開始第一日目は五分間站樁させ、その後毎日一分ずつ増やし、十分になった時に数日間維持し、その後徐々に十五分、二十分へと増やしていった。 おじが教えたのは王薌齋が…