私が若かった頃、尚雲祥に師事して形意拳を学んだ。何年も経って、師の拳法は尚式形意として人々に尊ばれるようになったと聞いた。近頃、武術愛好者が訪ねて来て、「尚式」という名は何が異なるのかと尋ねたが、簡明な言葉で答えられなかった。当時は拳を学ぶ上で進歩があるかないかだけを求め、この問題を考えたことがなく、師弟間で雑談は多かったが、尚老師が自身の拳法を他人と比較した記憶はない。
現在、人々がどのように尚式形意と他の形意拳を区別しているのか、私は数十年一介の庸碌な人間で、これについて全く知らない。当時の尚師の側での体験から言えば、尚式形意の形と意は、教える者の身教と、学ぶ者の意会によってのみ伝えられる。もし無理に文字で描写するなら、形は「無形」であり、意は「無意」である。これは老和尚の無聊な機鋒ではなく、練武の事実である。
形について言えば、ある武術愛好者は「尚式形意」を聞くと、まず架勢に大きな違いがあるはずだと考え、「前足は直か歪か? 後手は腰前で抱えるのか肘の後ろにつくのか?」といった類の問題に拘泥する。確かに、尚式形意である以上、招法には独特の所があるが、それは要点ではない。それは尚師が多年の練武で自然に形成したものであり、決して一派を開くため、或いは区別のために区別したのではない。平衡と均整は人体の本能であり、老架勢がどんなに離れていても、多く打てば似たようになる。もしこれで一派を開いたとすれば、冗談ではないか?
尚師の名言は「練功して拳を練らず、用勁して力を用いず」である。架勢の背後にある道理を探求せず、目を架勢に限れば、それは舟に刻みて剣を求む(訳注:古いやり方にこだわること)である。ある者は力学の角度から尚式形意の架勢を分析し、改動は発力をより合理的にするためだと考え、あるいは尚師の体型から、変招は低身長で肥満の人に適合させるためだと考える。この説は道理があるかもしれないが、残念ながら尚式形意は用勁して力を用いないため、力学から分析するのは考えを誤っている。
打法の角度から分析すると、例えば燕形は、他派は肩を用い、尚式は腿を用い、打撃部位が異なるため、当然姿勢も異なる。実際、尚式形意の燕形を打ち出す時、肩を使うことも何の問題もない。これはボクシングのように、下フックは顎しか打てず、ストレートは顔しか打てないというものではない。一つの姿勢を取れば、頭から足まで全てで人を打つことができ、一つの姿勢で百の姿勢の用を為す、これこそが形意拳である。さもなければ、五行十二形のわずかな姿勢だけで、どうして三大内家拳の一つとなり得ただろうか?
また形意拳は全て、一つの姿勢に練法、打法、演法の三種の変化があり、書物にはなく、師に就いて初めて全てを知ることができる。書物のいわゆる固定套路は、往々にして打法、練法、演法が混同されて一つの套に成っており、これで尚式形意の異同を比較しても、どうして識別できようか? 例えば、ある拳譜の劈拳の起手式は、後手で前手の小臂内側を摩擦するが、ここには経絡があり、摩擦には健身の作用があり、これは練法の一つである。また前臂を高く探り平らに展開し、両手をゆっくりと収める動作も、全て健身であり、比武には用いることができない。比較するなら、三法を三法と比べねばならず、極めて繁雑となるため、本文ではこの作業は行わない。
では結局、尚雲祥の「用勁して力を用いず」の「勁」とは何物か? 直接説明することはできず、比喻によってしか助けられない。力を用いるのは一本の指で人を打つようなもので、勁を用いるのは拳全体で人を打つようなものである。やはり説明できないので、例を挙げるしかない。形意拳の古譜には「消息は全て後脚の蹴りに頼る」という有名な歌訣がある。もしこれを踏み込んだ脚で発力して拳を出すと理解すれば、十人練習すれば十人とも後頭部に痛みが生じる。大きな力を発することができるかと言えば、確かにできる。なぜならボクシング選手も後脚の蹴りを借りて発力するからで、後脚を蹴って腰を捻るのは、発力の最も科学的な方法である。しかしボクシングは後足が先で、後頭部が痛くなることはない。
拳譜の言う「消息」は、後脚で力を踏むのではなく、消息は勁についての消息である。経絡のように、西洋の器具では人体に実証を見出せないように、勁も肌肉の伸張では測ることができない。後脚を一踏みすると、大腿筋の力は、人体の合理的な構造を利用して、関節を通じて層々に加重され、拳に伝導される。これは力学であり、これを用いても武術を確実に説明することはできない。
また、後足の一踏みで、身体全体の重量を拳に集中できると説明する。試してみれば分かるが、成人の体重が二百斤あるとして、この方法を用いても、百斤の拳を打ち出すことは難しい。五十斤の麻袋が一米の高さから落ちれば、地面を打つ力は五十斤となる。しかし二百斤の人間が二百斤の拳を打ち出せないのは、人が一米の高さから跳び下りる時、人体の関節構造が地面の反発力を疏散できるため、怪我をしないのと同じである。人が体重で打とうとする時も、人体構造は力を分散できるため、後脚を猛しく踏んでも、大したものは踏み出せない。
