(四)
一、いわゆる「筋に力があり、骨は稜を蔵し、骨は縮み、筋は伸びる」について、姚老は練習時は筋が伸び、骨が縮み、使用時は骨が縮み、筋が伸びると述べている。
二、二争力:二つの相反する方向の力が一点、つまり一つの中心で争う。これが二争力である。実際の站樁では、この中心点は自分の手であり、平歩では両手、三体歩では前手である。
三、指と指の間に綿が挟まっているように想像することは、徐々に手の形を固定し、充実させるためである。
四、站樁中の意念活動の変化、細い糸を引く、ゴムを引く、太いゴムを引く、細い鋼線を引く、その中で異なる意念活動の弾力の変化に注意する。
五、站樁の三つの段階:一つ目は意を用いて力を用いない、二つ目は意が到れば力が到る、三つ目は意と力が分かれない。
六、鳥難飛樁練習のいくつかの意念活動:一つ目は両手にそれぞれ一羽の小鳥を握っていると想像し、小鳥はいつでも飛び去ろうとしている。小鳥が飛ぼうとする勢になったら、すぐに両手で軽く握って、手の支配から離れられないようにする。これが第一歩で、両手が同時に動く。二つ目は同じように想像し、小鳥の一羽が飛ぼうとすると、すぐに握ればよい。これが第二歩で、一方の手が動き、もう一方の手が動かない。ここには交互作用の意味が含まれている。三つ目は小鳥が同時に同じ方向に飛ぶので、すぐに両手で握ればよい。両手が同時に動き、方向も変化する。四つ目は小鳥の一羽が前に、もう一羽が後ろに、または任意の飛ぼうとする勢で、すぐに両手でそれに応じて握る。これは交互作用だけでなく、方向も自由に変化する。
七、站樁の中で比較的重要な樁法:渾元樁、大歩樁、坐式樁。
八、試力はなぜ手から体験を始めるのか? これは主に手の感覚がより敏感で、より体認しやすいからである。
九、動こうとしても止まり、止まろうとしても動く、動いているようで動いていない、動いていないようで動いているという意がある。これが動きを求める鍵であり、実行する時は身体を前推するしながら後ろに寄りかかり、後ろに引くように前に行くが、出してはいけない。出してしまえば、それは異なるものとなり、逆効果になる。
十、初めて試力を練習する時は、動作はできるだけゆっくりと小さくするのが良い。いわゆる遅ければ神が集まり、神が集まれば霊光が備わるのである。