意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

意拳大師王斌魁講拳語録

斌魁先生の拳学に関する記要の抜粋は、意拳気功の弟子たちが学習、練習するための参考資料として後に残す。この『記要』はもともと日付順に整理されていたが、学習と練習の便宜のために、内容を拳学理論、健身樁、技撃樁、試力、発力、及び力の運用などの部分に分け、一目瞭然とした。この『記要』は繰り返し読み、心に感じた体験を書き留めてほしい。理解できない部分は、練功時間が足りないか、水準が足りないことに起因する。難しい質問を多くすることが求められており、重慶の石静などの弟子がよく質問をすることは見習う価値がある。

1991年7月25日

拳学理論

1、呼吸の要求:静、細、深。

2、多くの拳家は四肢を鍛えるが、身体を鍛える本質的な部分を理解していない。四肢だけでなく精神を鍛え、幼い頃のような勇を育て、後天的な造形を避けるべきである。多くの拳術家は人の本能を発揮させず、むしろ制限している。今日の拳術練習では、人の本能を高め、発揮させるべきであり、本能を制限すべきではない。

本能とは、人の身体的物質的条件と精神的作用が同時に良能を発揮し、人の生理的条件に合うことを指す。拳術の一招一式は枠組みであり、人の精神的な拘束である。本能だけの鍛錬では不十分で、科学的かつ合理的な方法に従って鍛錬を行う必要があり、これによって人の本能を最大限に発揮できる。科学的な鍛錬方法とは何か? それは先人の合理的な経験を集約し、個人の不足を補うことである。精神的な假借と体認を根本とし、不動の中で体会し、微動の中で認識を求める。松緊鼓蕩を空間に作用させ、人がいないときは人がいるように、人がいるときは人がいないようである。拳理は力学の原理に合致し、角度や面積の変化を理解し、自身の矛盾を利用して相手の矛盾を解決する。例えば、相手と手を合わせた時、相手が動く前の瞬間に相手の矛盾の変化を掌握することが勝敗の鍵であり、先に発して人を制し、他人に制されない。相手が動かなければ我も動かず、相手が動けば我が先に動く。

3、「恭、慎、意、切、合」の五字訣を実践する。

4、養生と発を理解する(練を知る)。站樁、試力、発力(松緊鍛錬)を同時に訓練し、主要なものと副次的なものを区別し、偏りを避ける。

5、勁を求め、招を学ばない。

6、武とは武術を尊ぶこと、身体を強壮にすること。力は大きい。術は活であり、力学と技巧である。

7、虚霊はまず意を定め、意が先にある。熔炉で身体を精錬するとは、形について語っており、形を訓練することを意味する。性霊を陶冶するとは内面を指す。

8、功力と技巧には限界がない。武は力量、術は技巧である。

9、心が誠実であれば実であり、実であれば静となり、静が極まれば必ず動となり、動の中から高功が出る。

健身樁

1、健身樁の練習は、赤子に還り、天籁(自然界の様々な音)を探すようなものである。

2、站樁時は、心臓に負担がかからず、大脳が休息を得るべきである。健身樁ではこのように求められ、技撃樁の初期段階も同様である。

3、「百練は一站に及ばず、万動は一静に及ばない」。不動の中で体会し、微動の中で認識を得る。多くの人々はこの道理を理解していない。不動、微動がどうして練拳と言えるのか? 拳勁は不動の中で求められ、これを捨てれば第二の法門はない。飛び跳ねることは拳の練法の一部に過ぎず、静練習が拳術の重要な部分を占める。站樁は根本であり、基礎であり、站樁をしなければ意拳の門をくぐることは難しく、拳学の真実を垣間見ることは永遠にできない。

4、「三円」の養生樁の意念は、頭から脚までシャワーを浴びるようなものであり、前方の下水道に向かって下に流れる。高血圧の治療に有効である。

5、伏按式(休息樁)。両手両脚は肩幅にして立ち、両手は軽くテーブルの上に置くような姿勢で、休息しているようである。心臓病の治療に有効です。

6、健身樁を立つ時は、水中の魚のように、上でもなく下でもなく、前でもなく後でもなく、水中に浮かんでいるようである。平衡を良く掌握し、周身を渾円に保ち、空気の浮力に頼る。この時、人は最ものびのびとしているように感じる。

