意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

2023-10-01から1日間の記事一覧

張広玉先生の著書『拳道一体 』

多くの人々は、渾円内拳の技法を技撃や格闘技と認識するが、実際はそうではない。中国のすべての国粹と同じく、深い民族伝統と文化背景を持ち、その精髄を武術中に表現する。渾円内拳の技法の豊かな意味と哲理は、千変万化の”道”の博大なる深淵をも体現して…

王薌齋先生の著書『談談試力和試声』

試力は習拳の中で最も重要で最も困難な部分の工作をなす。試力は力がどこから来るのかを知り、力は試すことでまた知り得る。さらにこれを知ることで、その用を得ることができる。練習時は身体均正、筋肉軽霊にしなければならず、骨格毛髪はみな支えるように…

拳道喪失之原因(『拳道中枢』より)

習拳には三つの原則がある。一つは健身、一つは自衛、一つは利群である。利群は人のなすべき職務であり、その基本の要点は心身の健康を得ることで完全となることで、不健康では精神を充足することはできず、精神が不足すれば事跡を歌うことも泣くこともでき…

論点穴(『拳道中枢』より)

点穴の説は世間の人がみな奇怪に思っているが、点穴道、時間を述べる者があり、その種々の分論は止まない。それを聞けば、人生吐き飽きるが、皆そうであるわけではない。双方の技を比べるとして、敵と力が均しい時、固定の穴を打つことは容易ではない。言う…

論拳与器械之関係(『拳道中枢』より)

古くから「拳は兵器に成り、刀槍だけを習うなかれ」と言われる。拳中の真理を獲得したなら、各力の能力、面積の屈折、長短、斜正の虚実、三段九節の効用、路線の高低の方向、接触時間の火加減を回復する。意と神を理解したなら、刀槍剣棍など各種兵器に付け…

論拳套与方法(『拳道中枢』より)

拳の深淵さは無窮で、たとえ学者が比類ないほど賢く、信じて疑わず行う精神を備え、一生を習得にかけたとしても、極めることは難しく、拳套の方法は人造の拳架である。清の時代から三百年、一般の門外漢が役人に表演して自己満足し、拳を生計の道具としてき…

力之運用(『拳道中枢』より)

神意の他にも、力の運用は更に欠かすことができず、それは良能の力であって、一面の力ではない。大部分は試力によって求め、習時は偏った面積の部分ではなく力量の均整を求め、次に点の力の均整から虚実の偏りを吟味し、適切な試力と発力をもって偏った松緊…

神意之運用(『拳道中枢』より)

技撃の站樁は具体、空霊、均整を要し、精神は充実して、神は霧の中の豹のようで、意は霊犀の如く、具体は荒馬が奔放のよう、神は鳴いて噛む勢いがない。頭は頂、項は竪、頂心は按縮、全身が鼓舞され、四外は牽引され、足趾は地をつまみ、両膝の撐撥力は上を…

技撃樁法(『拳道中枢』より)

技撃樁と基本樁は神形が僅かに異なるが、依然として原則に基づき、歩は八字の形をして、丁八步と呼び、半分は丁で半分は弓矢の八である。両足の重量は前三後七、両腕は撑抱の力があり、内七外三、いつでも発力でき、力の始めは平均で、平衡が後で、火器のバ…

自衛(『拳道中枢』より)

自衛は即ち技撃である。大動は小動に及ばず、小動は不動に及ばないことを知らねばならない。不動は動いて止まない動を生むことを知らねばならない。機械の車輪や子供の捻転のように、快は外の極に到って、不動に似る。動を観るにまさに不動であり、無力の表…

試力(『拳道中枢』より)

以上の基本練習を行えば、相当の基礎ができ、一切の良能は発展し、日を追うごとに増強される。そうした後、継続して試力を学び、各項の神情の力量を体認し、真実の効用を期する。試力は拳術の練習の中で最も重要であり、最も困難な部分である。試力は力の由…

站樁(『拳道中枢』より)

站樁は穏やかに立つことで有り、平均の站立である。基本樁を初めて習う時は、まず全体の構造を正しく配置することから始め、内は清虚、外は脱换し、力は抜いて自然にして、頭は真っ直ぐ、目は平行にし、体の端を真っ直ぐにし、神は雄大、力は均等に、気は沈…

