意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

『林肇侖談拳録』(6)

一.練功は「資本」を蓄えることが必要であり、「資本」が足りなければ、健身や技撃の目標には達成できない。「資本」は、站樁や試力などの手段によって得られ、いわゆる「資本」とは内功である。

二.練功は「気」を養い、「気」を充填する過程であり、「気」が十分になってこそ、打撃に耐え、相手を打撃する能力が身に付く。相手があなたを一度打っても、あなたは何ともないが、あなたが相手を一度打つと、相手は耐えられない。

三.「気」は実際に存在し、数千年来、古人の体験や論述は枚挙にいとまがない。現代の機器では測定できないが、感覚上は真実であり虚ではない。「気」が充分な状態で外力で打撃されても、皮膚には痛みがあるが、内蔵には影響がない。なぜなら「気」が皮膚の内外に保護層を形成しているからである。例えば、小が站樁状態に入った時、林先生は複数の学生に腹部を何度も力強く打たせたが、ゴム人間に打つような感じで、小は後で皮膚が痛いだけで、腹内に不快感はなかったと言った。打撃した学生は皮の球を打った感覚があった。小と打撃者の感覚は、「気」の存在による作用によるものである。

四.意拳は「気」を練ることを目標としないが、「気」は意拳の練習過程での成果である。

五.技を較べる過程では、誰が全面的に、徹底的に松できるかが、優位を占める。松の状況でこそ、人は霊活に自分自身を掌握し、「功力」と「本能力」を発揮できる。

六.混元樁を立つ時は、「抱三抱七」の方法を探る。先に「抱」をした後、外に「撑」を試みる。

七.矛盾樁を立つ時は、前手は前足のつま先を超えず、目は虎口を通して前方を見る。後手の指は前方を向き、「挑」の感覚を持つ。

八.いわゆる争力とは、二つの相反する力である。

九.硬さと弾力性を兼ね備えること、これが功夫である。

十.気の問題は常に中医学の最も根本的な問題であり、技撃や養生において気から離れることはできない。

十一.バスケットボールをする際は、特に小腕の内側の部分にリストバンドを着ける。王薌齋先生は一度手を挙げて言われた。「誰か私のこの部分を研究してみるか? 私はここが最も使いやすい!」。

十二.姚先生は言われた。「サンドバッグを打つ時の音は金属がぶつかるようなものでなければならない。プププという音はでは意味がない」。

十三.松は松緊転換の基礎であり、松である方が有利である。

十四.伝統文化は根を語る必要があるが、根を守ることに固執してはいけない。