(十三)
一、站樁の際は感覚があればよく、体認すれば得られる。追い求めれば得られない。追い求めるのは貪りであり、貪れば得られない。
二、推手の練習は、相手をどうこうするためではなく、自分の一挙一動が機を逃さず勢に乗り、応感発力できるかを探ることにある。もしそうであればそれは正しく、そうでなければ間違いである。
三、站樁の時に争う箇所があればすべての箇所で争い、試力の時に動く箇所があれば不動でないところはない。
四、站樁であれ、試力であれ、発力であれ、意境の真実性がもっとも重要である。
五、劈掌であれ、削掌であれ、横掌であれ、掌と呼ばれるものの、手掌だけを指すのではなく、より深遠な妙用は小腕のこの一部分にある。
六、樁を見るのは上から下へ、樁を調整するのは下から上へ。
七、松肩活腰開胯は拳を練習する際の要所である。站樁以外にも、松肩は松肩試力や指天划地も加え、活腰は平歩転体も加え、開胯は独立樁を多く立つべきである。
八、推手で引いても動かず、推しても動かず転じる。
九、站樁の感覚は主に両手両足の間に意を注ぐべきで、その他の部位は気にする必要はない。