意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

2023-11-01から1ヶ月間の記事一覧

試力(『拳学新編』より)

站樁は基礎であり、その妙なるところを得るには、気力の運用を習うべきであり、その初歩は試力にある。試力は力を得る手段であり、力は試すことで自ずと発するところを知り、また知ることでその用を得る。故に試力は拳法を習う上で最大の鍵である。 初めて試…

BUGEI2001年冬号

天才武術家王薌齋が残した超革新的拳法、意拳 登場する先生 于永年 西松正彦 王玉芳 (姚承栄) 内容 意拳創始者、王薌齋 意拳、その構造と力 套路を超越した画期的訓練システム 新世代の旗手が実践する、新しい指導のかたち 王玉芳老師が語る等身大の王薌齋…

武藝2000年夏号

意拳と太気拳 登場する先生 天野敏 西松正彦 大関智洋 浅野一 冷田和則 内容 拳を学ぶことは「全身全霊の力」を知り発揮すること 意拳と太気拳 「力」と身体操作の共通項 印象に残った言葉 「全身全霊の力」。これを意拳では渾元力と呼び、太気拳では気と呼…

序(『意拳正軌』より)

技撃の道を言い表すことは甚だ難しい。詞経が拳術の武勇を伝え、礼記が力比べを伝えたのが技撃の起源であり、漢代まで遡る。華佗が作った五禽之戯もまた技撃の本質である。当時は習うものが甚だ少なかったので、それ以降は聞かなくなってしまった。梁天の中…

王薌齋先生まとめ

著作 意拳正軌 序 樁法換勁 鍛錬筋骨 用勁 練気 養気 五行合一 六合 歌訣 交手経法 龍法 虎法 意拳正軌 拳之剛柔相済論 王薌齋談拳学要義 拳道中枢 自志 習拳述要 論信条与規守 論単双重与不着象 抽象虚実有無体認 練習歩驟 站樁 試力 試声 自衛 技撃樁法 神…

王薌齋先生の著書『拳道中枢』

自志 拳の道は大きく、民族精神の需要を反映し、国の学術であり、人生哲学の基礎であり、社会教育の根幹である。その使命は人の心を修正し、感情をさらけ出し、生理を改造し、優れた能力を発揮させることである。これを用いるものは賢くなり、身体は健やかに…

結論(『拳道中枢』より)

拳の修行は年月の長短、功力の深浅、体や年齢の高低にあるのではなく、また方法の多寡、動作の快慢、世代の高低にもあるのではない。要は学問の原則原理が通じているか否かにかかっている。特に天賦の精神が真の力を持っているかどうか、そして才志がどのよ…

解除師徒制之商榷(『拳道中枢』より)

師徒の制度は美徳として称えられるが、しばしば最も美しいことが、我が国で行われると弊害が多く生じ、醜態をさらし、とりわけ拳界ではこれが最も甚だしい。故に社会はそれを軽蔑し、師に拝しないで秘伝を得るのは難しくないと考える者もいれば、師に拝して…

試声(『拳道中枢』より)

試声は試力の微細に及ばない部分を補助するもので、その効力は声波を用いて体の細胞を鼓蕩させる作業にある。その本意は威嚇にあらず、しかし聞く者は突然の恐怖を感じることになる。実際には声力が同時に発生するためであり、単に声を上げて威嚇するのとは…

論単双重与不着(『拳道中枢』より)

拳道の原理について論じるならば、平時の練習であれ技撃の中であれ、全身の均整を保持しなければならず、微塵も偏りがあってはならない。少しでも平衡でないところがあれば、形は着象し、力も破体する。神、形、力、意はすべて着象を許さず、一たび着象すれ…

知行解釈(『拳道中枢』より)

学術の一道は、知ることによって行うことができ、行うことによって知ることができる。そうでなければ、自分を欺くことになり、妄執にとりつかれ、際限なく話すことになる。知行の二字は名前は簡易であるが、実際は煩雑である。世の人は「知ることは難しく行…

解除神秘(『拳道中枢』より)

天資歴が低くかつ、学識の浅い者がいる。人への忠誠があり、すでに師の教えを受け、絶大純篤の功夫の一つを専門に研究している。一部であると言えども、その多くはその言論の玄妙を聴くに及ばない。その効用を見ると、浅い者を識別できる。誰もそれを行うこ…

天賦与学術之別(『拳道中枢』より)

世の人は天賦と学術の違いについて以下のように話す。身長が八尺あり、力は千斤を越え、その勇は覆うことができない。身長八尺で、力が千斤を越えるということは、ただ条件に恵まれているだけで、拳学の代表とはなれない。また拳の一撃で巨磨石を断ち、単掌…

