意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

撑托樁(『大成拳函授教程』より)

撑托樁は浮雲樁とも呼ばれる。恩師の選傑先生は晩年にこれを披露されたが、練法と内在勁の変換については語られなかった。恩師は「この樁は非常に労力を要し、早期に学習者が困難に直面し諦めてしまうことを恐れたため、この樁を伝えなかった」と話された。今、この樁の練法を伝えることにし、大きな意志を持つ者が持続して、純粋な功勁を得られることを願っている。

動作要領

左式の樁法を例にすると、脚は丁八歩で立ち、両腕をゆっくり外に伸ばし(=撑出)、前腕の位置は前脚のつま先の左右一拳分離れており、前腕と後腕及び頭部の距離はほぼ均等である。前腕は後腕よりもやや高く、眉より高くならず、口より低くならない。頭部はわずかに上に押し上げ(=頂)、視線は前方に含蓄を持って見る。

体はわずかに後ろに傾き(=靠)、臀部は下に座るようにし、前脚のかかとをわずかに持ち上げ(=提)、膝は前に突き出し(=頂)、後脚は内側に巻き込み(=裹)、後胯と前膝には引き合う(=拉扯)ような力がある。

頭部: 頭部はわずかに上に押し上げ(=頂)、まるで壁から覗くようで(手で物を支えながら頭を上に押し上げる)、拙力を使って上に押し上げてはならない。功夫が一定の程度に達すると、頭部には空気阻力によって押し下げられるような感じがあり、最初は小さな紙片を貼り付けたような感覚があり、徐々に本の重さのように感じられ、後にはさらに重くなる。そうなった時に、全身の各部分の阻力と組み合わせる。物にもたれかかる(=靠上)とは、頭部だけでなく、全身の各部位、各関節が全て物に頼る必要がある。あたかも背中を壁に預けて人を推すように、前に行くことなく、相手が強く推してくれば、この力は大きくなり、全身の各関節にこの力がある。このような状況でさらに衝突力を加えると、相手はどう受け止められるか? 大きな鉄球が転がってきたように防ぎようがなく、逃げるしかない。

腕: 頭部は天秤の柱のようで、両腕は二つの秤の皿のようである。頭を用いて両手の位置を探し、両手は呼応し、腕は可能な限り伸展させるが、過度に伸ばしたり曲げたりしては、抽筋抜骨の効果はない。両手の人差し指にはそれぞれ細いゴムの紐があり、それぞれ相牵し、手は雀の尾を掴むか、鳩を掴むようにする。指先にわずかな力を加え、指を可能な限り後ろに引き(=往回背)、掌根を上托し、天を支える(=托)感覚がある。手掌が実際に天を突くことはないが、その意思が必要である。指と足の指は筋の末梢であり、王薌齋老先生の『意拳正軌』には「筋を伸ばし骨を縮め、骨が霊であれば勁は実となる。手首と頸の筋を伸ばせば、全身の筋絡は開展する」「手首足首を伸ばせば勁は自ずと実になり、気を沈めて歯を合わせれば骨は自然に堅くなる。」とある。拳譜には「爪は筋の梢であり、手足の指には功があり、手で掴み足で踏み、気力を兼ね合わせて、爪に至れば、直ちに奇功を生む」と述べられている。

最初は三角筋が手を支え、徐々に立っていると筋肉から力量がなくなり、上部に繋がっている肩甲上肌筋と筋肉が自然と助けるようになり、徐々に一貫性が出てくる。肩が腕を持ち上げて手を支えているのではなく、梢節が重いような感じがする。これにはいくらかの段階がある。

肩: 松肩は養われるもので、最初から松である方法はない、特に初心者は手に力を入れると肩が緊張するが、気にせず、身体に連通性が出てくれば徐々に松とすることができる。

腰: 毎回樁を立つ時、架を整えたら、最初に前に傾き、腰の力量によって架を持ち上げる。多くの人が樁を立つ時間が長くなると自然と腰の力量が足りなくなることに気づくが、これは大きな進歩である。

身体: 前方に含蓄の力を保持し、まるで弓を引いているように、常に引いて放さない。しかし、実際にこれを行うと間違いであり、これは一方向に蓄えられた準備のみであり、全身の各部位に蓄勢待発ができなくてはならない。加えて、樁を立つ時に勁力がどれだけあるかどうか、眼光にどれだけ含蓄があるかどうかは、自身の功夫がどの程度にあるかに依存する。

加力: 樁を立てるようになりある程度まで行くと、勁を使いたくなり、力を使わないと満足できなくなる。この時、力を加え始める。力を加える際には、全体の樁が松となっていなければならず、そうでなければ体を傷つける可能性がある。力を出すことには限界がなく、例えば托、背、抓、手指の撑などがある。この意思があれば良く、徐々に力を加える。例えば托勁では、現在は1キログラムの力を支えている(=托)が、2キログラム、3キログラムと、徐々に力を加える。力を加える時は、時には両手同時に、時には左後右または右後左で加える。例えば両手で抓着の勁があり、左手で掴むと同時に少し支え(=托)、右手で再び支える(=托)。足は最初は拙勁で、長く立つと松となり、力を使わなくても力があるようになる。この状態で力を加え始め、身心は力を使わずに力を加えており、力を使おうと思う必要はない。しばらくすると力が全体に張り巡らされる感覚がある。

注意事項

一、初めに小歩樁を立つ時、筋が引き伸ばせない(=拉)ので、中歩樁から始める。中歩や大歩でしっかり立てると、小歩樁でも身体の筋が同じように引き伸ばされる。

二、樁歩は、より大きく、より低く立つほど良く、後ろに傾き(=靠)、功夫がついたら再び戻す。

三、大歩樁を不動で立って、発力できる感覚があれば、小歩樁に戻ることができる。もちろん、樁を立つ時に人を揺さぶる(=抖)感覚があっても、実際に人と組み合って上勁によって人を揺さぶるまでには、ある程度の距離がある。

四、立っているのが疲れたら、少し休むことができるが、手は下ろさず、勁は断たない。他の樁を立つ場合も同じである。

五、人差し指で眉を引っ掛け(=勾)、撑と托の二つの勁がある。人差し指で眉を引っ掛ける(=勾)のは意、撑と托は力で、意と力を一致させる必要がある。

六、長時間の硬直後にこそ松となることができるので、真の功夫を出すには、速成の道はない。中国の伝統文化において、どの学問も寒窓苦読、厚積薄発が求められる(訳注:苦労を積み重ねて、ゆっくりと物事を行い大成するの意味)。

王紅宇編著『大成拳函授教程』より