意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

眼法与距離感(1)(『大成拳新視野』より)

(一)

眼法は技撃家にとって常に重要視されてきた。技撃家の眼には神光が宿り、目光は電光のようであることが知られており、これは彼らが長期にわたって意図的に双眼の凝視と掃視の二つの機能を鍛えた結果である。眼法の訓練法には多くがあり、大樹、寒星、飛鳥、遊魚など、自然のさまざまな景物を有効な訓練道具として利用できる。拳諺では「霊機は神にあり、目は神の首であり、その目が一閃すれば、霊機は万変する」と形容しており、眼法の重要性を表している。

強化凝視的両種練法 

(1)辨樹葉

静かな場所で大樹を見つけ、自然な姿勢で立ち、視点を木の梢のある一枚の葉に移して凝視し、その後、頭を数回回して、その葉を迅速に識別することが訓練の目的である。

(2)観寒星

夕暮れや夜明けの間、遠くの寒い星に目を留め、体の重心の前後の微妙な移動に伴って、目を星に留め、少しも離さないようにすることで、眼光の聚神、鋭利、穿刺などの機能を訓練する。

凝視と呆視は異なることを明確にする必要がある。前方の一点を見つめる一方で、視野を広く保つことを凝視という。敵に対しては、敵の眉間に目を向け、余光で両肩を捉える。これが凝視の実戦での具体的な表現である。このようにすることで、敵の心を凍らせ、目によって勝つことを求めることができる。一方、ただ一点をじっと見つめることを呆視という。一部の習武者は凝視の真意を理解せず、敵に対して目を見開き、睨みつけておりで、本来真剣な試合が滑稽な顔芸になっている。凝視は活発であり、呆視は停滞している。技撃を行う者はこれを理解すべきである。

強化掃視的両種練法

(1)望飛鳥

都市上空の鳩の群れでも田舎で飛び回るスズメなどでも、視野に入る全ての鳥を利用して、目光の掃視速度を訓練する。このような機会には、鳥の群れの中の一羽に焦点を合わせ、他を無視し、鳥の群れが不規則に飛び回る中で、その鳥の遠近、高低、快慢を敏鋭な視線で追跡する。このような訓練を続けることで、視角の変換が日々に霊通し、掃視速度が自然と向上する。

(2)賞遊魚

飛鳥を通じて掃視を鍛える機会が多くない場合、遊泳する魚を観察することで、目の掃視速度を向上させることができる。魚の群れの霊活な動きや、魚の素早い前刺、軽快な回転、突然の升潜を重点的に観察し、頭は動かさずに、眼球の迅速な回転のみで魚の動きに追いつき、ある程度の実戦意識を組み込む。長期にわたってこれを練習することで、眼神の動的な強烈な感覚と微細な眼力を養うことができる。条件が許せば、観賞魚を数匹飼い、毎日魚の水槽の前で少し座って、楽しむと同時に眼を訓練する目的を達成できる。

掃視は野視とは異なる。集中して素早く移動すること、これを掃視という。実戦戦術の使用において、掃視は意識的に相手の判断を誤らせることができる。例えば、下に攻撃するつもりであれば、先に突然相手の顔に目を向け、相手が無意識のうちに上半身の防御に注意を払わせ、その瞬間に急に下肢を攻撃する、これにより敵を惑わし、戦機を作り出し、晃上下撃の奇効を得ることができる。これは、虚の前手を相手の顔の前に掲げ、後手で相手の腹部を攻撃する通常の戦術よりも遥かに巧妙である。野視とは、目が焦点を持たずに彷徨うことを意味する。野視が生じる原因は、多くの場合、拳士の心理的な恐怖や戦意の喪失によるものである。要するに、精神が十分にあれば掃視が生じ、精神が疲れれば野視が生じる。

上述の訓練法の他に、大成拳には眼神を収斂しながら放つ訓練法があるが、これについては他の大成拳の著作で多く語られているため、ここでは詳述しない。

黄景文『大成拳新視野』より