意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

樁法換勁(『意拳正軌』より)

技撃の妙用を求めるなら、まず站樁で勁を換えることを根として始めなければならない。いわゆる弱を強に転じさせ、拙を霊に変えるのである。禅を学ぶ者は、始めは戒律に従い、精進して定慧を極め、心源を証し、虚空を了悟し、極地に至って初めて、道を学ぶことができる。禅功はこのようであり、技撃もまた同じである。なぜなら、初学者の時の樁法はかなり繁複で、降龍樁、伏虎樁、子午樁、三才樁などがあるからである。ここから繁を取り去って簡にし、各樁の長所を取り、合わせて一つにし、渾元樁と名づけた。これは勁を生むのに利があり、実戦に便利であり、打顧に優れ、気血が通じる。学者が旬日鍛えれば、自ずと効果があり、筆墨ではその神妙を表すことはできない。樁法の学において、最も忌むべきは身心の力を用いることである。力を使えば気が滞り、気が滞れば意が停まり、意が停まれば神が断たれ、神が断たれれば愚となる。特に頭を挙げて腰を折り、肘や腿が曲直が過ぎるのを忌み、全体としては曲に似て曲に非ず、直に似て直に非ずが適しており、筋肉の伸展を是とする。頭は頂として、全身の毛孔は松に似て松に非ずである。このようであれば内力は外に発し、弱点が強勁に変わり、自ずと要領を得ることは難しくない。