意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

練気(『意拳正軌』より)

孔子は治めるために性を養い気を練り、黄帝は道を楽しむために神を練って気とした。達磨は参禅し、道を伝えるために東に向かい、洗髓易筋の法を伝え、意拳及び龍虎の椿を創った。故に技撃の山を開いた宗派である。古来より有名な賢者や大学者、聖人や偉人は金剛仏体であり、不養生で気を練っていない者はいなかった。荘子は技は道となると語った。技は小道ではありけれども、学理はことさら尽きることを知らない。技を学ぶ者は凡そ、豊かでなく、垢抜けておらず、軽薄でなく、俗の気に当てられていない。賢人や有名な学者、優雅な音楽に合わせられる人はこの技を学ぶことが不足している。もし気を練る学を用いて効果をあげようとするなら、鼻呼吸で長く吐いて短く吸う。息は引き切らず尽きることがないようにし、気が浄化され虚の極致に至るように任せる。先天は食気の出入りする道であり、後天は賢気が昇降する道である。後天を以て先天の術を補う、これが周天の転回である。周天の学を初めて行うときは鼻孔によって清気を引き入れ、直接気海に入れ、気海から尾閭を通り、腰間を旋回し、腰から両賢の中心に至る。賢は先天の第一で、あたかも臓の根源であり、賢水が足りれば、督脉を上昇して丸宮に至り、やはり鼻間に帰るのである。舌を接すれば賢気は下に行き、下腹は充実し、徐々に丹の田に入る。これが周天の要義であり、周天の秘訣と命名する。学者はこれを軽視している。