意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

フルコンタクトKARATE2006年10月号

澤井健一の遺産 太気拳

  • 登場する先生
    • 鹿志村英雄
    • 天野敏
    • 島田道男
    • 佐藤聖
  • 内容
    • 《座談》太気拳の未来
    • 天野敏特別寄稿
    • 島田道男インタビュー

印象に残った言葉

太気拳を始めてから変わったことについて)腹に重心が乗るようになりますから、遠くを見るような感じで姿勢が良くなりますよね。少なくとも前かがみにはならなくなりますね。でもそれがわかってきたのは最近ですよ。もうどのぐらいやっているんだろう。25年ぐらいかな(鹿志村英雄)

ある時、動きが変わってきたのが自分でもわかったんです。意識と足が連動して動くようになってきたから。そうなると動いた時、楽しんです。踊っているような感じですよ。相手と対してワクワクするような感覚があるんです(鹿志村英雄)

澤井先生に昔「天野君ねえ、君たちの揺と僕の揺は、どこが違うか。君、わかるかね」と聞かれんたんだよ。先生の真似をしているんだから、似ているに決まっていると思ってたけど、「そう言われても困るなあ」なんて考えていたら、「君たちの揺には心が無い。僕の揺には気持ち、心が乗っているんだ」と言われた。やっと最近、「心が乗る」ということがどういうことなのか、気持ちがなければ練習をやっても仕方が無い、気持ちと動きが一緒になるための練習をずっとしてきたんだ、ということがわかるようになってきた(天野敏)

気分というのは呼吸ということなんだ、と。周りの雰囲気、気を全部感触として味わうことなのかもしれない。澤井先生が「気分」って言っていたこと、その重みを今、生徒を教えるようになって実感するようになったね(島田道男)

俺は1年くらいで(立)禅をやっていたら腹がドーンと動いたんだよ。澤井先生が言っていることに鼻っから疑問は無かった。澤井先生は「技なんか今は覚えなくたっていい。とにかく練りなさい。そんなものは2、3日あれば十分だ」ってよく言ってた(島田道男)

(澤井先生曰く)特に鼻は「人間の東京都」だって。「東京都に爆弾を落とされたら、どうしようもないだろう」って(佐藤聖二)

ただ、「落とされてもあたふたするんじゃない!」とも言っていました。例えばナイフをブスッと刺された時、その瞬間にその傷口を見て、「うわ!」ってなったら、また別の所を刺されてしまいますから。それでまた刺されて「うぎゃー」ってなってさらに刺されて、「君、その内、アジャバだ(死んでしまう)よ」って。「刺された瞬間、反射的にほぼ同時に殴り返せないとダメだ!」ってことですね。「君たちの組手は、一発殴られたら、殴られた部分を気にして、鼻血が出たらそれを啜ったりしてるけど、そんなことやってたらダメなんだよ」って言ってました。「当てられそうになった時、当った時にどうするかが技なんだ」ということですよね。わざというのは手でどうこうするものじゃなくて、「接触した瞬間に前に詰めるか、すかすか、その瞬間の変化が技なんだ」ってことです(佐藤聖二)

澤井先生の逆手というのは合気道みたいに掴んでからやるものじゃなくて、触れた瞬間に反応するんですよ。それが太気拳の妙なんです(佐藤聖二)

(立禅の感覚について)僕の場合は、手が無いような感覚になった時が一番いい状態なんですよ。それが最近わかってきたんです。そうなると相手にどんなふうに来られても、惑わされないど自分の手が勝手に動くんです(鹿志村英雄)

澤井先生はよく奥さんの手を借りて、逆手の練習をしていましたね。女の人の手は、関節の可能ぢきが広いから柔らかいんですよ。女性の手をほどけるようになると、男の手をほどくのはすごく簡単になるんですよ(鹿志村英雄)

やっぱり、10年、20年の世界だね。それでようやくわかることがある。20年続けると、あの頃どれだけ自分が弱かったかわかるんだ。3年、5年で壁にぶつかってもやめちゃいけないね。20年かからないと越えられない壁もあるんだね(天野敏)

(初めての稽古で澤井先生に)「なかなかいい身体をしている。私をその力で押してみたまえ」。言われるままに腕を交差させて押した。これが動かない、びくともしない。私は180センチ、80キロ。特に筋トレはやっていなかったが腕力には自信があった。笑いながらの先生の言葉が「見かけほど力が無いね」(天野敏)

(同じく稽古の終わりに)「僕が顔に打ち込むから避けられるかね」。何を言うんだ、打ってくるのがわかっていて避けられないはずが無い。(中略)向かい合って先生の体が上下に揺れる、と思った途端に目蓋にその手が飛んできてふっと触れて止まった。何が起こったのか見当もつかない(天野敏)

なぜ立禅を組むのか、それは禅で身体を緩め、空間の感覚を身につけるため、これは身体を緩め、空間の感覚を身につけるまでそんなものがあるのに気がつかない。気がつかない時はあることすらわからないもの、最近になってそう言えるようになった。這だってそうで、組手の時は這のように手を顔の前に出して構えなさいと言うこと。そうなった時にどう言う可能性が湧き出すかはできるようになってみないとわからない。なぜなら皆そういうふうにできないから。練はどんなに動いても上半身と下半身が調和を持って動けるようにするための稽古。これだって、自分の身体の調和が取れていない、なんて思ってもみなかった(天野敏)

太気拳の練習は逆に健全な状態に戻す作業であり、「自分を見つめる」という作業なんだ。そして皮膚感を養い中枢神経と末梢神経を繋ぎ、自分自身を一つにし、気を蓄え、様々な効用を得ることができるようにするものだ(島田道男)

(澤井先生について)いち武術の話について言えば、非常に健康だった。皮膚でも、本当に死ぬまで僕よりツヤツヤしていた、と言ってもいいくらいだった(島田道男)

我々は空間を制御するわけだから。空間を制御すればどうにでもなるわけだ。ただの当てっこでは無いから打つだけじゃなく、相手を横に動かすこともできるわけだし。当てなくても制御すればいいわけだから。「制御する」という手段が無ければ話にならないわけだ。その制御する手段がウチにはあるんだ。「蹴って、突いて」ということではなく、「相手の蹴ってきた動きに対して防御しながら、自分は変化して相手を崩す」という動きを行なっているわけだ(島田道男)

「禅」をやって自分の体がわかってくれば、当然人の体もわかってくる。自分が相手の形をした時に、その手は打てるのかどうか、すぐわかる。それが身についているかどうか、それが空間という概念だ(島田道男)

真っ直ぐにするために必要な筋肉がついていないとしょうがない。まっすぐにしていないと回転しようとしたって回転できないだろう。曲がったものが回転したらブレてしまう(島田道男)

ただ足が動くわけじゃなくて、腰に力があって、体がちゃんと腰の上に乗っかっているかどうかを見ていないといけない。レスリングだってチャンピオンはちゃんと腰の上に体が乗っかっているよ。学生チャンピオンクラスだと、やっぱり足が動いてから動くからズレているけど、それはしょうがない(島田道男)