意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

李見宇先生の著書『拳学之道神意求之 』

中国武術は博大精深であり、中華民族の伝統文化の中の宝であり、代々伝えられ、国民の尚武と習文の風は今に至るまで伝えられ、国と民に利があり、人類に福をもたらし、武術を習練し、拳学を研究することは中華民族の優良な風習である。私は祖籍が北京で、幼い頃から武を習い、1924年6歳の時に北京で唐鳳亭先生に師事して形意拳の練習を始めた。その後少林拳など多くの武術を習練し、拳の習練の中で良好な身体の基礎、強靭な性格と刻苦の恒心意志を養成し、拳術から得たものは計り知れない。今日まで毎日堅持して練功し、今年私はすでに81歳だが、耳は聞こえ目は見え、魚も肉も食べ、身体は健康で、病気がない。武術への追求もますます堅誠になっている。

1943年、私は幸運にも拳界の名家である王薌齋先生に出会い、王老の精湛な拳技と深遠な意境を見て、初めて武術の真髄の精奥を知った。それ以来、私は王薌齋先生を師と仰ぎ、新たに学び、拳を習い理を悟る正道に入り、1963年に王薌齋先生が仙逝するまで、ずっと王薌齋先生の側に仕え、20年間耳で聞き、目で授かり、徐々に入門から、師の理法の精髄を理解するようになり、恩師の教えの恩恵は計り知れない。私に生涯拳学の研究を絶えず行わせ、その理法を受け継ぎ、研究を重ね、今私は80歳を過ぎた老人ではあるが、身体は強健で、百病にかかっていない。国内外で弟子を教え、講学し、書画や吟詩を行い、辛労は絶えないが、心身は精健で、これらはすべて恩師の賜物と私の堅実な修練の結果である。

王薌齋先生は拳学の修養において極めて深い造詣を持ち、さらに神意と人格修養を重視し、常に弟子に明示していた。「拳学の道は神意によって求めるべきである」、「神が動けば自ずと象外に得られ、意は妙を無念中に存す」、「神意が足ることを求め、形骸の似るを求めてはならない」、「神松、意緊、松緊は互いに為し、互いに根となって用をなす」など、精神と意感を重視し、習練の功法の中で融会悟研し、矛盾の中から統一を求めた。「松は即ち緊であり、緊は即ち松であり、松緊緊松互いに用をなす」、精神は意念を制御し、意念は無窮であり、分合、動静、遒放、攻守、養練、理法、蓄発、虚実などの多くの拳意と精神の配合に至り、練求の中で相互に補助し、有機的に一体化すべきである。拳の奥義は養練から応用まで、さらに養と養練用の合一の全面性を重視すべきで、技撃は精を磨き、養から治に至れば百病は皆無となり、身体が強健になれば自ずと延年益寿できる。文学と武略は一体となり、境界修養は平凡ではない。したがって、拳を習い武を練る者は、文化水準、道徳修養、思想境界において自己を高めなければ、拳術において向上することはできない。もし単に勇猛で争いを好むだけなら、せいぜい喧嘩屋に過ぎない。拳理を理解せず、文才がなく、品格が低く、驕り高ぶる者は、拳の真の境地に達することは難しい。修養があって初めて悟性があり、研究を肯んずれば初めて理解があり、人は謙虚であって初めて博学多才になり、進歩できる。精の蓄積があって初めて神気の充実があることを知るべきである。その気質を見れば、その修養を知り、その文章を見れば、その造詣を知ることができる。人は謙虚に学べば必ず博才深悟し、人は友善であれば、必ず友好な人が多く、人は皆その人と交際したいと思う。

初めて拳を練習するときから、徳、善、養、静、謙、清から修めれば、自ずと髄理を知り、奥妙を得て、身心を養い、拳を習う上の境地に達することができる。形体は松静、神は真、意は切で、神意の修養を重視すれば、自ずと拳を学んで成就することができる。神意の境、大乗の境、大成の境は、すべてここから入門し、さらに明者の指導を得て、一歩一歩徐々に求め、順序立てて進み、丁寧に体得し、繰り返し修練し、神と意を一体化し、身体の中に変化と感覚があって初めて気血が通じ、心情が愉快になる。また、生活の中で適度に配分し、疲れすぎず、怒らず、修練に不利なことをしないように注意し、心を静め欲を節し、常に良好な心態を保ち、毎日堅持しなければならない。長い年月を経れば自ずと効果が現れる。もし一定の程度まで練習せずに、早くから人為的な方法で無理に追求しても、かえって効果がない。だから平心に練習を求め、心を浮かせたり焦ったりしてはいけない。多くの人が効果が芳しくなく、きつく練習できず、途中で放棄するのは、焦りの気持ちがあり、心を静めることができないからである。これは非常に重要なことである。このように長期間堅持すれば、拳理に合い、功法が正しく、訓練の細部一つ一つを真剣に扱い、正確無比に達すれば、誰でも修練の中で良好な成果を得ることができる。これらはすべて非常に重要な原則と必要な条件であり、決して疎かにしてはならない。もし高人の指導を得られなくても、悟性が聡明で、しかも喜んで恒心をもって練功し、武徳と文化修養を非常に重視すれば、拳を練習すれば自ずと顕著に抜きん出ることができ、国を利し、民を利して人類のためにより多くの貢献をし、拳学の発展のために心を尽くし、大成拳の宗師王薌齋の遺志を継承し完成することができる。