意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

簡述発力原理与力学(『大成拳新視野』より)

一、原理部分

1.驚神

力の大小は、皮膚と筋肉の運動を支配する神経系統が生み出す興奮の強度と、神経系統の伝達頻度の速さで決まる。興奮の強度が大きければ大きいほど、筋肉の収縮力も大きくなり、発力作業に参加する筋肉群も多くなり、神経の伝達頻度が速ければ速いほど、発力の時間も短くなり、力の消耗も小さくなる。驚神の具体的な表現は、発力の練習時に、真夏に突然冷水が自分の頭上から注がれ、全身がビクッと震えることを想像することで、特別大きな力量が生じることである。大成拳の冷炸力とは、神経系統が突然起動する(俗に受驚と言われる)ことを指す。

2.松緊

松は筋繊維の収縮、地心の引力を受け入れ、柔らかい泥のようである。緊は筋繊維の伸長、地心の引力に抵抗し、張り詰めた弦のようである。全松は緩慢、全緊は硬直を意味し、全身の松緊が矛盾対立の統一と変化に向かうとき、力を生み出す源泉となる。極度の松は、関連する筋群に十分な酸素供給と血流をもたらし、極度の緊は、関連する筋群内に極大の張力を蓄え、弓が満ちる勢を持つ。発力では松緊を適切に調整することで、運動機体の耐久力と爆発力を最大限に発揮できる。

大成拳の発力での松緊の具体的な把握について述べる。蓄力時は、陰面の筋群、例えば胸、腹、四肢の内側部分は松垂の状態にあり、陽面の筋群、例えば背中、腰、四肢の外側部分は拉緊の状態にある。「一面は鼓、一面は蕩、全身に弾力がない所はない」と拳論は言う。発力時、陰面の筋群と陽面の筋群は松緊の変化を互いに行い、身体が空間移位を完成し、渾元の力が瞬間的に体外に作用する。拳論は「松緊緊松は過ぎたるなかれ」と言う、これが発力功法の根本的な出発点である。

3.虚実

体重が一方の脚に偏り、両腿の支撑力が不均等になった時に、虚実が形成される。力の持続性は、重心が両腿間で絶え間なく転換することに依存する。つまり、炸力を途切れさせないためには、絶え間なく虚実を転換させることが先導となり、少しでも停止すれば、身は呆滞を現し、力は衰える。虚実があれば単重であり、虚実がなければ双重である、「単重ならば活であり、双重ならば死である」と拳論は言う。

発力時の丁八歩を例にとると、前腿が体重の三割を負担し、後脚が七割を負担する。前腿の力は軽く虚で、後腿の力は重く実である。力の虚は薄氷を踏むようで、力の実は木が根を張るようである。蓄力時は前三後七、発力時は前七後三とし、このように虚実が互いに転換することで、絶え間ない渾元の爆炸力の動作が完成する。「虚実実虚が中平を得る」と王薌齋先生の言葉が虚実の真意を明らかにしている。

4.共振

振動周波数が同じ二つの物体があるとき、一方が振動すると、もう一方の物体も振動する現象を共振という。この原理を発力功法に応用する際の最重要点は、運動機体の各部位の松緊の度合いを一致させ、互いに関連し、有機的な整体を形成することである。このようにすると、各部位の内在振動周波数が同じになり、機体の任意の点が外力を受けた場合、整体の共振現象を引き起こし、瞬間に敵を数丈外に放つことができる。

「陰陽」の範疇で共振発力を実現するためには、陽面の筋肉が全て拡張し、中心(気海穴の後半球、いわゆる丹田で、力学上では質点と呼ばれる)から六極(頭、尾、両手、両足)へ放射状に拡張し、全脊椎が拉伸状態にある。同時に、陰面の筋肉が六極から中心へ集中する(これは筋肉が後天的に形成される収縮力ではなく、対抗機構下での筋肉が互いに牽引するもの)。この状態で、身体の各所の松緊の度合いは一致しており、発力時に各部位が互いに関連する有機的な整体に達しており、内部に気体を充満させた大きな気球のようで、わずかな外力でも全人(球)体の共振を誘発し、外力を反震させる。

明確にするべき点は、前述の松緊の変化は主動的な発力に属し、後述の全身共振は受動的な発力に属することである。一方は有意、他方は無意であり、習う者はこれを明確に区別する必要がある。

