意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

搭樹樁的站法(『中国拳道・神意拳: 王薌齋原伝拳法』より)

搭樹樁は握槍樁の補助樁であり、神経と応激反応の訓練を強化することを目的としている。これは手を樹幹に搭けて站樁するものであり、站樁中は全身の空霊を保つことが重要である(図38-1、図38-2)。

站樁の前に適当な樹木を選び、理想的には桃の木やリンゴの木などの果樹類、または果樹類とほぼ同じ高さと主幹の太さを持つ樹木が良い。果樹類は高さと主幹の太さが搭樹樁に適しているからである。初めての站樁では、直径が約4〜5センチの太めの樹幹を選ぶと良い。神経の敏感度が向上するにつれて、直径が1センチ程度の細い樹幹に替えると良いが、あまりに太いまたは細い樹幹は訓練の効果に影響を与える。適当な樹幹がない場合は、弾性のある木の棒や細い竹竿を二つの枝の間にかけて代用することもできる。

站樁時は、身体各部を渾円樁の姿勢にして立ち、両手を鳥難飛の手形にするか、または渾円樁の手形を採用し、両手の手首の位置を軽く樹幹に搭ける。目を微かに閉じ、全身を空霊にし、意念活動を一切行わず、各細胞で自然を感じる。

この樁を初めて立つとき、身体が樹木と一体化したような感覚が得られる。小さな樹木であれば、鳥が飛び立つときの動きや風で揺れる動きを感じ取ることができる。全身の空霊が一定の程度に達すると、わずかな風でも全身に感覚が生じる。搭樹樁の訓練が進むと、站樁中に自分の存在を忘れる「站忘」という境地に達する(詳細は次の「人体第二睡眠:墨氏睡眠」の節で説明)。この站忘が始めて現れると数秒間で、訓練を重ねると次第に時間が延びるが、站樁中に站忘が現れたら、その回の站樁は終了すべきであり、意識的に追求してはならない。站忘の現象は他の樁でも現れ、特に渾円樁では、全身の空霊状態に達すれば必ず現れる。

站忘は神経の放松と全身の空霊状態で生じるものであり、意識的に追求してはならない。站樁が終わった後、身体が精神的に満たされ、発力や試力をしたくなるが、この時は数回の発力にとどめるべきである。これは発力が大脳の指揮下で行われるため、次回の站忘の出現に影響を与えるからである。李見宇先生は、「老先生が言ったように、『拳を練るのに2〜3年で発力を自在に使えるようになるが、驚炸力を得るには、搭樹中で神経を温養し、神撃の程度に達し、用いる時に一触即発の驚炸力を発揮できるようになることが必要である』」と述べている。

站忘の現象は「人体第二次睡眠」と呼ばれ、神経の敏感度を高め、人体の応激反応を養い、これは武家、医家、道家が追求する最高の養生境界である。

人体が二次睡眠中にあるとき、物体が近づくと明確に感じ取ることができ、これは正常な状態である。物体が人体に接触するかしないかの距離にあると、人体は応激反応として整体の発力を生じる。これが王芗斋先生が言う「驚炸力」である。この樁を初めて立つときは20〜30分が適当である。

石墨『中国拳道· 神意拳: 王薌齋原伝拳法』学苑出版社より