意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

鍛錬筋骨(『意拳正軌』より)

力は骨より生じ、筋に連なり、筋が長ければ力は大きく、骨が重ければ筋は霊となる。筋を伸ばし骨を縮め、骨が霊であれば勁は実となる。手首と頸の筋を伸ばせば、全身の筋絡は開展する。頭、頸、歯は合い(=扣)、足根は含蓄し、六心は相印し、胸背は円くなって、気は自然に開展する。両腕は横撑で平であり、兜抱、開合、伸縮の勁を用い、両腿は提、挟、扒、縮、蹚、崩、拧、裹の勁を用いる。肩は撑、胯は墜とし、尾閭は中正にして、神は頂を貫き、夾脊の三関は丸宮を透す。骨の重きは弓の背のようで、筋が伸びるは弓弦に似て、勁を運ぶは弦が満ちるようで、手を発するは矢を放つに似る。力を用いるは絲を抽くようで、両手は綿を裂くようである。手首足首を伸ばせば勁は自ずと実になり、気を沈めて歯を合わせれば骨は自然に堅くなる。身はその形を象り、龍墩、虎坐、鷲目、猿神、猫行、馬奔、鶏脚、蛇身となり、骨はその勁を調べ、腰を伸ばし、気を沈め、胯を坐らせ、膝を上げ(=提)、撐截裏墜、粘定化随とする。もしこの要素を得れば、敵に遇う時自ずから機に応じて動き、変化は無窮である。敵が巨力偉大であっても、一指が動けば千斤を動かす。いわゆる身は平准に似て、腰は車輪に似て、気は火薬のように、拳は弾のように、霊機一動で鳥は飛べない。さらに心を小さく、胆を大きくし、面は善く心は悪く、静かなことは書生の如く、動けば龍虎の如く、総じて虚実は不定で、変化は跡がない。これを原則とすれば、自ずからその神妙な変幻を得ることができる。郭云深大師が常に言われていた「有形も有意は偽りである。技が無心に至りて始めて奇を見る」とは、まさにこれである。