意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

月刊秘伝2014年4月号

澤井健一師に学んだ外国人古参門人

  • 登場する先生
    • ジャン・ルシュワー
    • 天野敏
    • 島田道男
  • 内容
    • ジャン・ルシュワー師インタビュー

印象に残った言葉

本国で気功をやっていたとき、気功というものは楽で、それほどハードなものではなかったのですが、澤井先生の指導は姿勢も厳格に規定されて、非常にキツイものでした。全然、想像とは違っていて、学ぶのに苦労しました(ジャン・ルシュワー)

私はサムライの武道を知りませんでした、その戦い方がどのようなものであったかを。昔のサムライは刀で戦うばかりではなく、時には組み討ちをし、取っ組み合って合戦を戦っていました。そうした戦いに非常に近いのが太気拳の練習なのではないか、と思うようになりました(ジャン・ルシュワー)

最初に訪ねた時、先生に「組手をやろう」と言われて、先生もよいお歳だし、自分は歳も若ければ体も大きいので「いいのかな?」と戸惑いました。最初は全然、信用できなかったのです。それで、向かい合ってハッと思ったのが、先生は全然リラックスしている。打っていっても、私の腕に軽く触れたと思ったら、もう返されてしまっていました(ジャン・ルシュワー)

多分、先生がいちばん違っていたのは、実際に戦争を体験されていて、動きの端々にそうしたリアルファイトがバックボーンとしてあるのではないか、と思いました。寝ていても、起きていても、いつでも”太気拳“であるというのか、生き方そのものが太気拳という感じがしました(ジャン・ルシュワー)

(澤井先生の動きは)まるで野生動物みたいで、すごく自由だったと思います。何もこだわりを持っていないような、自由な気持ちだったのだろうと想像します(ジャン・ルシュワー)

普通のマーシャルアーツというのは技を練習するものだと思いますが、太気拳は違いました。太気拳はまず”体“を作っていく。澤井先生に初めてお会いしたとき、「キミは私に会えてラッキーだ。太気拳は小手先の技ではなく、体の中から作れるものだからだ」と言われました(ジャン・ルシュワー)

以前、王薌齋先生の娘さんである王玉芳先生をフランスヘお招きした際、彼女が午前中を指導し、午後を私が教える機会があったのですが、そこで私が這いの練習を指導しているのを見て、王玉芳先生が「良い練習だ」とおっしゃって、王玉芳先生自身も太気拳や澤井先生を知っている、と語っていました。そのときが、彼女にとっても初めて中国以外の外国で指導された時だったと思います(ジャン・ルシュワー)

単に"格闘技"ということであれば、ただ格闘技に強くなるということでしかありませんが、それぞれの人間性、パーソナリティを育て、作り上げることで、それをもって生きていける。そのあたりが、太気拳と他の格闘技などとの違いだと思います(ジャン・ルシュワー)