意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

月刊秘伝2010年7月号

太気の組手に見えるもの

  • 登場する先生
    • 佐藤聖
    • 島田道男
    • 天野敏
    • 鹿志村英雄
  • 内容

印象に残った言葉

禅を組むんだって気持ちが良いで組むなかにも神経のレベルに違いがある。気持ちが良いで終わりというのを否定はしないけど、武術と名乗るんだったら違う心構えも必要。それだったら太気拳でなくてもいい、他に行けば良いんですよ(島田道男)

立禅の"水の中"というのは、澤井先生や王向齋先生も使っていて"緩める"という感覚なんですよ。力を抜くのとは違う。気を変えて潤滑する状態を作る。口のなかでも安易に「舌が上顎に触れるか触れないか」じゃなくてそこには気の流れがあるわけで、その為の説明なんだけど勘違いをしている人が多い(島田道男)

心が膝に、腰に、手に、全部にある状態で組手をしなければ駄目。力を抜いて自分の重さを全部感じて動きに乗せる。もちろんただ力を抜くのではなく、そこにはコントロールが出来てなければ出来ない。そこに入らないと無理ですよ(島田道男)

八光流柔術姉川勝義師範は月刊「武道タイムス」昭和四十年十二月号に、戦後の昭和十二年、澤井先生にお会いし見聞されたことを掲載されています。それによれば澤井先生は王先生との立ち合いで、何度もゴム毬のように高く飛ばされたそうです。そして、「第一の秘蔵弟子(後継者)と最高奥伝としての相手をボールのように高く投げ上げる業を稽古しましたが、残念ながら遂に習得できませんでした」と書かれています。この後継者とは、恐らく王向斎より眺継郷と名前を頂いた挑宗勲先生のことでしょう(佐藤聖二)

姚宗勲先生系の意拳では、攻撃技を浸透力に重きをおく「打(或いは撃、打撃ともいう)」と、移動力に重きをおく「発(或いは放、発放という)」の相対する二つの方法を明確にしています。私は今迄に多くの系統の意拳に接してきましたが、このように相手にほとんど浸透力を与えず、つまり打たれた人間も、衝撃を感じずに気がつけば壁や木などに激突される「発」をおこなう意拳は姚先生系以外の系統では見たことがありません。恐らくこのような練習方法は澤井先生と別れた後、姚先生が研究し纏められたものなのでしょう(佐藤聖二)

力が入りすぎてもうちょっと手が「ドロッ」としていれば良いんだけど(鹿志村英雄)

手を挙げた時に天地人と太気では言うんだけど、人の部分にバリアというか磁場が出来て、そこに何か入ってきたら自動的に磁石のように手が吸い付くんですよ、うわっと手が自然に雷が落ちるように反応する。だから私はいつも「雷雲を作りなさい」と言っています(鹿志村英雄)

固体から液体になって液体から気体になって空間に溶け込む。そうすればいつでも足も、手も、心も解き放って動くことが出来る。そういうものを求めていかないと、太気とは言えない。太気のようなもので終わってしまう(鹿志村英雄)

丁度お椀に一杯入った水のように、這いや組手など色々変化する中でも絶対に水をこぼさないという、絶対に守るべき部分を持つ。それが禅で養うもの。禅にも低い禅、高い禅あるけれど、そのなかで変わらない部分がある。それは腰の状態や足の指など色々な部分からくるもので、それを守る。それがお椀で水が上体にあたる。体をバラバラにせず動く。そのための守るべきところをしっかり意識して欲しい(天野敏)