意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

意拳試力練習応注意的幾個問題(『意拳功法』より)

(一)試力摸勁練習応先以一種試力為主

試力摸勁練習をする際は、まず一つの試力を主にして、熟練した後に他の試力を練習する。

意拳の試力訓練には、平推、分挂、開合など様々な形があるが、その主な目的はすべて渾円力を養うためである。従って、試力の初級段階では多くを求めてはならない。一つの試力を選んで練習し、それが熟練した後に他の試力を練習する。これにより効率よく進歩できる。もし、全ての試力を学んだ後で同時に練習すれば、乱雑になり渾円力の養成に不利になる。

(二)試力之間的連接要沾連緊湊

站樁する際には松緩を保持し、細かな原則の前提下で、神経肌肉の松緊の転換は沾連、纏綿、緊湊の特徴を突出させるべきである。試力摸勁の際には、肢体の運行路線を延長しながらも、この状態を保持する。一つの試力をしてから停止し、次の試力を始めるという状況は避けるべきである。つまり、二つの試力間に停止があってはならない。なぜなら、意拳の推手実践時の最も顕著な特徴は、一旦相手に粘り付いて機会を掴んだら、「荒れた波が風を巻き込み、大気は全世界を包む」という勢で、迅猛かつ連続的に攻撃することであり、この連続性は神経肌肉の松緊の転換の頻度と速度の問題である。

従って、試力摸勁では、連続、緊湊、纏綿の動作の中で、全身の非常に細かい震えを通じて松緊の転換を体現する。この震えの頻度が速ければ速いほど、発生する勁力はより連続的で、迅猛で、爆発的になる。

(三)「従開展処求取、于緊湊処提高」

「開展で求め、緊湊で高める」は意拳の試力摸勁の鍵である。「開展で求める」とは、摸勁時の姿勢を舒展にし、神意を広々とさせることであり、この姿勢の間架は練習過程で体の各部位に対する具体的な要求を反映し、自身の不足をより効果的に発見することができる。「緊湊で高める」とは、「開展で求めた」基礎の上で、試力摸勁に対する体感が得られた後、徐々に姿勢を舒展から緊湊へと移行させ、各種試力の微妙な精巧さを養い、掌握することである。なぜなら、動作が緊湊であるほど、肢体の運行軌跡が相対的に短縮され、精神意識がより集中して神経肌肉を刺激できるため、摸勁の品質を高めることができるからである。

実際のこの過程は、彫刻家が手にする石のようなものである。最初はただの青石であるが、作業が進むにつれて、彫り出すべきものが徐々に姿を現し始める。しかし、これが最終目的ではない。その後、さらに精細に彫り上げ、精巧さを追求し続けると、最終的には精美な芸術品が目の前に現れる。

(四)試力摸勁時「軀干」与「梢節」的関係

試力摸勁時には意(力)が指先に達することが求められるが、だからといって肢体の根本である躯体の練習を軽視してはならない。開合試力時には、手、前腕、肘に開合の阻力感の意念をもつだけでなく、両腕の「根本」である肩部にも開合の阻力感を感じるべきである。このようにして、手腕の開合時には、躯干全体が中心線を境に微妙な開合の意がある。扶按球試力の練習時には、両手で水面上に浮かぶ空球を押さえる(=按)だけでなく、胸腹部も球と接触している(=沾連)と想像し、下按の際は両腕だけでなく、臀部はもたれかかって(=靠)下座して、手で球を押さえる(=按)ようにする。

これにより、意拳の試力の各動作は、単に梢節の動きだけでなく、躯体が梢節を動かす共同作用の結果であることが分かる。まるで子供が遊ぶでんでん太鼓のように、回転させると両端の球が振り出される。従って、意拳の試力の原則は「どこか一箇所が動けば全身が牽引され、動かないところはない」であるが、そのために梢節の役割を無視してはならない。梢節の練習にも注意を払う必要がある。

正確な練習法は、躯体と梢節を整体として扱い、練習時には単に指先に意を注ぐだけでなく、全身に意を注ぎ、大気中を泳ぐように全身が包容される感覚を持つことである。全身が風中の袋のようにどこもかしこも膨らむ感覚を持つ。要するに、試力時に躯体と梢節が互いに補い合うことが重要であり、躯体を主として躯体が梢節を動かし、梢節が躯体に合わせることで、より良い試力練習ができる。

どの試力を練習する場合でも、前脚の膝と後胯の間に常に相争の意があることに特に注意する。この二つが相等である時、全身の間架はまるで張り出された傘のように渾円で満たされる。

謝永広編著『意拳功法』大展出版社有限公司