意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

重力樁的站法(『中国拳道・神意拳: 王薌齋原伝拳法』より)

重力樁は単伝の老樁に属し、握槍樁の補助樁である。これは試力、歩行、試声、総合発力(試声を伴う発力)を具えた後、腕の鉤挂力を強化するために設けられた樁であり、站樁中の用勁は撑拧裹锉勁である。

練習方法:太い樹幹または低い壁を探し、その高さが直立した時の肘の位置より約10センチ下、最低でも腰の位置を下回らないようにする。身体は持槍樁の姿勢で、前手は半握拳の状態、鳥難飛の手勢(醉拳の手勢)で、親指と人差し指を微かに広げて楕円形を形成し、他の三指は握拳の状態にする(図36)。

この時、手はやや上向きにし、手首の位置(小指の外側から手首に向かう接合部、俗称「点」)が下向きの微かな圧力を形成する。このようにして、人差し指と親指及び手首の「点」の位置が立体的な争力を形成する。手形がこの争力の状態を保ったまま、手首の「点」を上から下へ樹幹に掛ける(図37-1)。同時に手首を微かに回転させ、「点」の位置に拧裹勁を持たせる(左手は時計回り、右手は反時計回り)、この手は支撑手臂と呼び、他の手は自由に置く。

姿勢が整った後、支撑手臂の肘をゆっくり曲げて体の重心を前に移動させる。重心が完全に支撑手臂の「点」の位置に移動するまで、まるで手首の「点」の位置で全身の重さを支えているかのようにする。そして、手首の「点」の位置でこの圧力を保ったまま、肘をゆっくり伸ばして体重を大部分を後脚に移し、持槍樁の姿勢に戻す。両足の重心は前四後六で、または前三後七の分配になる。この動作により、手首の「点」の位置と頭頸の間の争力が形成される。この時、体の重心は両足にかかっているが、手首の「点」の位置は依然として体の重さを支えている(図37-2)。この時、手臂と頭頸の撑力は体の重さと一致する。この状態で意念を手首の「点」の位置に集中させ、その「点」が全身の重さを支えているように意がある。この「点」は外向きの撑锉勁を持ち、同時に内向きの裹拧勁も備える。このようにして站樁を続けると、他の梢の力が徐々に増し、手梢の力と平衡が取れるようになる。

要点:特に肩と上体の放松に注意し、過度に緊とならないようにし、常に自然な状態を保つことが重要である。最も重要なのは、体の重心が戻る時に、手首が依然として元の力を保っているかどうかである。肩や上体が過度に緊となっている場合、体の根部が放松されていないことを意味し、この樁を練習してはならない。さもなければ、体が硬直し、健康を害し、肌肉の力を形成する恐れがあることを肝に銘じるべきである。重力樁は左右の勢を交互に練習し、毎回の站樁の時間は約15分が適当で、長過ぎないようにし、段階的に進め、呼吸を随時検査し、少しでも息が詰まる場合はすぐに停止し、活動後に再度站樁する。于永年先生は常に「王先生と搭手(推手の搭手、つまり二人が両手の手首を合わせる)する時、王先生が手をあなたの手首に置くだけでとても重く感じられ、その重さは手首の骨の内部にまで及ぶ」と言っていた。李見宇先生の言葉を借りれば「王先生は体重全てを搭手のその一点に集中させた、まるであなたが片手で彼の全体重を支えるようなものである。王先生が教える時、『他人と搭手する際、ただ一方の腕の重さだけを相手の手首に掛けても意味がなく、相手に対する威圧感もない。相手の手首に半分の豚の重さが掛かっているようにしなければならない。だから、自分の体重を手首に掛け、しかも自分の重心を失わず、相手の手首に掛ける。そうすると、相手はあなたの全体重を手首で支えることになる。搭手する際、力を入れすぎると自分の重心を失い、肌肉が動員されるため、体が硬直し、相手が手を引くだけで倒れてしまう。だから、これを站樁で再度訓練し、六梢の撑力を強化する必要がある。六梢の撑力が体重と同じくらいの力を担えるようになれば、他人と搭手しても自分の体重を相手の手首に掛けることができる』と教えられた」。

郭雲深老先生は車毅斎老先生としばしば切磋し、勝っても満足できず、発力時の脚力が不足していると感じたため、敷居に脚を差し込んで站樁(体の重心を後ろに移し、脚に力を入れる、俗称「掰脚」)を行っていた。その結果、長年の訓練で脚疾を引き起こした。郭雲深老先生は窓台に手を掛けて站樁を行い、この樁を重力樁と呼び、六梢の力を増加させるための樁であった。郭雲深老先生は食事の後、よく外に出て、木の枝に手を掛けて站樁を行い、この樁を「搭樹樁」と呼んだ(次節参照)。重力樁と搭樹樁はどちらも単伝の老樁で、かつては嫡伝者以外には伝えられなかった。しかし、門槛に脚を差し込んで站樁を行うのは推奨されず、郭雲深老先生も試みただけであった。

石墨『中国拳道· 神意拳: 王薌齋原伝拳法』学苑出版社より