7、「三円」坐樁:ソファや椅子に座り、両脚は肩幅と同じかそれより少し広めにする。両手は胸の前で球を抱くようにする。意念:球は松ではなく緊でもない。両手を肚臍の両側に下げ(高くても低くてもよい)、球を托くようにする。時間が経つと、球は手の中で回転したり跳ねたりする。両足のつま先も上向きに引っ掛けることができ、足が球を托くような状態になり、前に少し伸ばして曲げる。全身の筋肉は放松し、精神は安静である。意念:また、両手を水面の木板の上に置くようにしても、軽松しやすい。総じて、快適で安祥を原則とする。この樁は年老いたり、体が弱かったり、病気や障害を持つ人に適している。

8、靠式提插樁:背中は物体に寄りかかっていて、両足は肩幅と同じくらいの幅で、やや曲がっている。両手は下に垂れ、掌心は内側に向いており、指は伸ばし、意念で引き抜き(=抜)、差し込む(=插)動作を行う。この樁は、老弱者や病者、障害者に適している。若者や強者が修行する場合、寄りかかる必要はなく、両足は双重または丁八歩で立つことができる。

9、伏按樁:上半身を前に傾け、両手は胸の前に置く。胃の病気に適している。

10、高式抱樁:手の甲は上斜めに指し、両手は肩幅と同じで、高さは耳と同じで、右手心は左に、左手心は右に向ける。この樁は腕の力を鍛える。

11、站樁時に四肢が酸痛を感じる場合は、鍛錬不足を意味している。すぐにやめるべきではなく、もう少し続けるべきである。耐え忍ぶ時間は、長い功夫を得るための鍵である。もちろん、耐えられなくなったら無理に続けるべきではない。時間には常に限度がある。一つの姿勢で疲れたら、姿勢や樁法を変えることもできる。

12、站樁時は胸を広々とさせ、身形と意念を拡大し、天を支え、地に立つ万丈の巨人のようになることが求められる(この種の意念は時間が長すぎてはならない。長すぎると気が抜けてしまう——筆者)。身体は挺抜で、四肢は支撑し、周囲の各部位は相互に関わり、相互に引っ張り合う力がある。

13、養生樁と技撃樁の違いは、意念の活動が異なることにある。

14、三円樁:神円、気円、力円。

15、神を集めることで、神を養うことができる。神を集めるだけでなく、活発にし、体内のものを感じ取り、全身を死んだようにしない。(樁功では)神を集め、形が整ってこそ、全体が整う。

16、樁功を行う際には、肩を張り(=挣)、肘を横にし、両手で引き裂きながら捻る(=撕拧)必要がある。

17、健身樁を立つ際には、尿するようで尿しないよう、笑うようで笑わないようであるべきである。

技撃樁

1、四種類の技撃樁:

(1) 提插式:上提下圧、前挿下挿、外撐内裏、銼。

(2) 提抱式:提抱し、前に放る(=扔)。

(2)提抱式:提抱前扔。

(3) 伏按式:まるで球を押さえつける(=按伏)ように、外は分け(=掰)内を合わせる。前方に押し込み(=按插)、こねるように(=揉搓)外に発力する。

(4) 伏虎式(低位の大歩樁)。

2、提插式技撃樁:意は手腕を透し爪力を発揮し、重物を提げて掴む(=抓)ように、いつでもどこでも掴んで(=抓)投げ出す(=扔)ことができる。

3、どの技撃樁を練習する際も、脚下には常に提踩の意念を要する。前足を持ち上げると(=提)同時に後足を踏み(=踩)、後足を持ち上げると同時に前足を踏む。

4、握拳站樁:主に前方への頂勁を練習する。提沈、拧裹鑽に注意し、各角度や面積で勁を探り、発力が力を得ているかどうかを確かめる。

試力

1、争力を求める:上下、前後、左右(六面)は均く争力がある。前膝と後ろの胯は争力を要し、同時に合力も要する。

2、肩部を緩めることができているかに注意する。少なくない人が肩部を緩められていない。試力は腰、手、腿の間に発生する争力に問題がある。特に両脚は力を有し、両脚の間は地を割くような意識がある。肩は意識する必要はなく、忘れてしまっても良い。

