意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

「矛盾老人」王薌齋:談站樁気功的基本原則(『王薌齋的大成拳』より)

王薌齋先生は、我が国の著名な武術家、気功家であり、弟子も多く、桃李満天下(訳注:優れた人材が各地に広がっている)と称される。

彼の気功理論は、1961年11月に河北省保定市で開催された養生学協作会議で早くも確認された。歳月が経つにつれて、站樁功法は広く普及している。しかし、一部の教功者が站樁功法の理論原則を真に理解していないため、それに反する誤ったいわゆる「発功、放気」も混ざってしまい、正統であると妄称している。これにより、認識上の混乱が生じている。実際には、王薌齋の医療気功站樁は、その独特の練功理論原則と方法を持ち、深遠な科学的理由がある。練功者が站樁功法の原理を正しく認識し、把握するために、この文章を公開し、誤りが伝わることを避けたい。

一、站樁与控制平衡

站樁とは、練功者が自己の練功を通じて、自身に現れる様々な不均衡を解決し続けることにより、一時的な調整と平衡制御能力を絶えず向上させることである。王薌齋は「すべての事物に絶対的な平衡はなく、制御できる一時的な平衡に達することで、平衡を達成する」という理論を提出した。彼は「人が病気になるのは、体内の臓器や機能が平衡を失ったためであり、拳術においても、人が打たれるのは、身体の平衡が破壊されたためである。站樁はこのような調整と平衡制御を確立するための唯一無二の方法である」と述べている。したがって、站樁気功は、すべての練功の段階で、常に平衡の調整と制御の内容を貫いている。早年には、王薌齋は「円練功法」も提唱した。「三円」、即ち「神円、意円、力量円」であり、「神は外に溢れず、意は形に現さず、形は体を破らず、力は出尖しない」である。この学術思想の核心は、「中正円和」の平衡関係を維持することを求めるものである。

平衡の調整、制御は一度成立しても不変ではなく、練功を続ける中で、練功者が既存の平衡関係を破り、自身の需要に適応した新しい平衡関係を構築していく。この「古きを破り新しきを建てる」過程で、練功の能力と質を強化し向上させ、練功者を初級段階から高級段階へと引き上げ、より完全な調整、制御関係を確立し、病気を治療し、健康を維持する目的を達成する。

二、練功中的矛盾与统一

練功過程中、様々な複雑な矛盾が絶えず現れる。例えば、松と緊、動と静、剛と柔、虚と実、上と下、前と後、左と右などである。王薌齋はこれを静位式練功と動位式練功の二つに概括した。静位式練功では、主に松と緊、上と下の矛盾関係を解決することに焦点を当てつつ、動静、剛柔、虚実、前後、左右にも注意を払う。一方、動位式練功では、動と静、前と後の主要な矛盾関係を解決することに重点を置くが、松緊、剛柔、虚実、上下、左右の矛盾にも注意が必要である。站樁気功が松と緊の矛盾を解決する理論の中で、「松であっても懈ではなく、緊であっても僵ではなく、松緊は互用である」及び「松即ち緊、緊即ち松、松緊緊松過ぎたるなかれ」を提案し、松緊間の矛盾統一関係を解決する。

動と静の関係は「動静互根」と特に強調される。王薌齋は、世の中に絶対的な静は存在せず、動が絶対的であると考え、「静中に動あり、動中に静あり、静中の動こそが真の動であり、動中の静こそが真の静であり、動静は互根で、錯綜して用いる」と述べ、站樁気功の練功は、「立って杭のように動かない」というわけではなく、「不動の中で体会し、微動の中で認識を求め、動こうとしながら止まろうとし、止まろうとして動こうとし、動こうとする意がありながら止まり、止まろうとする意がある中で動く」ことで、「神動、意動、力動」を保ちながら、動静の矛盾統一関係を実現する。

剛と柔の関係においては、「剛即ち柔であり、柔即ち剛であり、剛柔柔剛は常に相済する」と提案された。剛中に柔がなければ真の剛ではなく、ただの硬に過ぎないと考え、剛中に柔があることが真の剛であり、百折不回とした。

虚と実の関係では、「虚は即ち実であり、実即ち虚であり、虚実実虚に中平を得る」を提案し、その中に「虚中に実あり、実中に虚あり」という予測不能な変化の意が含まれている。

また、上と下、前と後、左と右の関係についても、それらは絶対的ではなく、その矛盾関係から認識を分けると考えた。例えば、「上を求めれば下があり、下を求めれば上がある」「挺抜の中には松墜を要し、松墜の中には挺抜を要する」とした。上が動けば下が自然に従い、下が動けば上が自然に領導し、上下が動けば中間が攻め、中間が攻目れば上下が合う。内外が相連し、前後左右が相応する動きを通じて、上下、前後、左右の矛盾関係を完全かつ全面的に説明した。

