意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

龚東先生の著書『習拳筆録』(6)

(六)

一、伏虎樁では、一般的に片方15分間を要求し、低式では1分半ほどで腿を換えることができる。低式では両脚の距離は3脚半以上、中式では3脚以内である。身体は直立するだけでなく、正しく座らなければならない。直立とは上体が過度に前傾しないことで、この欠点は多くの人に見られる。正しく座るとは、胯を必ず収めることで、これが最も難しい点であり、問題が起こりやすい点でもある。その重要性は誰もが知っているが、如何にしてそれを行い、如何にしてそれを達成するかを知っている者は極めて少ない。

二、微小循環システムは人体の第二の心臓であり、これは中国の著名な医学者修瑞娟が提唱したもので、世界的な反響を呼び、医学研究と発展に深遠な影響を与えた。この観点は、意拳の站樁実験によって証明され検証されたものである。もちろん、站樁をする人は、医学的に言えば特殊な集団に属するため、実際の医学報告では意拳について触れられていないが、これが主な理由の一つだろう。実際、站樁は誰でもできるもので、男女老若を問わない。站桩は微小循環システムを改善することができ、これは站樁が効果的であることを示している。したがって、問題の鍵は、如何にして微小循環システムを真に人体の第二の心臓にし、第二の心臓の役割を果たすようにするかということであり、站樁はまさに最良の方法なのである。

三、運動方法が適切かどうかの最も重要な基準は、心臓に負担がかからず、脳が休息できることである。現在のあらゆる鍛錬法を見渡しても、この二つの条件を備えた鍛錬方法は、唯一站樁のみである。

四、平衡の控制には、自分自身の平衡を控制する側面と、相手の平衡を控制し、破壊する側面の両方がある。

五、推手では、できるだけ力を用いないようにし、両手は鞭のように、あるいはウワバミのように相手の腕に巻きつくようにする。勁力は絶え間なく、時には軽、時には重となり、相手に自分の意図を掴ませないようにする。手を起こす時は螺旋を持ち、両手は呼応し、推と拉を互いに使い、つまり交互作用を行う。相手を杖のように扱い、進む時は相手に圧力をかけながら進み、退く時は相手を支えて後退する。進退の間で半歩を奪ったり盗んだりすることに注意し、相手の歩が起と落の間に相手を控制し、一瞬にして平衡を失わせたり、平衡が脅かされていると感じさせたりする。この時、点上の感覚を通じて適切な変化を加えたり、発力したり、偏らせることができる。

六、姚老の本意は、この樁をこう呼び、あの樁をああ呼ぶことではなく、站樁一、二、三などの形で列挙し、階段のように一段一段鍛錬し、段階的に向上させることであった。後に記憶の問題を考慮して、各樁に名前をつけたが、仏教で言うように、仏法は仏法ではなく、仏法と名づけられているだけで、その理は同じである。

七、しばらく鍛錬して、感覚が良くない場合は、やり直す必要があり、第二歩から始めることができる。このようにしばらくすると、また感覚が良くなくなったら、第三歩から始めることができる。これが意拳を学ぶ要点であり、一般の人は知ら図、その真の意味も理解していない。