意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

『姚老意拳講話録音資料』(7)

站樁、特に技撃樁についてはどうでしょうか? 站樁は何のために行うのでしょうか? 站樁は健身のためだけでなく、静止した状態を通じて、渾円力を模索することも目的です。渾円力とは何でしょうか? 「渾」は水を意味する部首と「軍」の字から成り、「圓」は「口」の中に「員」がある文字です。現代の言葉で言えば、これは平衡の力、つまり上下、前後、左右の力量が相対的に平衡することを意味します。站樁を数年間行っている皆さんは、この経験を持っているでしょう。站樁の後に手を前に伸ばすと、まるで背後から引っ張られるような感覚があり、戻そうとしても阻力があります。外に推し出そうとしても、戻そうとしても、阻力が感じられます。上に持ち上げたり下に押し下げたりする際にも阻力があります。この局部的な感覚から、全身に阻力を感じるようになります。これがいわゆる渾円力です。

しかし、静止して立っている時にはこのような感覚や力がありますが、一度手を伸ばしたり動いたりすると、その感覚や力がすべて消えてしまいます。これはあなたがゆっくりとした動きの中で、意念を使って支配できることを意味します。例えば、試力を行う際、頭の前に大きな団子のようなものがあると想像します。技撃での標準的な試力は、站樁の際の前三後七と同じように行います。手をゆっくりとその団子に挿入し、手がその団子に覆われていると想像します。その後、手を引き抜きながら、手を旋転させます。手のひらが向かい合うまで回転させたら内側に旋回させ、手のひらが下を向いたら再び横に推し出します。前に推したり後ろに引いたりする際にも、まるで何かが手にくっついているかのように阻力感を感じるようにします。また、手を前に出す際に、もし誰かが前に引っ張ろうとしても、いつ引っ張られても、速く引っ張られても、ゆっくり引っ張られても、すぐに反応して動かないようにする必要があります。手を後ろに引く際にも、いつでも力量を前に出せるようにします。この時の力は同じ力ですが、意拳では外形を作り出してはいけないとされています。内部の力は顕在化せず、運動の速度は均一であるべきです。速くも遅くもしてはいけません。試力は発力ではないのです。同時に、手を前に出す際には後ろに行く力量が必要であり、手を引き戻す際には前に向けた力量が必要です。これは形意拳の拳谱で明確に説明されており、「順力逆行」と呼ばれます。つまり、力量は相反して進み、矛盾したまま前へ行きます。これが試力です。

この前後の動きだけでなく、上下の動きにおいても、同様の要求があります。例えば、下に行く時は上に行き、上に行く時は下に行きます。開合も同様で、外に開く時は内に合わせ、内に合う時は外に開きます。さらに複雑な動きとして、上下の動きにおいて、何かを持ち上げたり(=挑)、引っ掛けたりしながら(=鈎)、開合の力量を使いつつも、斜め前に向ける必要があります。この時、肘は後ろに向けられます。これら全ての動きで求められるのは渾円力です。これが試力の練習で求められることです。