抽象虚実有無体認(『拳道中枢』より)

習拳入手の法はただの一端ではなく、結晶の妙であり、風が吹けば草の全てが動くように、神形意力が互いに一致した運用である。この種の運用は全て視れば無形で、聞けば無声で、本体も像もない。有形であるところは、勢は空中の旗のように揺らめいて定まるこ…

習拳述要(『拳道中枢』より)

近世の操拳を学ぶものは筋肉を曝け出し硬いところを人前に誇示している。このような運動家の表現は、奇形の発達が衛生の妨げになり、用いることができず、生理が最も忌むところで、運動の値打ちが全くないことを知らない。近年私はその事を何度も指摘したと…

自志(『拳道中枢』より)

拳の道は大きく、民族精神の需要を反映し、国の学術であり、人生哲学の基礎であり、社会教育の根幹である。その使命は人の心を修正し、感情をさらけ出し、生理を改造し、優れた能力を発揮させることである。これを用いるものは賢くなり、身体は健やかになり…

王薌齋先生の著書『拳之剛柔相済論』

当局が国の武術の復活を提唱して以来、学習者は日にますます増え、霞商を捕まえるが如く盛んになっている。国の武術は端的に二つの部分がある。一つは健身であり、一つは自衛である。その功は非常に偉大である。この文章の目的はこの武器について、私の一言…

意拳正軌(『意拳正軌』より)

意拳の正軌は古勢の老三拳と龍虎の二気である。龍虎の二気は技であり、三拳は撃である。三拳とは践裹鑽である。践は外は剛で内は柔、静力もしくは挺力を有し、虚中で発せられるのを待って用いる。鑽拳は外は柔で内は剛、鉄でくるんだ綿の如く弾力あり、実中…

龍法(『意拳正軌』より)

龍法に六あり、曰く滄海竜吟、雲竜五現、青竜探海、烏竜翻江、神竜遊空、神竜縮骨である。その精神を推し量るに、伸びては縮み、剛になっては柔になり、昇れば降り、隠れては現れる。動かざるは山岳の如く、動けば風雲のようで、天地のように無窮である。太…

交手経法(『意拳正軌』より)

人の本性は各々同じではなく、聡明な者、知恵者、毅然としている者、心が定まっている者、沈着で敏い者、狡猾で陰険である者などがいる。その性が同じではないではないため、行動も異なる。撃の技術も同様であり、形あるものは出て、形ないものは落ち、敗勢…

歌訣(『意拳正軌』より)

歌訣は拳術の精粋である。その意を深く理解し、その理を究め尽くせば、自ずと道は得られる。 心は通じ、意は三昧、精は堅く、気は安らか、神は生き生きとしている。これが技を学ぶ五大要素である。渾噩が身を貫き、形あるものみな散じることなく、拳が出るこ…

六合(『意拳正軌』より)

六合には内外の区別がある。心と意が合い、意と気が合い、気と力が合うのが内三合である。手と足が合い、肘と膝が合い、肩と胯が合うのが外三合である。また、筋と骨が合い、皮と肉が合い、肺と腎が合うのが内三合である。頭と手が合い、手と身が合い、身と…

五行合一(『意拳正軌』より)

五行は生克制化の母であり、万物発源の本である。世俗では五行は、金は水を生み、水は木を生み、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生むという。いわゆる相生である。また金は木に克ち、木は土に克ち、土は水に克ち、水は火に克ち、火は金に克つという。…

養気(『意拳正軌』より)

養気と練気は共に一気を源とするが、性命の動静の学であり、有形無形の術は同じではない。養気の学は命から離れず、神は性であり、気は命である。故に養気の術は須く性命から入る。性命の道については、言語で詳細を書き表すことはできない。道の本体は説明…

練気(『意拳正軌』より)

孔子は治めるために性を養い気を練り、黄帝は道を楽しむために神を練って気とした。達磨は参禅し、道を伝えるために東に向かい、洗髓易筋の法を伝え、意拳及び龍虎の椿を創った。故に技撃の山を開いた宗派である。古来より有名な賢者や大学者、聖人や偉人は…