3、手は接触点であるため、試力時は手により大きく意念を用い、精神力を大とする。

4、肩部は無闇に動かす必要はなく、これは太極の病である。相手が中心線を打ってくれば、無闇に動かしても役に立たない。肩は身の一動に応じる、これが整体である。

5、試力の時は全て假借に応じながら、同時に内部の変化も考慮する。形が曲であれば力は余り、気を直に養えば無害であり、蓄えれば後に発する。

6、伸手は即ち矛盾である。手が下に体は上に、手が左に身体が右に、逆もまた然りである。矛盾的な動作、神態なしには、相手を惑わせるのは困難である。伸手は相手に錯覚を覚えさせる矛盾であり、矛盾はまた争力と呼ばれる。肢体の間、肢体と身体の間、身体と空間の矛盾などは全て理論上の認識と実践の中で会得する。

7、常に整体の力量を練習せよ。八方に空はなく、立感すれば即ち応じ、一度触れば即ち発する。本能を練習する。

8、力は空に出ず、意は空に帰らず。整体の勁、往復の勁を要し、捧、捋、擠、按は単独での使用を論じてはならない。

9、仮想の大敵と位置を争い、中心の一点を守ることを想像する。頭胸は敵の急所となる。人の勢に応じ、力を借りる。勁が断たれ意が断たれても神は連なる。重心は腰に保持する。頭項はつっぱって支え、天を頂いて地に立つの精神と方向を要する。四方には横膨れる感覚がある。忘れずに、切に記す。

10、身と手の矛盾は、試力でも表現することができる。手は前に進み、身は後に退く。手は後に退き、身は前に進む(左右、上下も同じ、逆向きに練習しても良い)。練習を重ねることで、身体はより渾円となる。

11、試力の際、意念の活動には争力があり、動作にも争力の表現が必要である。

12、身体活動の姿勢(架式)は、段々と大きくし、また段々と小さくする。大小の動きを全て練習することで、各種の複雑な状況に適応することができるようになる。

13、中国拳を研究するために西洋拳を練習せよ。「洋を以て中を用いる」。

14、物質的基礎ができた後、鍵は正確な精神(思想)による指導である。精神は本拳の鍵である。精神とは何か? それは産生的な力量の假借であり、假借は対象である。目標や対象があった時、精神により支配され、正しい意念の支配となる。

15、意、気、力は渾円でなければならない。局部、単線、上下、左右から開始するが、これらは渾円ではない。上下、左右、前後、直斜、横七竪八を有機的に結びつけること、これこそが渾円である。このような渾円は争力の中で求めることができる。一点が全身を牽引し、相手の一点を打つ時は、局部の力ではなく整体の力であり、あたかも円球が相手を打つようである。整体によって相手の局部を打ち、一体の渾円で相手の散体を打つ。

16、一般の拳術は縦勁、直勁あるいは横勁のみを持ち、渾円勁を持たない。多面力、渾円力を練習せよ。

17、試力の際は全身の各部が均等であるか、特定の部分に勁が使われていないか、空の場所が形成されていないか、あるいは過度に硬くなってこわばっていないかに注意する。意念が全身を観察できるか、もし全身を観察ができないなら局所的である。これらは試力の際の注意すべき基本的な問題である。

18、試力の際は、假借が非常に重要である。一挙一動に明確な目的が必要である。

19、站樁や試力(日常生活を含む)の際は、相手との接触点に意念を加えるようにする(全身に意念を加えるとかえって硬直してしまう)。手は最も相手に接触しやすいため、平時から双手への意念を強め。相手と接触した瞬間の手は、万力、鋼のフック、鋭い爪のようになる。手を出す時は鷹の爪に、引き戻すときは鋼のフックに似る。

20、行動(磨擦歩のように)の際は全身を均整として、特に頭は人を打つようにする。

21、站樁や試力(日常生活を含む)の際は自身がのびのびとすることを原則とし、全身の各部に軽重の感覚は不要である。

22、両手の掌は大小の魚が常に呼吸する必要があるの似て、伸縮する。掌は固定、不変であってはならない。大小の魚が開閉する様子は発力と大きな関係がある。

23、一人で練習する時(力を試す時)、大敵が目の前にいるかのようで、一人で拳を練習するのではなく、体の外に人がいることを想像して、条件反射を利用する。絶対になってはならない。力は絶対ではなく、体には転折の余地があり、霊活でなくてはならない。