そして勁は網袋のようなもので、散らばった橘子のような人体を掴んで投げ出すと、人の体重は減価せず、むしろ加速度の利益を得て、体重を超える力を打ち出せる。妙用がこのようなものなので、尚式形意は当然「用勁して力を用いない」のである。
力を用いなければこそ勁を練り出せる。なぜなら周身上下に関係するため、一度力を用いれば局部に陥り、芝麻を拾って西瓜を失うことになる。武術愛好者は拳譜に「形意拳には明勁、暗勁、化勁がある」と書かれているのを見て、最初は必ず剛猛に練るべきだと思い、拳を練る度に頻繁に発力し、確かに効果もあり、打ち合いも強くなる。「形意は一年で人を打ち殺す」という俗言を聞いて、正しく練習していると思う。実際それはボクシング選手がサンドバッグを打つのと何が違うのか? 一年ボクシングを練習しても人を打ち殺せる。良いボクシング選手は一拳七十斤の力があり、七十斤が人の心口に当たれば、当然人を打ち殺せる。
実は拳譜の明勁の「明」は、明確の他に明白の意味があり、人に「勁を体会させる」ということである。拳力の増大はこの段階の必然の効果であり、暗勁は人に明から暗に転じさせ、勁の体会を淡忘させ、それを一種の自然な反応とさせる。化勁は収放自如であり、暗勁と化勁は描写し難く、明勁を無理に説明できるだけである。明を練るには巧みな方法があり、転折の処に求めるべきである。五行拳は拳を練るのではなく、五種の異なる勁を練るのであり、故に各種の拳の転身姿勢は全て異なる。転身姿勢は勁のために設立されており、転身を多く練れば、領悟の助けとなる。
以前、孫禄堂が弟子を教える時、勁を説明することの難しさに遭遇し、形意の勁で太極拳を比喩して、弟子に啓発を与えようとし、後に自身も面白いと感じ、ここから孫式太極拳を創立したという伝聞があった。この説が真実か否かに関わらず、確かに形意を練習する人が、孫式太極拳を見て多くの悟りを得ることがある。
勁を練る過程で、自然に「神気」の感受に遭遇するが、ここでは多く談じない。練習者だけが心に明らかである。もし発力の角度から言えば、確かにある姿勢は他の姿勢より良いということがある。しかし尚式形意は用勁であり、勁を練成した後は、全ての構えは有っても無くても良く、故に「形」と言うべきものがない。
意については、意念を作為すると、人を害することが甚だしい。以前の拳師は文化がないため、名師の指摘を得られない状況で、拳譜の形容詞を見て、それを口訣だと思い、「四両撥千斤」を見ると、力学上で巧みを求めようとし、邪心を持つと、功夫を練り出すことができなくなった。現在の武術愛好者は気功の影響を受け、拳を打つ時、独断で多くの意念を加え、站樁功で「双手で海全体を捧げ持つ」とする。海はどれほどの重さか? このように考えれば、精神を無故に緊張させるだけで、長くこれを続ければ、寿命が短くなる。また歌訣の「敵に遇えば火身を焼くようである」の一句を見て、「火身を焼く」が単なる形容で、状態ではないことを理解せず、全身が火に包まれることを想像して比武すれば、反応が異常となり、負けないはずがない。
結局意とは何か? 体操チームの小さな女の子が、後転をする時は大きな力を用いず、また何の意念もない。彼女は練習して得た身体感覚に頼り、感覚が来れば、一つの後転となる。形意の意も、これに類似しており、脳内で何らかの画面を幻想するのではない。故に意は無意に等しい
尚師は常に弟子に多く読書することを求め、文化人は拳を学ぶのが速く、武を練る者は書生よりも文質彬彬としてこそ、真に武を練る者だと言った。古書の上将軍は、多くが書生の姿である。武を練る者も同様で、朝から晩まで剣を抜き弩を張るばかりでは、上乗の功夫は練れない。なぜなら拳譜の多くの意会すべきものは、文人は一見して分かるが、武人はかえって難しいからである。尚師は非常に温和な人で、面は凝脂のようで、肌は極めて良く、一般の練武者の眉を顰め目を瞪く習慣的な動作がなかった。ただし人が彼の背後に歩み寄ると、彼が首を捻って一瞥する時は、人を恐れさせた。
形意拳の意は、例えば画家が手軽に描く時、構図や筆墨は意図的に配置せず、しかし一筆下ろせば意趣盎然となる、これこそが意境である。それは形象に先立ち、想像に先立ち、雨の前に、風に迎えられて来る一点の潮気のように、有るか無いかのようである。意境がこのようなものと知れば、方に尚式形意を練ることができる。
尚式形意の形と意は、まさに「この般の清き滋味、料るに少人の知る所となる」である。
李仲軒口述、徐皓峰整理『逝去的武林』人民文学出版社より