意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

月刊秘伝2014年10月号

意拳太気拳交流セミナー

  • 登場する先生
    • 姚承栄
    • 天野敏
    • 島田道男
    • 鹿志村英雄
    • 竹田二男
  • 内容
    • 対談姚承栄 X 天野敏「兄弟流儀の再会通底する‘‘渾元”」
    • 太気拳と活法に共通する術理を示す

印象に残った言葉

私が初めて中国へ行って、姚先生にお会いしたときに最初に感じたことは、澤井先生に直接習っていた私たちよりも、姚先生が澤井先生の動きに似ていたということなんですね。そのときすでに、姚先生は渾元力とはなんであるかということを身につけていて、私はそのことに十数年経って初めて気づいたんです(天野敏)

例えば站樁や試力(姑椿で養った渾元力を動きの中で保つ動的訓練)といった意拳の要素をどうやって総合していくか、それは当然、原理原則に基づいて行われるべきですが、そこには自分の特徴を付け加えていかなければなりませんし、応用に関しては自分独自の鍛練も必要となります。王向斎先生は、相手を勢い良く飛ばしたけれども、王向斎先生の場合は身体も大きくて発力する方法は身体の小さい人のそれとは違うわけです。やり方は人それぞれ違いがあっても、効果が同じであればいいということですね(姚承栄)

まず原理原則を伝えることは必須だけれども、どのように内容を把握させるかを考えるときに、弟子が「師の言ったことだけではなく、言わない部分をどれだけ理解できているか」を見るんです。内在的なものをどれだけ吸収して鍛練できているかどうかです。普通の人が目に見える部分を把握できるのは当然で、そうでないものを把握できているかどうかが大切なんです(姚承栄)

もちろん組手をすればわかるし、しなくても、姑椿や試力をしているところを見たり、あるいは精神意識の面で内的な力が豊かかどうかを見ることでわかります。細かくいうと、動いたときに、身体の動きが統一されていてスピードがあるか、すぐに反応できるかどうか、それは見ればわかるんですよ(姚承栄)

よく澤井先生も、姚宗勲先生のことを褒めていらしたけれどね。「姚宗勲先生は手から100万ボルトの電気が出るんだ」というようなことを、私たちによく自慢気に話したことを思い出しましたね(鹿志村英雄)

どこが凄いかといえば、姚兄弟子の動きはとにかく漏れがないし、打たれる確率が非常に少ない動きだよね。無理や無駄な動きもないから、ずっと動いていても疲れないんだ(鹿志村英雄)

初めて澤井先生に会った時に見せて頂いた拳舞(探手)には鳥肌が立ちました。それまでも色々な武術をやってきましたが、そのどれとも違う、初めて見るもの凄い動き。私もこんな動きが出来るようになりたいと強く思いました(竹田二男)

活法の打法と太氣拳の代表的な打拳の技である崩拳の原理には非常に似たものがあります。人体を水袋と考え、打撃によって波紋を起こし、衝撃波を浸透させる。このイメージが感覚として身に付いてからは拳の質が変わり、軽く打っても容易に相手に効かせる事が出来るようになりました。澤井先生もこれを”鼓打ち“と称してよく指導されていました(竹田二男)

竹田師範が明治神宮で稽古に明け暮れていた頃、壮絶な組手の中で指が折れ曲がったりするような怪我をする門下生が後を絶たなかった。しかし、そんな時でも澤井師範はすぐに接骨術を用いて弟子の怪我を治してみせたという(竹田二男)

『武術をやる者は光の原点にならなければならない』と澤井先生はよくおっしゃっていました。その言葉は今でも私の中に強く残っています。太陽のように誰にでも分け隔てなく光を与えられる存在、それが私の目指す真の武術家です(竹田二男)