二、力学部分

1.慣性力

その定義は、動力が停止した後、物体がすぐに前進を停止するのではなく、物体が元の運動状態を維持する力である。

慣性力は、発力時の空間での極速移動により生じ、移動距離が大きいほど、生成される力も大きくなる。具体的には、その放出はまず脚が地面を蹴る力から生じる(この蹴る力は、自身の重心から地面への作用によるものである)。脚が地面を蹴る動作をすると同時に、頭を引き(=領)、背をもたれ(=靠)、膝を突き(=頂)、全体を斜め上方後方に移動させ、次に斜め下方前方に衝突(=撞)を求める。敵と自分が接触しようとする瞬間に突然動力を取り除くと、その時全体の慣性力が狂った潮のように相手に向かって押し寄せる(後述の「虎撲」発力を参照)。外形から見ると、慣性力の放出は自動車の緊急ブレーキ状態に非常に似ており、高速走行中の自動車が人に衝突する際に急ブレーキをかけ、人が吹き飛ばされるが車はその場で停止する効果を生む。

慣性力の特殊性質について言えば、それは人体固有の器官の負荷能力を十分に利用できる。なぜなら、いかなる攻撃を開始する前にも、技撃者の力は既に一部消耗されており、これは体の各部位を均衡を支撑し、いつでも動力を発出できる器官の負荷能力である。発力では空間で移位を生じさせなければ、この部分の先に消耗された器官の負荷能力を利用できず、また、慣性力の打撃効果にも大きな影響を与える。したがって、慣性力と器官の負荷能力の間には、無視できない利用と被利用の従属関係がある。器官の負荷能力の消極的要因を積極的要因に変えることができるかどうかは、慣性力を強化できるかどうかの鍵である。

二、三角力

その定義とは、三つの力点が相互に作用し、かつそれらの力の合計が0に等しい三角支持力である。三角力は虚の中で実を求める牽挂訓練によって生まれる。具体的な練習過程は、渾元樁の要点に従って間架を均等に配置した後、頭と頸、両腕、両足の間にある数本のゴムバンドの牵挂を想像することから始める。初めは不動で感じ取り、熟練したら頭と頸を主にして微動を感じ、一つが動けば全てが連動し、互いに引っ張り合う。ゴムバンドが引き締まると、頭と頸と両肘と両腕、頭と首と両膝と両足の間にいくつかの均衡な争力を持つ三角力が生じる。その形成は斜面の三角形で体現される。

角力の特殊な性質について言えば、逸を以て労を待つことにより、空間での力量の消耗を効果的に克服できる。よく知られているように、主動的に攻撃すれば、発力の途中で最初に一部の力を消耗してしまうことが避けられず、場合によっては、拳が相手にまだ当たる前に力がすでに尽きてしまうこともある。その一因は、この種の拳士が発力の機会と距離をうまく掴めず、相手からまだ遠い段階で急いで攻撃し、その結果、力を道中で消耗してしまうことにある。これに対して、三角力はその特定の静的安定性の原理により、後発制人に非常に適している。主動的に攻撃することを求めず、感に応じて発し、力を均整にし、全身が共振し、瞬間に敵を投げ飛ばす。もちろん、三角力は主動的な攻撃技(後述の「栽拳」発力を参照)にも適用でき、松緊を合理的に配分し、力の無駄な消耗を可能な限り減らす。このように見ると、三角力は空間での力の消耗を節約する独自の効果を持つ。特に静をもって動を制す戦術技法において効果がある。

3.螺旋力

その定義は、阻力を減少させるために前方に向かって旋転する曲線の力である。

具体的には、螺旋力の発出は、空気阻力を体感し、その後重心を移動させ、ゆっくりとした動きの中で上肢、胴体、下肢を螺旋状に動かすことから始まり、これにより自身と空気の摩擦を感じ取り、旋転の進行中に肢体と空気の摩擦を減少させる(これは試力、摩擦歩などの章で既に説明されている)。力を立体波の形に旋転させ、避力と発力を一体化し、円で面を化し、面で点を化し、点で力を化して、敵の勢を体外に引き、一点に触れて全身を封じ、相手を屈服させる。

螺旋力の特殊性質について言えば、それは旋転の接線の理に基づいて、敵と自分の力点が接触する際の摩擦力を最小限に減らすことができる。なぜなら、力学において、回転の摩擦は最も省力的な摩擦力を生み出すことができ、螺旋力は正に肢体を旋転回転させ、相手の発力方向を転換させる巧勁である。従って、一方が螺旋の勢いで他方の直線攻撃を迎え撃つとき、両者の力点が接触する場所では極微量の摩擦力のみが生じ、これを回転摩擦力と言い、勝敗は言うまでもない。旋転接力が回転の摩擦を生み、螺旋力は他の発力形式よりも、攻に守を含み、打顧一体の長所を持っている。

力学を探究する友人は、上述の各種発力をそれぞれ独立して互いに関連がないと誤解しないようにしてほしい。慣性力の衝撃、三角力の支撑、螺旋力の切り替えなどは、整体力の不可分で有機的な部分であり、一つでも欠けると渾元整体の力が成り立たない。紙面の限りにおいて、大成拳の発力の原理と力学はここまでとし、その他の内容は「発力訓練法」の節で必要に応じて詳述される。

黄景文『大成拳新視野』より