意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

大成拳問答覚迷録(4)(『大成拳函授教程』より)

問:拳術では悟りが重要と言われますが、開眼後は一切が解決されると先生はお考えですか?

答え:悟りは非常に重要ですが、「悟り」は説明し難いものです。私は拳を学ぶ人にとって「悟り」を学ぶ方法が非常に重要だと思います。長年の訓練でほとんど「悟り」に達したことがなく、「真理」を突然理解したこともありません。ただ汗と心血を注ぎ、ゆっくりと実践しながら考え、総合して、何年もの後にわずかな成果を得ました。真の仏教の突然の悟りも、一度にすべてが解決されるわけではなく、そんなに簡単ではありません。しかし、悟りは有用なものですが、「突然の悟り」を常に期待して、小さな徳と小さな知恵で「拳の真理」を悟ったと誤解し、知恵の扉を閉ざしてしまってはなりません。「悟り」をどのように学ぶのでしょうか? 時間と労力を省く方法はありません。ただ、苦しい修行をして、全身全霊を拳術の実践体験に投じ、先生の指導の下で、探求の足を止めずに続けるしかありません。

問:身近な弟子に対しての要求は何ですか?

答:身近な入室弟子であれば、私に大きな責任があります。弟子の拳術生活は、私が最後まで責任を持つものです。弟子が拳術の真理と実戦での対抗を真に掌握できないことは、私にとって大きな恥辱です。そうであれば、私の拳術生活の失敗と終焉を意味します。ここでは、弟子にはまず人格が正しく、邪心がなく、学問研究に全精力を尽くすことを求めます。他人が耐えられないほどの努力をし、拳術を自分の生命の一部として捉える必要があります。そうでなければ、学んでも私と弟子にとって意味がなく、損失になります。また、あまりにも自己中心的であってはなりません。拳術の学習は良いことですが、まずは生存することができ、家族の正常な生活を維持することが先です。そうすれば、拳を練習する際にも安定しており、心理的な負担がありません。可能な限り、弟子に適した仕事を手配して助け、私のそばで仕事をしながら拳を練習することで、多くの心配を減らしています。

問:「一面鼓一面蕩周身無点不弾簧」についてお話しください。

答:多くの人が拳術で意や気によって鼓蕩させる問題について話しています。鼓蕩は拳学の深い概念であり、言葉で表現するのは難しい概念です。それは拳術者がより高い水準に達した時の感覚であり、簡単に言うと、二つの「勁」の連接です。二つの「勁」の連接は、外形の二つの動作の連接とは等しくありません。内側の「勁」は外形の動作よりもずっと速く、一つの動作で複数の「勁」を出すことができます。例えば、外形が一つの崩拳であっても、内側の「勁」は二つ、三つ、あるいはそれ以上のものがあります。「挑打」、「按打」、「挂打」はすべて「勁」を指し、外形が動かなくてもいくつかの「勁」を打ち出すことができます。二つの勁の連接が非常に円滑であれば、複数の発力を行うことが鼓蕩です。無数の「勁」の連接は、実際には二つの「勁」の連接であり、二つの「勁」の連接がうまくいけば、複数の勁の連接もうまくいきます。この時、「一面鼓、一面蕩、周身無点不弾簧」と言えます。形意拳で言われる「起は横、落は順、起横は見えず、落順も見えず」というのも、この意味です。「鼓蕩」を自身で体感するには、まず全身の筋骨が常時支えられる(=挑撑)ようになり、肌肉が驚いた蛇のような状態になることが必要です。それによって初めて鼓蕩の感覚を体感できます。

問:恩師である選傑先生の拳術の風格について語ってください。

答:選傑先生には山のように深い恩義を感じています。先生の逝去は私にとって大きな打撃でした。師と私との間には血縁のような関係があり、私は老師の拳術思想をさらに研究し、学び、思考するべきだと思っています。師は一生を拳術に捧げ、数え切れないほどの財産を積み上げました。

恩師の功夫拳術界全体で認められています。ここでは、師の搭断手が完璧に組み合わされている点だけを伝えたいと思います。断手の中で推手の技術を完全に活用しているのを私は見たことがありませんでした。師は常に、推手は断手のスローモーションだと言っていました。これは学習者がしっかりと要約して理解する必要があります。実戦で、師は接触するだけで相手の中線と重心を完全に制御し、一瞬で相手から奪位します。決して相手の体を打って勝つことはありませんでした。老先生は身体の松緊を非常に上手く控制しており、攻撃してくる相手に対して、出拳の刹那に手を接触させて力量を転換し、下に歩を踏みながら相手を整体して起こします。師は「実戦で相手を引き入れる勇気が必要だ」と言っていました。本当に功夫があれば相手を引き入れることができますが、私たちのように技術が未熟な者は先生のようにする勇気がありません。これは水準の違いがあまりにも大きいからです。師と搭手すると、中線と重心がすぐに制御され、按によって起こされ、刀が振り下ろされます。勁を出すことができず、勁を出すと起こされたるか、外に放り出されたりします。松になるとまた入ってきます。とにかく彼の勁を感じることはできず、接触すると勁が「騰」と追いかけてきて、まるで空霊に感じられ、身体の力量は持ち上げられ、落とされればは体重が遠くに放り出されます。これが真の「硬打硬進遮るものなし」です。

恩師の功夫がこれほど優れいてる秘密は何でしょうか? 一つには王薌齋老人の拳学思想を継承したこと、二つには他の人よりも遥かに多くの努力をしたことが挙げられます。宇宙八荒を制し、強い櫂で歴史の長い川を漕ぐことができるこの境界に達するには、想像を絶するほどの苦労と代償を払ったことでしょう!

恩師の弟子として、私は師に敬意を表し、一生を拳術事業に捧げることを永遠に忘れません。また、王選傑先生の拳学の追随者たちが、不屈進取の心と圧倒的な果敢さを持って、相手に対して勇敢に、恐れずに立ち向かい、純粋な功夫と勇気あふれる情熱と鋭気で、常に前進し続けることを願っています!

王紅宇編著『大成拳函授教程』より