2024-11-01から1ヶ月間の記事一覧
李仲軒老人は生涯で弟子を取らなかったが、晩年幸いにも『武魂』に言論の場を与えられた。李老の子女の回想によると、1984年、李老は中国科学院の家族院で門番をしていた。一人の中国科学院の同志が李老のために本を出そうとしたが、李老は謝絶した。 また、…
ある日、薌老は父(訳注:程志灝先生)を連れて崇文門外の河泊廠の羅耀希大夫の家に用事で行った。薌老は先ず父を羅大夫に紹介し、用事を済ませて帰ろうとした時、羅大夫は「お待ちください」と言った。彼は奥の部屋から白蝋杆を取り出し「志灝との初対面の…
1944年の春頃、薌老は万字廊の庭で父(訳注:程志灝先生)と姚宗勲師伯に推手を教えた。まず父に教え、姚師伯に見学させ、次に姚師伯に教え、父に見学させた。 薌老は両手を父の上げた両腕に置き、わずかな動きで内側に引くと、父は後ろに数歩下がってようや…
脚踝は全身の重量を支える要であり、盤架の蹲低にとってより重要なのは、落胯だけでなく、落踝である。落踝により、気は涌泉に沈むことができ、涌泉に根なければ、気には主がなく、「力学は死んで補うことができない」の状況に陥ることとなる。 脚踝の拳架に…
体松というのは、身体の各部分、手足及び肢体等々を指す。腹松とは、丹田気の松浄を指し、丹田気の滞りや閉塞がないことを指す。腹松とは腹部肌肉の弛緩ではなく、歩行時、行功運気時における丹田の気の運行流通が順調であることを指す。力を用いて気を使う…
私見では、意拳の練功は、多くの場合「預」功(或いは「欲」功と呼ぶ)を練るものであり、即ち「将に」の功、「未だ発生せざる」前のその功、また「将に」発生せんとするその功である。皆が意拳の站樁において「動」の前の運動、即ち「未だ発生せざる」前の…
中国歴史上に多くの武学の巨匠がいるが、もし彼らを一流と超一流に分けるならば、意拳祖師王薌齋先生は超一流の列に入る。実際、武学巨匠の歴史的記録は、往々にして脚色された部分が多い。現在の意拳の観点から見ると、多くの巨匠も出尖の功夫であり、祖師…
伝統武術は「瞬撃術」を強調し、意拳は「一触即発」を強調する。「瞬撃術」と「一触即発」の前提は周身が一動すれば整となること、即ち「一動すれば動かないところはない」を可能とすることである。私はこれを「零起動」と呼ぶ。一動して整であろうとすれば…
私が若かった頃、尚雲祥に師事して形意拳を学んだ。何年も経って、師の拳法は尚式形意として人々に尊ばれるようになったと聞いた。近頃、武術愛好者が訪ねて来て、「尚式」という名は何が異なるのかと尋ねたが、簡明な言葉で答えられなかった。当時は拳を学…
問:仲軒太師爺、このようにお呼びさせていただきたいのですが、私の師承は李存義——劉云及——崔振先のこの一派です。崔振先は私の太師爺であり、彼は薛顛に入門していたので、あなたを太師爺とお呼びするのは分内のことかと存じます。我々のこの一派の教えで…
李仲軒は寧河で唐維禄から拳術、医薬、道法(形意拳は内家拳で、道家を帰旨とするため、医薬、内功がある)の全ての伝承を受け、唐の伝衣鉢弟子となった。 唐維禄が形意拳の古歌訣を口伝する際、「虎豹雷音」という句があったが、詳しい説明はなかった。李仲…
尚氏形意拳 登場する先生 李文彬 内容 形意拳の三乗の功夫 印象に残った言葉 尚雲祥先生は、「形意拳で言われる「精を練って気と化し、気を練って神と化し、神を練って虚に還す」は、技術の進歩の段階であり、決して神秘的なものではない。」と言っている 先…
武術の修練は先ず精神を重んじ、意念を用いて精神を取り出し、さらに身体から光芒を放つ精神意念を持たねばならない。しかし武術における光芒の訓練は養生健身の柔和な光を主とし、これを常態化すべきである。技撃時の戟や槍のような金光の訓練は小部分のみ…
尚氏形意拳 登場する先生 李文彬 内容 形意拳における一身の法についての認識 印象に残った言葉 技撃において威力を増す作用のある「四梢」のうちの三梢は頭部にある。舌は肉梢であり、歯は骨梢であり、毛髪は血梢であり、いずれも頭部にある。ただ、手の指…
形意拳はどこまで練れるのか? 唐師は私に例えて言った。断崖絶壁から飛び降り、地面に激突しそうな時、手で岩壁を一撃すれば、人は横に飛び出し、無事であると。人と戦う時、一度搭手しただけで相手の勁を変えられる、この技は良いものと言える。さらに良い…
尚氏形意拳 登場する先生 李文彬 内容 形意拳をどのように認識し、どのように鍛錬するか(下) 印象に残った言葉 形意拳の「肩」についての技法要求は主に「鬆・垂」である。形意拳九歌では「頭宜上頂、肩宜下垂(頭は上にまっすぐ伸ばし、肩は下げるべきで…
韓嗣煌先生は元国民政府山東省主席韓復榘の第六子で、河北霸州の人、1933年生まれ、2000年に67歳で亡くなった。 韓嗣煌先生は学者出身で、オーストリアで力学を専攻し、元々は華北水力電力大学の力学教授で、北京民革で秘書長を務めていた。 韓嗣煌先生は194…