意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

月刊秘伝2013年4月号

達人・姚宗勲の血脈姚承栄老師が語る

  • 登場する先生
    • 姚承栄
  • 内容
    • 姚家伝統意拳の哲理(後編)

印象に残った言葉

父の拳の特徴は実戦経験が豊富で、技術も完璧だった。技は大変緻密で正確、その威力は対戦相手が恐れをなすほどだったが、けして相手に怪我をさせることがないよう手加減をしていた。同時に、理論研究も突出していた(姚承栄)

父は王老の碁礎をもとに新しい練習法をとりいれた。その―つが砂袋だ。王老は砂袋について特にふれたことがなかった。父は砂袋を敵に見立て、打撃の際に発する爆発力、力の放鬆(リラックス)、さまざまな歩法などの鍛練に活用した(姚承栄)

また推手は従来、脚を止めた直立状態で行うことが多かった。しかし武術の発展の中で、推手にも動きが導入されるようになった。父もまた、移動しながら推手を行い、動きの中で独立感を培う練習法を行った(姚承栄)

散手についても新たな手法を取り入れた。父は多くの著名な武術家と接するなかで、彼らと対戦するには、単一な基本線上の攻撃だけでは足りないと考えた。左右斜めにも移動しながら、2本の腕がいつ何時どこからでも発拳、発力できるようでなくてはならない。そこで歩法の練習過程に、前後の中心線のほか、左右、螺旋などの動きを加えた(姚承栄)

さらに散手と推手を組み合わせたことは、父の拳の大きな発展だったといえるだろう。散手の過程で、相手につかまれたり、ひっぱられたりして、打拳を打ち出せないような状況では速やかに推手に移行する。また推手の過程で、相手との間合いがあいたらすぐさま散手にきりかえるというものである(姚承栄)

試合は体重別の正式なものではなかったので、大柄な体重80キロ以上の相手と対戦することもあった。そこで敏捷さを鍛え、打撃の際もいかにすばやく最少の動きで最大の効果を得られるかを考えた。これが私の拳術の特徴となっている(姚承栄)

(姚宗勲に習っていた時代は)理論はある程度理解していても、具体的に深められていなかった。それが、自分自身の鍛練とともに人に教えることで、姑椿で模索する勁とはいかなるものか、どのような間架(構え)であるべきか、いかなる訓練によって全体の力を模索したらよいか、こうした非常に細かいことを追求してゆくこととなったと思う(姚承栄)

例えばある者は力が強く、推手は静止した状態でこそ力を発揮できると考えている。だがその者はすばやく動きまわる者を相手にすると全く太刀打ちできなくなってしまう。ではこの者はどうすべきか。またある者は対戦相手との距離がひらいた状態で大きな動きをもってすれば力を発揮できる。しかし相手が瞬時に間合いを詰めれば、大きな動きは間に合わないし、そのような空間もない。その場合、この者はどうすべきか。これは自分自身のレベルを上げる上でも、大変研究に値するものである(姚承栄)

一番よいのは最少の力で最大の効果を得ることだ。それは技術が成熟したということであり、また弱い者は強く、遅いものは速く、「鬆緊」の最もふさわしい状態を得られるようになったということである(姚承栄)