意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

何謂三求一勁完全訓練法(3)(『大成拳三求一勁完全訓練法』より)

二、発力は生理が改造された後の産物である

王薌齋先生はしばしば「生理を改造し、良能を発揮する」という言葉を繰り返し語った。この二つの言葉は因果関係にあり、深い意味が込められており、考察する価値がある。訓練を通じて生理を改造することでのみ、良能を発揮し、大成拳の真勁(勁力)を得ることができる。

大成拳の勁力を得るためには、大成拳の三求一勁の訓練を系統的に行う必要がある。

第一段階は、気血が充満していて、松沈篤実であることを求める。これは、特定の技術や功法を通じて、練習者が病気を治療し、健康を強化し、精や気を蓄えて気血を充満させ、百脈を通じさせ、その後で松沈篤実に勁を求め、後天的な硬直した拙力を取り除くことを意味する。

第二段階は、筋を強化し骨を丈夫にし、整体連通させることを求める。これは、秘伝・真伝の技術や功法を通じて、練習者が「整」という境地や段階に達することを意味する。

「整」とは何か? 「整」は大成拳や内功拳の専門用語であり、王薌齋、常志朗、王選傑などの先生方はしばしば弟子たちに「あなたの腕は腕で、脚は脚だ」と言って、さらなる努力と練習を促した。「腕は腕で、脚は脚」とは「整」でない状態を示し、その反対が「整」であるとされています。多くの人が『大成拳論』を理解しにくいと感じる根本的な理由は、『大成拳論』が王薌齋が「整」になった後の境地を記述しているからであり、「整」でない人には理解不能だろう。

「整」は大まかに二つの観点から理解できる。

1、関節能固定、互為根本

人間が様々な複雑な動作を行うことができるのは、四肢百骸の関節があるからである。しかし、関節の存在が原因で、大きな力を発する際に力が不十分になることがある。もし個人が訓練を通じて、発力時に関節を瞬時に固定することができれば、各関節が相互に根本となり、力量が大幅に増加し、無堅不摧の力を形成することができる。形意拳ではよく「前手で人を打ち、後手で力を用いる」と言われるが、後手が本当に力を用いられるかどうかは、この道理を知っているかどうかではなく、身体を本当に「整」えたかどうかにかかっている。

2、筋骨血肉均発生生理性変化

訓練者が気血が充満していて、松沈篤実であるためには、特定の功法の訓練を通じて筋骨は効果的に滋養され、筋は太く長くなり、体表に噴き上がることすらありる(王薌齋曰く「全身の筋がバネのように支える(=撑)」)。膜は隆起し(気が不足していると膜は泥のようになる)、点、線、面の順で発展する(常志朗先生はよく「最後には全身が鉄の鎧を着たようになる」と言っておられた)。骨の小板は再配置され、骨密度が大きく増加し、気血が更に滞りなく流れ、気力は相合し、呼吸は弾力を発揮し、肌肉は松緊が同時に存在し、極めてはっきりするようになる。

実践が証明するように、上記は訓練過程の二つの側面であり、基本的には同時に進行し、同時に達成される。両方が良好な結果を達成した場合にのみ、訓練者が真に「整った」と言える。

第三段階では「神意が円滑で、松緊緊松」を求める。神意の運用は動作を徐々に調和させ、最終的に自動化を達成することができる。神意の刺激は力量を大幅に増加させることができる。そして、人が整った後、松緊が同時に存在できるようになる。この時点で、松緊緊松の転換を行うことが発力の訓練となる。このような発力は整であり、断続がなく、ここにも神意訓練や大杆訓練などの秘密の訓練方法がある。

三求の全過程の訓練を通じて、人体の筋骨肉、精、気、神は均しく強化され、生理が改造され、一勁(大成拳の発力)は自然と身につく。

李康『大成拳三求一勁完全訓練法』より