意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

伝授槍法(『我跟薌老学站樁:六十年站樁養生之体悟』より)

ある日、薌老は父(訳注:程志灝先生)を連れて崇文門外の河泊廠の羅耀希大夫の家に用事で行った。薌老は先ず父を羅大夫に紹介し、用事を済ませて帰ろうとした時、羅大夫は「お待ちください」と言った。彼は奥の部屋から白蝋杆を取り出し「志灝との初対面の記念に、この贈り物を」と言った。父は辞退したが、薌老はそれを受け取り、手の中で振って「なかなかよい。お前にあげるのだから、受け取りなさい」と言った。父は「私には使えません。要りません」と言った。薌老は「私が教えれば使えるようになる。受け取りなさい」と言った。父は羅大夫に感謝し、杆子を持って帰った。

家に帰ると、母が杆子を持って何をするのかと尋ねた。父は羅大夫が杆子をくれた経緯を説明した。

母は大夫の住所を確認し、翌日実家に戻って祖父に「羅大夫は志灝の師兄で、私たちの家の家屋に住んでいます」と伝えた。それ以来、祖父は大夫から家賃を取らなくなり、両家は友人となった。

父が渾元樁と走歩を練習した後のある日、薌老は「槍を練習させよう」と言い、父に槍法を伝授した。

槍法の練習は、まず上、下の勁を練習しなければならない。

薌老は父にまず渾元樁を正しく立たせ、続いて「左手を前に出し、半ば横向きに槍身を握り、掌心は鶏卵を包むように、槍身が卵を押しつぶさないようにする。右手は槍の尾の全体を握り、臍の前約一拳の位置に置く。槍先は眉より高くしない。槍先から一尺余りの槍身を固定物(大木や門枠など)に寄せ、槍先に三、五斤の重りが付いているように想像し、上下に均一な速度で滑らせる。滑らせる距離は一尺ほどで、左右交互に練習する」と教えた。

当時、薌老は一本の木を使って練習し、長年の間に、その木に瘤ができるほど磨り減らしたという。その功夫の深さは想像を超えるものだった。

ある程度の基礎ができた後、以下の十三種の勁を練習する。撥、拧、転、滚、扣、裹、刺、挑、崩、絞、推、拉、銼である。

上記の計十五種の勁にある程度の基礎ができた後、対練を始める。

薌老は父に彼の部屋の後ろから二本の白蝋杆を取り出させた。一本は羅大夫が薌老にくれたもの、もう一本は薌老自身のものだった。

薌老は羅大夫からもらった方を使い、父に自分の杆子を使わせた。父は後に私に、薌老の杆子は手に持つと他の薌とは違う感じで、扱いやすかったと語った。

薌老は「槍先は相手の前胸から額までの一尺余りの範囲から離してはならない。使用時は、十五種の勁を一つの勁に統合しなければならない」と言った。

父は「師祖父と槍を合わせると、師祖父の槍は軽く一拧、一撥するだけで、言葉では表現できない勁が私を弾き飛ばした。抵抗しようとすればするほど、より遠くへ飛ばされた」と語った。

毎回三回だけ練習し、その後薌老は「帰ってよく考えなさい」と言うのだった。

ある時、薌老が再び父に杆子を取るように言ったが、父が部屋を探しても一本しかなかった。薌老は「忘れていた。一本は人に貸したのだ。瓶に挿している払子の柄を持ってきなさい」と言った。

薌老は払子の柄を槍として使った。父は、払子の柄は柔らかくて弾力があるから、今度は弾き飛ばされることはないだろうと思った。そこで父は槍を捻って薌老の前胸を突こうとしたが、槍身が一震するのを感じただけで、遠くへ弾き飛ばされてしまった。

また別の時、父が何気なく杆子で払ったところ、思いがけず薌老をよろめかせてしまった。彼は「先生、払おうと思った時は払えませんでしたが、今の何気ない一払いで先生を動かしてしまいました。これはどういうことですか?」と尋ねた。

薌老は「思うというのは有意であり、何気ないというのは無意である。無意は本能だ」と答えた。

「いかなる器械も手腕の延長である。槍法の各種の勁は一つに統合し、槍法は臥樁と交互に練習し、槍法と拳法は一つに統合し、槍法、拳法、樁法は一つに統合しなければならない。拳を学んで槍を学ばないのは、半分の拳に過ぎない」

槍法の練習は万法を一に帰さねばならない。「一即一切、一切即一」、「一法不立、無法不容」。本能が戻らなければ、潜在能力を引き出すことはできない。万法が一に帰さなければ、それはこの拳ではない。

程岩著、程颖整理『我跟薌老学站樁:六十年站樁養生之体悟』北京科学技術出版社