意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

中国武術で驚異のカラダ革命

「立つ」という練習法

印象に残った言葉

私が学んだ故・澤井健一先生がよく仰っていたのは天・人・地をつなげるということでした。足はしっかりと地面に根を張り、かつ頭は天に持ち上げる。そんな立ち方を身につけるのです。骨格を前後、左右、上下にしっかり伸ばす。俗にいう「六合」です(前後・左右・上下の力を合一させる)。これにより自分自身が宇宙の中心となったつもりで、全身を一つにする。まずはこの感覚と、構造上正しい関節角度を会得して、これを保ちながらその空間を拡大し、動くのです(佐藤聖二)

站樁のある一定の段階では、収縮と膨張などの「微動」を行うことで外からの力を弾き返すような弾力を求めていきます(佐藤聖二)

澤井先生がよく話された「吹き矢の名人」というのがあります。吹き矢の名人は吹く時、改めて息をすことなく、いつでも吹ける、ということです(佐藤聖二)

北京で姚宗勲先生(意拳創始者・王向斎の高弟)の動きを見た時なんですが、目の前に立たれてパッ!! と動かれると全身が同時に動くので変な錯覚を起こしますね(佐藤聖二)

王向斎先生は「気は血の師であり、血は気の母である」と言われたそうですが、澤井先生も「気は血の中にある」と話されていました(佐藤聖二)

站樁ではこうして手を張ります。このときうちに向かう抱くような力と、その反作用である外に張り出す力が同時に働いてなければならなりません。これを体と脳に認識させるのです。だから止まっているようでもずっと動き続けていることになります。逆に站樁の感覚のまま動くということはずっと止まっているとも表現できるかもしれません(佐藤聖二)

前後のこういう身体を各方向に圧縮、膨張するような動きをどんどん小さくしていきます。そうすると、おしまいには居着いたように止まって見えますが、非常に速く反応できます(佐藤聖二)

何事にも矛と盾のような対立があって、その中間に「中」がある、逆に「中」があるから矛と盾があるわけですが、この「中」が一番バランスが取れた状態です。この状態を守って動く、活用するということです。平衡を作っては壊すということを繰り返し、止まることはない。世の中には絶対的に止まっているものはないし、絶対的な平衡もないと説きました(佐藤聖二)