24、蛇纏の時は,擰、裏、叨、挿、鈎、銼は同時に用いる。蛇纏の時はは腰に鍵があり、单双推手で使用される。銼には大銼、小銼がある。

25、揉球式:快慢、剛柔は相済し、各種の形態で表現される:前走、後退、左、右、前後、高、低、上、下。意によって気を動かし、意、気、力が整体となって合わさる。これが最も良い練習方法である。円融に相通じ、他人に球を奪われることを恐れる。時々、球を持って外に打ったり、球と体を一緒に前進させたりする。随時球を発(発力)し、全身は調和して一致する。

26、三種(またはそれ以上)の操拳形式:栽拳、直拳(炮拳に似る)、炮拳(手を出せば拳になる)。操拳の際は体が揺れる必要があり、体を揺り動かす。歩法は多様に変化しなくてはならない。

27、試力の際は、慢から快へ、軽から重へと至る。

28、試力の際には全体を試すことを求める。精神力を大きく放ち、一招一式の試力にしてはならない。全身を渾円とし、どこに触れても打つことができ、少なくとも回勁を要する。

29、歩法について、前足は冲踏し、身体は前に催し、頭は前に撞し、後足は蹬る。

30、拳は全身を打つのが法である。鈎、銼、叨、挿は揃って使用する。意念が一度動くと、身体は火が燃え上がるようになる。意拳は、精神力と意感を重視する。意が全身に行き渡る、これが具体的な精神力である。

31、假借とは唯物的な抽象であり、抽象は適切な真実を追求しなければならない。

32、具体的な動作の中から整体を求め、整体の中から具体的な物質力を求める。

33、站樁、試力、発力の際、人為的な条件反射(假借)を意念の対象とする。

34、前進後退左右転に動作は全て、局部的でなく全体の一致性を示さねばならず、単純な形体の運動のみでなく、形体と精神の一致性も求められる。

35、まず松、順、合を求め、再びもの(功夫)を求める。松、順、合自体が功夫である。

36、極度の破体の中に不破体を求める。あなたの師祖は、身体を後ろに倒して拳を操り、身体を大きく前に倒して拳を打つなど、他人から見れば中を失っているような動作をするが、師祖はそれでも力を出すことができる。

37、「内抱外発」。嬰児を抱くように、胸の前で落とさず、壊さず、同時に支撑力も有する。これを「内は嬰児を抱いて、外は発力する」と呼ぶ。

38、試力の時は、手の方向は変わらず、身体を変える。身は龍が遊ぶに似て、身形は間断しない。

39、叨手の単練は、双推手に役に立つ。試力の時は、定歩、活歩、前進後退、左右横行、常に全て練習すること。

40、技撃の各樁と試力の時は、手腕、腿、脚は上に引っ張られ、腰の中節は空にしてはならない。

41、試力の時は、神意を遠くへ向け、力を遠くへ発する。

42、形意拳の名家はこのように語った:脚が7分、手が3分、脚は提踩を要する。これは站樁、試力、発力、力の運用など、各段階における脚の重要性を示している。(その根は脚にあり、力は腿で発し、腰が主宰し、手で表現される)

43、一般的な人の力は長方形や四角形であるが、意拳の力は円や渾円であり、あたかも円球のようで、相手には点がどこにあるか感じさせない。固定点の発力、固定された姿勢からの発力、停止間の発力、運動中の発力、快歩や大動での発力など、すべてを練習する必要がある。

44、試力は上下で争拧することを求め、前後に動揺してはならない。

45、栽拳は、大栽拳と小栽拳に分かれる。小栽拳は用途が広い。円拳は中心線を超えてはならない。

46、蛇蜕壳:円形の鉄筒が腕に嵌っているかのように、突如振り放つことを要する。蛇蜕壳の樁功を練習するには:蹲襠式(又は丁八歩)とし、両手を肩より高く上げず、肩と同幅で、手指を前挿し、両腕の前に老牛の筋が引いているようにする。

47、站樁と試力の際、口中には珠を含むかのようにする。

48、技撃樁と試力の時は、首と脚はゴム紐を引っ張るかの如くである。

49、樁功や試力においては常に松静合を求めなくてはならない。

50、站樁は蓄力であり、全身に水銀を注いでいるようである。試力は水銀を活発にする。発力は水銀を鼓荡させて、体外の物体に打ち込んで、その効用を発揮する。

51、具体的な打法を具体的に練習する。四肢と身体が合わず、攻撃に致命的な殺傷力(重量)がない。具体的な練習中に精神力を強化し、具体的な打法の練習が完了すれば、それを運用できる。運用は法を述べず、思考せずに行う。具体的な打法を総合して運用し、連続して発力し、相手がどのように打とうと一気に攻める。相手が戦闘能力を失って止まるまで続ける。

