意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

武藝2000年夏号

意拳太気拳

  • 登場する先生
    • 天野敏
    • 西松正彦
    • 大関智洋
    • 浅野一
    • 冷田和則
  • 内容
    • 拳を学ぶことは「全身全霊の力」を知り発揮すること
    • 意拳太気拳 「力」と身体操作の共通項

印象に残った言葉

「全身全霊の力」。これを意拳では渾元力と呼び、太気拳では気と呼ぶ。修辞的な表現を許してもらえれば、それは、精神と肉体としてのヒトの中に内包されている知性と感性、自発運動と反射運動の全てのベクトルが一点に収斂し、突如、現実世界に躍り出てくるものといえる。ではどのようにしてこれらを知るか。これを立禅に依る。立禅を組むという事は、ヒトの行動を根本から見つめなおす作業である(天野敏)

つまり意拳太気拳は決して幻想的な拳法ではないということです。基本的には立禅や站樁というのものは非常にテクニカルなものであり、最終的には人の精神と肉体の融合、あるいは生理的に言えば中枢と末端の繋がりをどこまで広く深く持てるかというものです(大関智洋)

(中略)意拳は、全身を良い状態にするために、短所に矯正を加えて、それを一つ一つ無くしていくような動作が多く、逆に太気拳の場合は、どちらかというと気分を重視して、多少細かい部分よりも気分を先行させる。長所を伸ばして、短所を消していくやり方なんだとういうことです。(中略)特に中国の従兄弟弟子などに触れてみると、意念などの細かい部分が埋まっているなという感じがしました(浅野一)

基本的には意拳の、特に姚承栄先生のやり方というのは、私が受けた感想では、整体するというところを重要視していました。そして合理的に、短期間でどれだけ使えるようにするかということに要点を置いて工夫しているような印象を受けました(大関智洋)