意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

龚東先生の著書『習拳筆録』(15)

(十五)

一、摩擦歩で進退する際、足を着く時は必ず、つま先、足裏、かかとの順で軽く着地させ、一足で踏みつけてはならない。着地の際は探りながら着地させる。足を上げる時は、全体の足裏を一緒に地面からゆっくりと引き抜き、つま先を少し勾することを忘れずに、足裏と地面はほぼ平行を保つ。

二、あらゆる試力は上下前後左右から離れることはなく、それぞれの試力にはそれぞれの重点がある。開合は左右を重視するが、上下を失うことはなく、前後の争いによって左右の勢を生む。後ろへ行けば必ず開き、前へ行けば必ず合う。これが変わらぬ原則である。

三、站樁や試力の際、呼吸には意を払わず、呼吸に累されるべきでない。呼吸を忘れるのが最良である。

四、「似曲非直」とは、素朴に言えば、どちらの面も絶対化してはならないということである。

五、「三夾」とは、両膝の間、両腋の下、下顎のこの三箇所である。「両頂」とは、頭頂(正確には上領がより良い)と膝前の二箇所である。「四盈」とは、四肢の梢節が充満し、つまり意力が四肢の梢まで達する意味である。

六、指天划地には松肩の効果がある。「指天」とは、手が上を指して天を破るという意識を持つことであり、意識を高くすればするほど良い。「划地」とは、手が下を引っ掻き跡を残すという意識を持つことであり、意識を深ければ深いほど良い。

七、意念の操持は一度想えば止めること、一度動作を起こしたら止めるのではない。

八、站樁の際は、身体の重みを足元に置き、上身が虚であれば自然に松となり、下身が実になれば自然に安定する。

九、意拳には左右はなく、重視するのは倒錯して互いに用いること、左右が根源から出ていることである。

十、站樁で摸勁する際、前後の勁などと分けて論じてはならない。前があれば必ず後がある。後があれば前を考える必要はない。後が出れば、前は自然と出る。もし前勁と後勁を分けて考えれば、それは間違いである。