意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

部分書信内容(『霍震寰先生求教于姚宗勲先生意拳方面的書信和問答』より)

1978〜1984年、霍震寰先生は訪問と書信の形式で、幾度にわたり姚宗勲先生に意拳の若干の問題を教えを請い、いくつかの代表的な問題を整理して、姚宗勲先生の息子、姚承光、姚承栄兄弟二人に渡し、将来これらの訪問内容及び問答を公表する機会があればと望んだ。

姚宗勲先生の著書の再版の際に、特に問答を付録として、広く武林の同道に献呈する。

渾円樁(別名技撃樁)

站樁はなぜ拳術の練習の基礎であるのか。技撃桩の站法を紹介する前に、站樁が拳術の練習の基礎である理由を述べる。技撃の練習を渾円樁から始めなければならないのには、以下の三点の理由がある。

1. 一定の姿勢をとり、静止状態でいることで、精神を集中しやすく、凝神定意で、万慮を掃除し、神が外に逸れず、意念が高度に集中する境地に達することができる。

2. 静止状態で、意念假借の誘導を通じて、松に似て松に非ず、松でありながら力のある意中力を模索しやすく、一箇所が動けば全身が牽引される松緊相互作用の整体争力を体験しやすい。

3. 静止状態で、意念活動を通じて力の方向を制御し変換しやすい。要するに、静止状態では運動時よりも精神を集中しやすく、松緊を調節しやすく、整体を照顧しやすく、弱点や不得力の部分を発見しやすい。

渾円桩は健身樁の練習を経て、さらに体質を強化し、技撃の基本条件を求めるものである。精神を凝重渾厚にし、自己を忘れて恐れず、闘志を昂揚奮発し、大いに当たれば即ち摧く気概がある。均整を保ち守中し、渾然一体の渾元力を持つこと、すなわち一瞬間に内外の肌肉及び身体各部が相応に一致して力量を発揮することを求める。神経反応を敏感に鍛え、これにより力量の発出が迅速で剛勁となる。渾円樁の練習も健身樁の三項目の基本要求を貫き、精神を集中し、全身を放松し、呼吸を自然に通じさせる。

站樁時は以下の要領がある。

(a) 精神を高度に集中させることが要求される。これは敵に応じるときに全神を注ぎ、即座に変化に対応するためである。

(b) 身体を放松させることの目的は、一般に精神を高度に集中させるとき、無意識に体が硬直し力が入ってしまうため、練習時には適度に放松し、これにより動作が敏捷となり反応が迅速になる。

(c) 呼吸を通じさせることの目的は、呼吸を通じさせることで体力を持続させるためである。

渾円樁的一般要領

站樁時、まず精神を自己で拡大し、己の身を天を貫く巨人のように設想し、昂首独立して一望無際の大地に立つ。大いに「天と高さを競う」気概を持つ。同時に意念で四面八方を自分を中心とするように連想し、練習時には形松意緊とし、全身の関節を形曲力直とし、絶対力を用いないようにし、骨を縮め筋を伸ばし、「筋に力があり、骨に棱を蔵する」ようにし、頭頂には紐で吊られているようにし、腿の周囲は物が支えるようにし、全身が鼓荡し四外が牽連し、推挽不動、泰山のように安定する。両膝は地を引き抜く意を持ち、肩撑肘横にし、撑抱の作用を互いに働かせ、力は三撑七抱を保つ。胸窝を微収し、小腹を松円にし、大小の関節は全て曲とし、曲には力の牽引を設想し、整体は撑裹、回還、旋撥の意を持ち続け、全体を収斂し、毛髪は森立し直立して戟のようであり、敵に臨むときには一触即発の勢を持つ。

争力和反応訓練

意拳でいう争力は意念で全身上下、前後、左右を相互牽引し共に争一中を作り、ばねのような相互呼応の意中力を生み出すものである。この争力を持ち、さらに試力、発力などの段階を経て、整体力を発揮する目的に達することができる。争力の練習はまず簡単な争力から始め、次に全身の整体争力を求める。簡単な争力でも整体争力でも、まず混元樁法で摸索する。

争力的練法

混元樁の姿勢を選び、站樁後、前腕の腕部(回弯部)にばねのある紐がつながれていると設想し、紐の前端は前方の物体(壁や木など)に結ばれ、紐の後端は自分の首に結ばれている。練習時には意で首を導き微かに捻り(=拧)(左腕が前にある場合は左に微かに捻り、右腕が前にある場合は右に捻る)、全身を後ろに引いてばねのある紐を引っ張り手首を引く。手首は前方の紐を引っ張り、前後の二つの力を対称に相消し、手を動かさず、力を感じたら少し引いて放す。後手はばねのある球を抱くようにし、体が前手を引くとき(重点は首)、後手は意で球を抱き前手と呼応する。これを反復練習し、長く続けると松緊の争力を摸索できる。これが「松即是緊、緊即是松」、松緊互用の意中力であり、王薌齋先生の言う「松緊緊松は正を過ぎない」の「正」である。「正」は適当、適当な良い状態の意味である。

