意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

要論二(『岳武穆形意拳術要論』より)

古より世には捶(=拳と同義?)について論ずる者があり、気についても論じる者もある。気は本質的に一つであるが、二つに分けることができる。二つとは即ち呼吸である。呼吸は即ち陰陽である。捶において動静が必要であり、気においても呼吸が必要である。吸は即ち陰であり、吐は即ち陽である。静を主とするのは即ち陰であり、動を主とすることは即ち陽である。上昇は陽、下降は陰である。陽気が上昇するのは陽、陽気が下行するのは陽、陰気が下行するのは陰、陰気が上昇するのは陽である。これが陰陽の分である。清濁とは何か? 上昇するものは清であり、下降するものは濁である。清気は上昇し、濁気は下降する。清は陽であり、濁は陰である。そして陽は陰を養い、全体としては気として言い表され、分言すれば陰陽となる。気は陰陽なしには成り立たず、これは人が動静を必要とするのと同じである。鼻は呼吸なしには成り立たず、口も出入りなしには成り立たない。これは、循環して変わらない理である。気は二つに分けられるが、実際には一つである。道を志す者は、これに囚われることなく注意すべきである。