意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

フルコンタクトKARATE2013年12月号

太気拳伝承録(前編)

  • 登場する先生
    • 島田道男
    • 湯川栄光
    • 松井欧時朗
    • 崎田潤一
    • 柞山誠
  • 内容
    • 気功会の教練達
    • 教練セミナー・基本の練習

印象に残った言葉

トータルだから、足だけってことは無いんだよ。上下で一本の線が出来上がってないと。全体があって足があって、初めてそれが機能する。局部だけでやろうとしても無駄だ。「螺旋」と言っても。腰を含めた膝の動きが螺旋の動きになっていないといけない。結局は自分の重さを使うんだから。全体の体の動きを螺旋にするんだ。それを顕著に理解するには「上下の負荷」という概念が体の中にないといけない(島田道男)

太気はトータルのものなので、形で教えるだけじゃない。立体構造的に「こうできている」というものじゃないから。人間の体の根源的な力を出すためには、気持ちとかもいろいろ調整しないといけない(島田道男)

「螺旋」って、ただ言っているけど「沈む」「上がる」じゃないからね。沈みながら上がる、というようなことだからね。機関車のピストンが回転運動に変換されるような、一つの動きの変換だから(島田道男)

「体の中の力」を感じ取れないといけない。だって、力を入れたら力が無くなっちゃうんだから。緩めることで気の力で繋ぐわけだから(島田道男)

でも「緩める」というテーマが前面に出てきちゃうと「気持ち」の部分が疎かになる恐れもある。表現の一つの方法として、「緩める」「緊張する」とは言っているけど、ゆっくり休んだ時に自然の空気を吸った感触であったり、その辺で「生の感触」をを掴みながらその「緩める」っていうものを見つけていかないといけない。頭で「緩めろ」「緩めろ」と考え過ぎるとまた違う。そこに行くと「緩める」という感覚を掴めるところを見つけていないといけない。だから、なるたけ良い環境で組む。心地よい風が吹き、太陽の光を感じ取れる……ということはどの本でも最初に書いてあるけど、その辺が一番重要なんだ(島田道男)

音を出しちゃダメなんだ。もちろん、打つ時には呼吸を抑えて押し込むような練習もあるけど、いわゆる「日常的に体をコントロールする時」にハアハアしちゃったら息が上がるに決まっている。力も出てこない(島田道男)

立禅も一見すると「静かに始める」っていうイメージがありますけど、先生は「パッと入れ!」とおっしゃるんです。すぐ戦える状態に入らないと意味が無いって。確かに外で「ちょっと待って」って言って立禅を始めて準備するなんてできませんから。すぐ禅の状態に入れる練習、さっきおっしゃっていた「自然の中で立つ」ということもありますけど、いつでもどこでもできないとダメなんです(崎田潤一)

頭の後ろがドン、と落ちるような感触が出てくるから。やはり、ピッと切り替えないと役に立たない。だって予期しないことが起こるんだから。その時に体がスッと入らないと。入らなくてもやらなきゃいけないから、体と意識とが遊離していくのが自分でわかるし、その辺が無いときついですね(島田道男)

休む、というのは心を自由に解き放つような感じにすること。その時に膨張と収縮を一緒に繰り返す。これで何事も全部やるようにして(島田道男)

直前に沈む、上がると言ったけど、まっすぐ沈んだり上がったりすることはないからね。全て円を描く(島田道男)

頭のてっぺんから吊られているイメージも続けて、浮いたり沈んだりする(島田道男)

沈む時には(頭のてっぺんから繋がっている)天を引きずり下ろすように、上がる時には天を突き上げるように(島田道男)