站樁気功の練功中に現れる多くの矛盾関係は、すべて同時に解決されるわけではなく、異なる時期に重点を置いた異なる矛盾を解決していくものである。特に初心者にとっては、松と緊、上と下の矛盾関係が優先的に解決すべき課題である。なぜなら初心者は「立つと必ず緊となり、緊になれば必ず僵になる」ため、姿勢の負担がある状態で、精神と肌肉の放松を求め、虚霊挺抜の中での松墜を得ることが求められるが、それは動と静、前と後などへの注意を放棄することを意味しない。練功が深まるにつれて、次に来る動と静、前と後の矛盾が主要矛盾に昇格し、解決が急務となる。これにより、練功者は静位式から動位式への移行が可能となり、「静中に動を求め、動中に静を取り、動静は相兼する」という練功過程で、身体の平衡統一を達成する。前と後の平衡関係については、姿勢の調整だけでなく、意念活動も強化する必要があり、意念によって「風力に応じる空中の旗、逆水で進む波中の魚のよう」という状態を想像し、前の「阻力」と後の「反阻力」(拽力)の作用に注意を払い、これにより体の前後の平衡統一を実現するが、同時に松緊、上下の多面的な練習にも注意を払う。

練功を始めた人々は、しばしば松と緊の関係と平衡の調整・制御との関連を理解していないため、「松であっても懈ではなく、緊であっても僵ではない、松緊は互用である」および「緊の中に松があり、松の中に緊がある」という理論を理解することはさらに難しい。彼らに松と緊の関係を理解させる唯一の方法は、まず何が緊であるかを知り、それから何が松であるかを知ることである。

練功者は、最初に部分的な四肢の肌肉を強く張って緊とすることで、何が緊であるかを体験し、次に張った肌肉を最大限に放松させて、何が松であるかを体験し、徐々に姿勢の負担がある状態で酸痛が発生する部位が緊であり、調整後に酸痛が排除されればそれが松であると理解する。これにより、精神、意念、呼吸の放松を達成すれば、「松であっても懈ではなく、緊であっても僵ではない」という状態になる。通常、初心者が自分は松だと感じる時が実際には緊であり、自分が緊だと気づいた時が放松の始まりである。しかし、松緊の矛盾を解決する過程で、既存の緊の要因を排除した後に新たな緊の要因が現れることもあり、それも引き続き排除する必要がある。そのため、練功中には良くなったり悪くなったりする波のような進行現象が必然的に生じる。精神、呼吸、意念、骨格の支持など、松と緊の矛盾関係が存在し、松緊の矛盾を解決すると同時に動静の矛盾にも注意を払い、松緊の矛盾をより早く解決することを目指す。

王薌齋は若い頃、「矛盾老人」と自称した。これは站樁気功の全学術思想の基礎を体現しており、異なる時期における自身の松緊、動静、剛柔、虚実、上下、前後、左右といった多様で複雑な矛盾関係を絶えず解決する練功方法を確立し、調整と平衡の制御を目的としている。

三、站樁的姿勢与意念

王薌齋の站樁気功は、単に姿勢の練功を強調するものではない。「病によって人によって異なる形を設ける」という考えは、練功中の姿勢の弁証法的な関係を示している。彼は練功が「立って杭のように動かない」「愚直に立つ」、つまり練功姿勢は片面的に機械的に強調するものではないと考えていた。站樁気功の理論原則の中で、「形骸が似ることを求めず、神意が足ることを求める」「式は意によって変わり、形は簡単だが意は複雑である」「形を以て体と為し、意を以て用と為す」などを提案し、重点は意の指導にあり、動静、虚実、剛柔、松緊、上下、前後、左右の適切な調配に基づいている。

形と意の関係において、王薌齋は「形から意を取り、意で形を象り、意は形から生まれ、形は意に従って転じ、力は意から発し、式は意に従う」と述べ、形と意の相互作用と変換の中で、意念活動が主導であり鍵であり、姿勢は有機的に協力するものであることを示している。彼は「姿勢に細かい名前を設ける」ことに特に反対し、これは練功者を誤った道に導くと考えた。

王薌齋の晩年に、一生を通じて站樁気功を研究した体験をまとめた後、初期に定めた樁法の名称を捨て、「渾元樁」という名前だけを站樁に設け、「渾元力」「渾元争力」など站樁の様々な力を「渾元」と総括し、姿勢の練功の価値と機能を一面的に強調することにさらに反対した。彼は、站樁気功が意念を失えば、魂を失うことに等しいと考え、同じ姿勢に異なる意念活動を組み合わせると、練功の結果が全く異なるとした。站樁と試力の相互関係において、用意の統一性の重要性を特に強調し、「練功者の一動一静を何のために行うのか」としばしば指摘し、「站樁と試力は一つのことであり、站樁は試力の縮小であり、試力は站樁の拡大である」と述べ、站樁と試力を分離したり、無関係としたり、全く関連しないとする誤った練習方法を批判し、これは站樁の意念活動の役割を理解していないためだと考え、このように続ければ、練功が正軌から外れることになると警告した。

何鏡平『王薌齋的大成拳』山西科学技術出版社より