整体争力的練法

一段の練習を経て争力を得た後、この基礎に基づいてさらに整体争力を練習できる。練法は混元樁法で站樁し、頭頂にばねのある紐がつながれ、両足の中心点上下を争い、同時に頭と後足が上下を争い、前足と斜線を争い、前手と後手が左右を争い、右手と左足、左手と右足が斜線を争い、両肘と両膝が上下及び斜線を争い、左胯と右膝、右胯と左膝が斜線を争い、手と足、肩と胯が上下を争う。これらは頭と足の争いに含まれる。要するに四面八方が一中を争うが、「松緊の枢紐は上下にある」ことに注意する。

練習時には形を曲、力を直にし、八面出鋒のようにし、全身の毛髪が飛び立ち外界と相互連結し相互牽引することを設想し、体が動かず微動の意を持ち、意念を実際にし、しかし執着せず、王薌齋先生が言う「上は突っ張り(=頂)、力は空で、身は紐で吊られるようである」「力は松で意は緊、毛髪の勢は戟のようである」の意である。

反応訓練

反応の基本訓練は神経の迅速な反応を訓練し、敵に応じて発力し自衛することにある。

第一の訓練方法:整体争力を得た後、全身がばねで連結されたように、自身もばねのようになり、誰かが軽く推したり軽く打ったりすることを設想し、力が上下、前後、左右から来る。意念が一緊し、力が一中心から各方向に応じて発しようとする。長く練習して体得したら、さらに迅速な打撃や突然の襲撃を設想し、意が到達すると力が応じて発しようとする。力を発しないが外形に見せず、「意到力到、意力不分」を達成する。

第二の訓練方法:自分が水面に浮かぶ小さな筏の上に立っていると設想し、前後に傾斜し、左右に揺れ、上下に沈浮する。前に傾くときには体の重心を後ろに、後ろに傾くときには体の重心を前に、左右に揺れるときには体の重心を左右に、上浮するときには体の重心を下げ、沈むときには体の重心を上げる。意念で支配し形を見せず、全体で行い、単に足だけで行わない。上、下、左、右、前、後、初めは順序を持ち、体得したら固定順序を持たず、常に変化する。初めは筏がゆっくり沈浮動蕩することを設想し、体得したら徐々に速度を増し、波濤の中で瞬間的に変化することを設想する。これは站樁時に整体の松緊を調整し身法歩法の基礎功夫である。

発力

発力の前に蓄力を述べる。蓄力は力を蓄積し発する準備をすることである。基本練法は站樁内に含まれ、精神集中、神は外に出ず、力は内斂し、大小の関節はどこも曲ではない。移步動作時も上述各点に注意し、空白点や不足を持たず、心意を周到にし全身の力を統一して発しようとし、意力一致、円整を求める。すなわち「動静は中にあり、守も用もできる」である。

発力は拳術(器械を含む)中の主要功夫の一つであり、他の運動でも同様である。拳術中の発力は動作が微小で時間が非常に短い間に突然迅速で剛勁な力を発することを要求し、火薬の爆発のように、別名「爆炸力」とも言う。発力時、身体動作は意念で支配され、意が向かうところに力が随行し、筋骨肌肉が随行して運動し力を発し、自然に従い体外に達する。力が発しないとき、意念で力を戻し(すなわち争力)、前に発しようとすれば後ろに争い、後ろに発しようとすれば前に争い、上に発しようとすれば下に争い、下に発しようとすれば上に争い、左に発しようとすれば右に争い、右に発しようとすれば左に争う。一争の弹力を利用し突然発する。全身各関節が锋棱のように起き、外形の屈伸ではなく、大小の関節が伸縮し、どこにでも力を出す峰があり、一中心から各方向に発し、相応に合い、一触即発、一発即止である。

定位発力法

準備姿勢は渾円樁站式と同じだが、両手の位置は両膝の上に置き、前手の高さは目の下、後手は前手より四五センチ下に置く。手は虚で握拳(3成力)にし、拳孔を上にし、手心を内側に向ける。発力時、敵が前臂の下方から迅猛に来撃することを設想し、このとき手と前臂を下に拧転して前伸する。後手も同様に両掌の外側縁を外に支え、両掌の前後距離は約一拳。手が前足のつま先に達するとき、手心を地面に向け、前手指が対方の胸部や自分が撃つ部位に接触することを設想し、この時、身が巨锤のようで、手から肘までが大きな鉄釘のようであり、上臂がないようにし、身体を少し後ろに引いて猛然と両肘に撞く(内力はこうである)。この時、両拳を突き、十指が斜め前上方に向かい、遠くに意があり、両手を対方の背後に突き刺すようにし、「力透敌背」の意である。しかし力は一発即止し、灼熱の赤い鉄を触るように一触即離するが、外形ではなく内力でそうする。発力時、精神を高度に集中し、毛髪が直立如戟の感を持ち、全ての力を発出する。

発力時に注意する点:

