意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

意拳(大成拳)の流派

時間ができたので、意拳(大成拳)の論文を読むときの解釈やポイントについて、たまに書いてみようと思います。

今回は、意拳(大成拳)の流派について軽く紹介します。

意拳(大成拳)は基本的に王薌齋先生の拳学から始まっており、その根源を同じとしますが、その風格は流派によって大きく異なります。

大きく分けて、

  • 姚宗勲系統
  • 王選傑・常志朗・楊徳茂系統
  • 韓星垣系統
  • 韓星橋系統
  • 王斌魁系統
  • 澤井健一系統(太気拳
  • その他(李見宇、于永年、王玉芳、秘静克など)

辺りの系統に分けて考えると、その違いを理解するのに役に立つと思います。

意拳を紹介される時に最も想起されやすいのは姚宗勲先生、姚兄弟を中心とした意拳です。その特徴は科学的、体系的、現代的の三つで、意拳の中でも最も新しい考えを取り入れたという言い方ができると思います。現代格闘のトレーニングを大胆に取り入れつつ、古い功法を大胆に捨て去り、体系的な構造に落とし込んでおり、実戦的という風格を感じます。王薌齋先生の拳学においては、主に後期の理論をその根拠として採用していることが多いです。詳述はしませんが、矛盾についてはほぼ松緊を主にして、他への言及は少なめです。

王選傑、常志朗、楊徳茂といった先生方の系統は大成拳を名乗ることが多く、姚宗勲先生の系統とは理論などの面で対立していることもあります。具体的にこの流派は中国の古い功法を尊重しており、形意拳道教(仙道)などの言い伝えをそのまま理論的根拠として使っていることが多いです。王薌齋先生の文献でいうと、『意拳正軌』を引用して解説しています。例えば、站樁の姿勢は最初低くして気血を鍛錬して体を作ることを重要視したりします(姚氏系統だと姿勢が高く変化を重視することが多いです)。矛盾に関する理論的は多くあり、特に身松点緊を始めとした現代にない技術を多く持っている雰囲気を感じます。

韓星垣先生の系統は簡単に言うと、形意拳意拳の融合という風格です。こちらも初期の意拳に近い感じがあり、推手、試力などを練習しないこともあり、逆に五行拳などを練っていたりします。韓星垣先生が香港で教えていたという歴史があり、香港ではこの系統が主流です。龍法、虎法などの練習が残っており、理論的根拠はどちらかといえば意拳正軌』によることが多いです。人によってはほぼ形意拳では? と感じる理論も散見されますが、打つということについては最も明確に練習している印象です。

韓星橋系統はいわゆる韓氏意拳と呼ばれることが多く、認識方法からアプローチしています。説明が難しいのですが、体認、自然、本能力などの認識方法を中心に意拳を捉えて、そこから練習している印象を持っています。独特の功法も多く、そういった意味では革新的な流派だと感じます。ただ、文章の発表が他の流派より少なくかつ難解なため、このブログで大きく取り上げられていません。

王斌魁先生の系統は意拳に加えて、太極拳、気功の要素を取り入れているのが特徴です。王斌魁先生は元々太極拳などの武術をされていたので、その理論にも太極拳の円の技巧がよく出てきます。

その他、李見宇、于永年、王玉芳、秘静克などの先生方は独特の功法や理論を持っており、上記の流派とはまた異なる味があるので、ぜひ個々に研究してみるのが良いでしょう。

さて、最後に澤井先生の太気拳について触れておきます。太気拳の練習方法は意拳(大成拳)のなかで最もシンプルに洗練されていると言ってもいいと思います。練は種類が多いですが、それ以外の立禅、這などはほとんど種類がなく、練習する内容を最小限に絞っているという印象があります。また気功を取り入れている流派はありますが、太気拳の気の理解はまたそれとも違い独特の風格があります。澤井先生は理論について多くは語りませんでしたが、どちらかといえば初期の意拳の影響を受けていると個人的には感じます。姿勢を低くして、苦しくなって無心になるまで立つというのは姚氏系統とははっきり異なります。また、後期になると王薌齋先生は気への言及が少なくなります。

多くの流派に分かれるのは武術の歴史においては必然の趣がありますが、このような形になっている理由の一つは王薌齋先生が時代が変わるにつれて、理論的根拠を変えていることがあります。初期は形意拳道教をその理論に据えていましたが、徐々にそれらの色が消えていきました。逆に言うと、多くの流派が存在するのは王薌齋先生のその時代時代の練習の反映であるいえます。

また、「特に考えずにとにかく立て」という伝統的な指導をすることも多く、その解釈については多くは語らなかったため、必然的にその解釈は弟子に委ねられていた部分もあります。

そのためどの流派が優れていて、どの流派が劣っていると論じることに意味はなく、ただ王薌齋先生の拳を理解する時にどの時期の拳論をその根拠に置いているかが重要なのだと思います。

そういった背景からできる限り広い拳論を紹介するようにしていますが、佐藤聖二先生も言われていましたが、何も考えずに流派の違うものを混ぜるのだけは推奨できないかなと思います。

一応、意拳名家論文まとめでは流派に近い人物は近い位置に置くようにしているので、興味があれば、その観点から読んでみると理解しやすくなると思います。