意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

站樁訓練的程序与原則(『大成拳実戦速成』より)

站樁訓練は、初級定型段階と強化提高段階に分けられる。

初級定型は放松しながら合理的な間架構造を維持する。これは初心者が行うべき必須の練習段階である。ある程度の体感が得られた後、練習の強度や難易度を増やすことが求められる。例えば、身体を低くしたり、両手を高く上げたり、歩幅を広げたりすることで、生理的な刺激をさらに強め、効果的な鍛錬を実現する。

一、初級定型階段站樁的要求

この段階の訓練は、合理的な間架構造を習得し、後天的な拙力を取り除き、拳術技撃に必要な力量に転換する。初心者の後天的な労働や不正確な鍛錬により、肌肉は非常に硬直しており、適切に発力したり打拳することができない。したがって、站樁を始める際には、意念を用いて肌肉を放松させることを絶えず心掛け、硬直した肌肉を緩め、弾性のある肌肉に転換すべきである。

この段階では放松が求められるが、骨格の合理的な構造が変形してしまうことは避けなければならない。特に両手の指、手首、頭頸は、常に微かに力を用いて挺直させ、決して「だらしなく」下垂させてはならない。

二、強化提高階段站樁的要求

初級定型段階の練習を経て、全身の肌肉、骨格、靭帯はある程度の改善を達成し、一定の沈重な勁力感を得る。しかし、これは後天的な拙力を取り除いたことの一つの表れに過ぎない。次に、拳術技撃に必要な力量を求める強化訓練が始まる。これは絶えず苦難を味わう段階であり、忍耐と持続の段階であり、意志を試す段階である。この段階で成果を挙げた後に、初めて「整体力量」を真に獲得する。

強化段階の訓練は、特に膝を大きく曲げて下蹲し、両手を大きく上げることで訓練負荷を増やし、肌肉を深く刺激することが主目的である。さらに、両手、両足、頭頸に微かな力を用いて「静力拉抻」を行い、骨格に付着する靭帯を深く刺激し、合理的な骨格構造をより堅牢な構造にする。

しかし、この時に両手、両脚、頭頸が放松して無力であれば、力量は体の根本部分、例えば肩や太ももなどの根節で停滞してしまう。これらの部位に力があることは重要だが、四肢の梢節が無力であれば、どのような大きな力量も伝えることができず、「死力」となってしまう。根節だけを鍛え、梢節を鍛えないことは、「整体勁力」の訓練原則に反する。大成拳は「梢重而根軽」の力感を求めており、両手と両脚が沈重で力がある一方で、身体は放松して松活であるべきである。

双手、双脚、首頚を身体と連結させるためには、「静力拉抻」を行うことが唯一の方法である。具体的な方法は非常に簡単で、双手の指を力を用いて伸ばすか(=撑直)、内側に曲げたり(=内扣)、外側に押し広げたり(=外撑)、上に引き上げたり(=上挑)、下に掴む(=下抓)動作をする。この「静力拉抻」の用力の状態で、手首周辺の靭帯が力強く引き締まり、手首と前腕が一体化する。長期間の継続により、内部の支撑は非常に強固になるはずである。双脚の足指で力を用いて地を掴む(=抓)ことで、足首の靭帯が引き締まり(=拉緊)、小腿と脚が一体化し、蹴りの力量が強大になる。また、足指で地面を掴むことを長期間練習すると、「落地生根」の功夫が身につき、接近戦や推手対抗で体の平衡を良く制御できるようになる。首勁の「静力拉抻」は、下顎を内側に引き(=内扣)、頭部をわずかに上に突き出し(=頂)、後ろに引くことである。頭頂に細い糸がついていると想像し、それによって頭を引き上げる。これにより、両肩と後頸部の「斜方筋」が引き締まり、頭部と両肩、両肘、両手が「連結」して一体となる。これを伝統的な拳術で「通背力」と呼ぶ。しかし、頭部を上に突き出す力は強すぎてはならず、そうでないと気血が上昇し、健康に益しない。

このような双手、双足、首勁の「静力拉抻」の訓練法は、王薌齋の拳学では「伸筋抜骨」と呼ばれ、他の伝統的な拳術で、太極拳では「身備五張弓」、心意六合拳では「開弓之勢」と称される。訓練の目的は、身体の四肢と五梢の靭帯を引き締め(=拉緊)、一体の弾力構造を形成することであり、まるで大きな皮球のように、どの方向からの力にもその方向から反発する。

王薌齋の初期の拳論では、靭帯と骨格の訓練とその機能についてこのように述べている。「力は骨より生じ、筋に連なり、筋が長ければ力は大きく、骨が重ければ筋は霊となる。筋を伸ばし骨を縮め、骨が霊であれば勁は実となる。手首と頸の筋を伸ばせば、全身の筋絡は開展する。頭、頸、歯は合い(=扣)、足根は含蓄し、六心は相印し、胸背は円くなって、気は自然に開展する。両腕は横撑で平であり、兜抱、開合、伸縮の勁を用い、両腿は提、挟、扒、縮、蹚、崩、拧、裹の勁を用いる。肩は撑、胯は墜とし、尾閭は中正にして、神は頂を貫き、夾脊の三関は丸宮を透す。骨の重きは弓の背のようで、筋が伸びるは弓弦に似て、勁を運ぶは弦が満ちるようで、手を発するは矢を放つに似る。力を用いるは絲を抽くようで、両手は綿を裂くようである」と述べている。この「筋を伸ばし骨を縮め、骨が霊であれば勁は実となる」とは、骨節が「連結」して一体化し、自然と整体の連動力が形成されることを意味する。「手首と頸の筋を伸ばせば、全身の筋絡は開展する……力を用いるは絲を抽くようで、両手は綿を裂くようである」とは、双手、双脚、首勁が微かな力で拉抻される状態では、全身の靭帯が引き締められ、「弓満欲発」の勢を形成することを主に述べている。この状態では、全身どこでも反弾力の点となり、どこに力を受けても反発する。これは大成拳の実戦で「炸力は不断続」の基礎である。

忠海『大成拳実戦速成』徽科学技術出版杜より