頭:前額を前撞し、頂心を斜め前上に突っ張り(=頂)、歯は微錯し、鉄片を噛み砕くように、発力の刹那には意は噛み砕くが歯は接触させず、「歯欲断金」の意であり、舌根を後ろに収める。

胸腹:肩撑肘横にし、胸窝を微收し、発力の刹那に短促の試声を使い気を小腹に貫く(試声は発声しない場合もある)。

下肢:発力時に両膝を外に微かに向け、後胯を後座し、後足を下に後蹬し、前足のかかとを微かに虚にし、発力時にはつま先を下に踏み、地に直插する意を持ち、直ちに提起する。要するに適当な程度で内力はそうであり外形に依らない。

前後臂の発力前の屈角度は90度未満、発力時には90度以上である。

試声:試声は試力の不足を補うために声波を利用し腹、胸、腰、背などの内部肌肉を鼓蕩し、試声の突然の一振で弹力を発し、試声と発力を同時に行うことで以下の二つの作用がある。

(一)全身を鼓蕩し弹力を増強する。

(二)胸腹などの部位の防御能力を強化する。拳家は発力瞬間に最強の攻撃力を発揮するが、同時に防御能力が最も弱く、発力刹那に敵に狙撃されると防御不能となる。このとき、試声の振動による弹力で胸腹などの部位を消散及び反弹する。

試声方法

初試時には口を微かに開き、舌を微かに縮め、「伊(イー)」の音を発し、2-3秒間続け、突然「要(ヨー)」の音に変え、即座に止める。「伊」の音を発するとき小腹肌肉を微かに収め、「要」の音を発するとき、突然気が小腹に贯き上腹が突然鼓蕩する感じがする。これは巨石が井に落ち、井水が八方に広がるするようである。これが拳術の先輩が言う「気貫丹田」、意拳の「発力時の小腹実円」と同じである。練習すると全身内部が微かに漲る感じがする。試声の練習は1日30-40回で、上述の感じが出たら、「伊」、「要」の音を短縮し1音にし、さらに大声から小声にし、有声から無声にする。頸部前側が突漲し、小舌が微縮し、喉頭が後收し、上下の歯が微錯し、口を閉じて密合しない。最初は手掌を口の前約1寸に置き、声が突止するときに余気が出ないか確認し、余気が出ないまで練習し要求に合わせる。

発力と試声を同時に行うとき、胸窝を微收し、両肩を内扣し上体を凹形にし、平面を凹形にする目的は来擊力の最も尖锐な点を避けるためである。

部分訪談内容

1982年11月、霍震寰先生が北京を訪れ姚宗勲先生に意拳についての要点を質問した。木に接触させ、動作を分ける:

(一)初めて争力を練る時は、樹を抱く意思があり、人と樹が一体になるが、手、胸、腹、腿と樹の接触があり、動作は以下のように分けられる。

樹を後ろに合せる。

樹を両側に分けてから合せる。

木を上に抜くいてから下に押さえる(=按)。

練習時の要点は意想だけを使い、可視の動作を行わない。神経反応を練習し、自然な習慣を養う。

練習時には意を遠くにし、身に意を置かず、身に意を置くと緊張しやすい。意を大きくし、山が崩れ前に変色しないようにする。動作や意念を断たず、争力時には単に後ろに引くだけでなく、前に推す。要点は一つの動作を作ることである。争力の練習時には精神と肌肉がレースの準備のように動かないで動く勢を持つ。

(二)走歩

前進時は氷滑りのようにするが、足が地に触れない。地に触れると争う。練習時には進退に随うことができる。両手は物を押さえ(=按)平衡を保つ。

(三)試力時的一些假想

人が船に乗り、風浪で揺れ動き、体が前後左右に調整するが、動作は小さくする。意は力を後ろに向けてから前に向ける。両手を戻すときは物を押さえる(=按)ようにする。

(四)推手

手を動かさず身を動かし、身体を調整する。相手を制御するのは、一回一回でなく、常に前後に方向を変え相手が対応できないようにする。相手の力を分散させる方法で制御する。相手が迫るときは一手を放棄し、別の面で反撃する。相手が力を発して攻撃する時、太極拳のように化開して撃つのではなく、後ろに借勢して直ちに前に反撃する。

(五)人が拳を出す時、緊の時間を短くし、相手の体を灼熱の鉄板のように一触即離するが、意と力は敵の背後の遠方に透すようにする。

(六)休息時間を利用して随便に座り、全身の毛髪が風に動くことを設想し、水中に座り水流に軽く衝撃されることを設想し、感覚を増強し、同時に体の疲労を回復する。

1984年9月1日、姚宗勲と広州白天鵝の会話要点:現在、意拳の認識水準が大いに増し、意拳の学習の道の半ばに来た。正しい動作を掌握し明白にすることができるようになった。現在注意すべき点は、争力を形に出さず、争力のばねを大小にする。練習時には木を拉動するようにし、木が自分を拉動するようにし、巨人が周囲に影響するように設想する。試力動作を遅くし、体が手を動かし、手が体を動かさないようにする。