練習歩驟(『拳道中枢』より)

本拳の基礎練習は站樁である。その効用は精神を鍛錬し、呼吸を調節し、血液を流通させ、筋肉を伸び伸びとさせ、強身を養生し、智を発展させる学である。また運動をより発展させ、試力、試声、假想、体認の各法則、さらに自衛と大気の呼応と波浪の松緊を養い…

論信条与規守(『拳道中枢』より)

拳学の道はただ肢体を鍛錬するのみにあらず、重要で深い意味がある。まず、伝統的に徳性を重んじ、信条を遵守し、尊師を敬い、親に長く孝行するなどがこれである。他にも熱心に義侠心、仏心を求め、志を持って自分を捨て他人に従うなどしなければ、拳術家に…

王薌齋先生の著書『意拳正軌』

序 技撃の道を言い表すことは甚だ難しい。詞経が拳術の武勇を伝え、礼記が力比べを伝えたのが技撃の起源であり、漢代まで遡る。華佗が作った五禽之戯もまた技撃の本質である。当時は習うものが甚だ少なかったので、それ以降は聞かなくなってしまった。梁天の…

虎法(『意拳正軌』より)

虎法に六あり、曰く猛虎出林、怒虎惊啸、猛虎搜山、餓虎摇头、猛虎跳漳である。その性霊を探れば、強くて精壮であり、横に突進し(=冲)縦に衝突し(=撞)、両爪で山を排し、猛烈に進み猛烈に退く。長く扑き短く用い、食を剖くかのように、頭を振るが如く、…

用勁(『意拳正軌』より)

拳術の妙は、勁があることに価値がある。用勁の法は、剛柔、方円に外れることはない。剛は直竪で、柔は霊活である。直竪は伸びて攻守の力があり、柔は縮んで驚弹力がある。剛勁の形は方に似る。柔勁の外は方でありながら内は円である。伸縮、抑揚、長短を互…

鍛錬筋骨(『意拳正軌』より)

力は骨より生じ、筋に連なり、筋が長ければ力は大きく、骨が重ければ筋は霊となる。筋を伸ばし骨を縮め、骨が霊であれば勁は実となる。手首と頸の筋を伸ばせば、全身の筋絡は開展する。頭、頸、歯は合い(=扣)、足根は含蓄し、六心は相印し、胸背は円くなっ…

樁法換勁(『意拳正軌』より)

技撃の妙用を求めるなら、まず站樁で勁を換えることを根として始めなければならない。いわゆる弱を強に転じさせ、拙を霊に変えるのである。禅を学ぶ者は、始めは戒律に従い、精進して定慧を極め、心源を証し、虚空を了悟し、極地に至って初めて、道を学ぶこ…

王薌齋先生の著書『習拳一得』

通常よく言われるように、健康な身体があってこそ偉大な事業を成すことができる。つまり人の身体が健康で、生命が延びてこそ、あらゆる事業に従事できるのであり、そのため健康は非常に重要である。健康であるかどうかは、日頃の修養と運動が適切かどうかに…

論意(『拳学新編』より)

薌齋先生曰く、いわゆる拳とは精神気質を鍛えるための道具である。身体を動かして筋骨を伸縮させ、気血を川のように流通させることで身体を強健にする。これは気質の鍛錬に属する。筋骨がどのように動かされるかは、精神の側面に属する。身体の動用は一意の…

養気(『拳学新編』より)

拳を学ぶ者は気功について多く語るが、意見は分かれ、一つにまとまらない。薌齋先生は拳を教える時に、意、気、力の三字を同時に用いることがあった。また気力を並べて称することが多く、気の字を極めて重んじた。教授された養気の理は害がなく、その法は簡…

樁法後論(『拳学新編』より)

拳を習い站樁する時、時間が長くなればなるほど、その妙が増す。站樁する際の身体の現象は、功夫の深さによって異なる。初めて站樁を学ぶ者は、数分しか持たず、汗は流れ落ちる。さらに数分後、腹部の蠕動を感じ、全身に及ぶことすらある。しかし、長く練習…

武藝1995年冬号

王薌齋--王樹金 甦る達人たちの邂逅 登場する先生 谷内田一郎 (王樹金) (崔瑞彬) (簿家聡) (王福来) (王玉芳) 内容 門派の枠を越えた式典 北京市意拳研究会との交流 甦る達人たちの邂逅 先師の面影を見る おわりに 印象に残った言葉 (王樹金先生…