52、千変万化は「円」から離れない。おおよそすべての動力は「円」から離れない。神円、意円、気円、力円。形骸が似るのを求めず、神意が足るを求める。「足る」とは円である。

53、伸手は脈を探り、道を尋ねるかのようである。

54、弾、抖、潑、揚の四種の力を練習する。弹には冲弹と坐弹の二つがある。

55、極めて緩やかで、極めて均整である。ほどけるものは開き、合うものはまとめられる。迅速に合わせ、具体的に合わせる。

56、拉手はオルガンのようである:行動中に力を運用する。

57、身法は手法と伴って動き、手法は身法と伴って動く。身体と手は一体である。

58、意は自ずと形より生まれ、形は意が転じるのに随う。

59、站樁や試力を行う際、精が満ちて身体が渾円であるようにする。精を練って気と化し、精がなければ気はなく、気がなければ力もない。神は内側に収まり、目を見開いてはならない。内部を感じ、全身の毛髪が戟のように立つ。これは精が満ちて丸い身体が渾円であることの表れである。

60、指の力の鍛錬を強化する。支点や直点の練習を多くする。静練と動練ともに、もの(意念)を支え、支点は破体を多く行う。

61、挂打の練習を多くする。左右の側面の挂打の多く練習すれば、推手への効果が大きい。単手で馬を引く動きの練習を多くする。偏った時には、走順の勢、単操の練習をする。

62、三頂:頭頂、手頂、脚頂を単独で練習せよ。

63、樁功と試力は三つの段階に分けられる:

第一の段階では、松静自然、精神愉快、舒展開闊、呼吸自然である。息を止めず、力も入れない。

第二の段階では、身体が均整で充実する。内部の実力が増加したことを感じる。

第三の段階では、試験時には恐れずに、用いることができる。技巧が配合され、神意力が充実している。拳学において既に小さな獲得があり、入門している。複雑な試力を深く研究し、実践を徐々に深める。拳術における中成である。大動から小動に至り、小動から不動に至る。これで拳学における大成となる。この「拳は無拳、意は無意」ができれば、巨大な作用を発揮できる。

64、試力の段階では、簡単から複雑へ、力と意の面は小さくて簡単で実行しやすい。大動から小動へ、極松から極緊へ向かう。

65、身体の練習を多く行い、荡動させる。先師曰く:「身体の動きは山が飛ぶように、力は海が溢れるように」。

66、ただ身体を鍛えるだけではなく、単に假借するだけでもなく、外界と本体が結合させる。無形によって有形を支配する。動静を結合し、まず無形(站樁)を鍛錬し、徐々に有形(試力)を鍛錬し、微動から大動へ、有形から再び無形を体得する。何年も日々反復すれば必ず成功する。

67、興奮と抑制を平衡させる必要がある。沈、提、推、拉、分、閉の間に力量を求める。神意力は統一し、合わせる。出収の間、行停止の間、竪、直、横、斜の交替の中で力を探る。拳の練習は、縦、直、横、斜の四字を理解し、すべての動作をこの四字の中で体験する。二人が対立するときも、縦、直、横、斜の四字の中で動く。

68、脚と腿は錐のように、腰は車輪に似る。手、腕、身体、頭部はすべて螺旋勁を要する。

69、出手、出足は、蛇が舌を突き出すようである。様々な歩法を練習し、歩法と操拳を組み合わせて練習する。操拳は拳頭の上での力量の運用である。

発力

1、発力を行う前には、まず後座力の練習が必要である。

2、発力時には三点が統一される必要がある。手、足、腰は一つに合わさるべきである。各部位の中節を合わせることに多くの注意を払う。

3、今日の勁が大きくなったと言われるのは、過去の力量が局部的だったことを意味し、本来の力が発揮されていなかったのである。前後を比較すれば、今日の勁が大きく成長したように見えるが、実際には身体の各部が合理的に使わるようになったのである。

