意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

龚東先生の著書『習拳筆録』(14)

(十四)

一、道の体は養にあり、道の用は練にある。体用の理論とは、すなわち練養の学問である。功夫も養われたものであり、練られたものでもある。故に練と養とは分かちがたく、どちらか一方でも欠けてはならない。

二、衝、任、督の三脈は源の三岐であり、ともに帯脈と関係している。そして帯脈は腰にあるので、帯脈が開けば、全身が活性化される。

三、単推手の姿勢は渾元樁と同じで、前腕は相手と接触するが、後手は呼応しなければならず、呼応があって初めて一体となり、一点の接触で整体が呼応することができる。これが単推手の要旨である。

四、単推手で最も体会しやすいのは、搖と旋の二法である。したがって、搖旋二法の精妙を求めるには、単推手で功夫を積まなければならない。

五、摩擦歩の四文字の要訣は、歩く際は提蹚、つまり膝を提げ、両足で蹚すること。また、歩を踏む際は扒縮、つまり足先で扒(=掻く)し、足底で縮することである。

六、摩擦歩の間の空中の腿は、必ず支える足の外くるぶしの内側を通過し、両足がほぼ閉じた状態に近くなるが、空中の足は地面に着かない。これが歩法の進退変化の最も重要な点で、これがなければ歩法に根本的に変化はない。

七、摩擦歩とは脚の試力であり、練習する際はゆっくりの方が良い。ゆっくりすればするほど、脚下への体得が細かくなり、平衡の錬磨にも良い。

八、摩擦歩の初期練習では、身体を上下させてはならない。その主な作用は上下を強化し、動作の中で上下の勁を失わないことにある。この功を極めれば、上下の起伏の問題はなくなる。

九、片足で支える練習法には、独立樁の他に、三体式樁法の際、前足を地面から少し離して行うこともでき、これにより腿部の支持力と身体の平衡力を高めることができる。

10、站樁について、先達は言った。「少し力が入りすぎると感じたら、引き戻さなければならない。一度動けば感じ、一度感じれば転じなければならない」。ここで言う「一度動く」とは意が動くことであり、「一度感じる」とは感覚があることである。故に意拳は精神を重視し、意感を重視し、体認の功夫を重視する。その中の「意感を重視する」とはこのことである。