4、試力や発力を行う時は、絶対的になってはならない。相対的であることが重要で、発力後には余力があるようにする。発力と収回は矛盾である。

5、本拳は渾円力であり、一般には二挣力である。少なくとも接触点では二挣力が働いている。

6、発力する時は、気を提げたり、努めたりしてはならない。

7、発力時の松緊の掌握は非常に重要である。より松にできれば、発力はより暴力的で、より速くなる。

8、次のような力の種類を先に練習することができる:前発力、後発力、左右横力。左右力、後発力は少し難度が高い。

9、発力する時、気は下に向かい、一瞬の間で気を吐かず、声は内から呼び起こされ、気は内転する。

10、発力する時、大きな関節は変わらず、接触点上の角度や面積だけが変わり、掌心が変化する。拳も同様で、力は連続して発せられるべきである。

11、神意打に注目し、神意と形体を同時に打つことが重要である。形は見えない、少なくとも見えにくいのが最も良い。

12、「内抱外発」と「吞吐」は異なる。「吞吐」は手や腕で行うが、「内抱外発」は身体で行う。

13、内抱下按して前方に発力することと「内抱外発」は二つの異なる勁である。前者は下方もしくは前方に向かう。

14、鶏腿、龍身、虎抱頭、猿象。

15、発力時の意念:小腹は棍を推し上げる(=推頂)ようにし、棍を前方に突き刺すと同時に、背後では縄を引き裂く(=挣断)ようで、縄から解放された驚いた馬が前方に直進するような感覚である。

16、不動の点で、三掌を連続して発し、まずは直力を発し、二挣力を発し、身体で腕を崩して発力する。

17、単双推手は、点で推しあって(=擠)発することも、点から離れて発することもできる。点で推しあう方が難易度が高い。

18、前方に発力する時は両肩に注意し、意念が両手や両腕に集中しないようにし、壁を前に崩すようにする。

19、掌や拳を打ち出した後、自分でブレーキをかけてはならない。穿透力が必要で、整体して猛烈に打ち出す必要があり、脚の後ろから始まり、全身を震わせながら打ち出す。

20、口を閉じて発力する方法と、口を開けて発力する方法がある。口を閉じて発力すると、頭痛を引き起こしやすいため、口を開けて発力する方が良い。

21、前の手で人を打ち、後ろの手で勁を加えることを助勁という。

22、撞弾力と座弾力は、高、中、低に分かれる。

23、発力は絶対的であってはならない。絶対的であれば人は発することができない。重要なのは「神滞」であり、それは「力滞」を意味する。考えすぎると、思考が絶対的になり、神意や気が自然ではなくなる。最初に効果を考えれば自然性に影響を与えるため、効果を考えずに効果を観察し、経験から学ぶほうが良い。発力はまず順に従って、前方向に直力を求め、上中下すべてを練習し、次に後拉力(勒馬力)と下按一拍を練習する。上発力の鍵は、座腰や胯を使い、腰腿の力を借りることにある。点は変わらず、身体が変わり、動いても、同様に本力を発揮する。力は均整でなければならない。前脚で人を打つ時、後脚も勁を使う。

24、発力時は声は出るが気は出ない。口の形が異なれば、音も異なり、内部での鼓蕩の位置も異なる。

25、発力する前は柔松である必要があり、発力は剛である。剛柔松緊は一つである。

26、一呼一吸において発力の要点を体験し、堅柔松緊の程度や作用を体験する。しばしば勝敗は一呼一吸の間に決まる。

27、松合から均く中を養い、突然に集中して用いることが発力である。神意の発力を多く行い、筋骨の発力は少なくする。

28、金鶏が羽を震わせ、静から勁を求め、合から勁を求め、勁から用を求める。

29、整体力から具体力を求め、具体力は整体力の運用である。整体力も具体的な力も練習する必要がある。

力的運用

1、発力する際には精神力に特に注意し、力は発する直前と発する瞬間の間で躊躇しない。

2、交手する際には自分の中心を守り、相手の中心を探る。

3、交手する際には、相手が閃けば必ず攻め、退けば必ず進む。

4、相手が進撃してきた時はまず耐える力が必要で、次に物体の反作用力を利用して相手を撃ち出す。これには、てこ、バール、螺旋力の作用を利用する。

5、物体が動揺すると力は大きくなる。形意拳では「手を伸ばすは脈診のように、人を見るは蒿草のように、人を打つは道を歩くように、起鑽落翻は矢のように」と言われている。

6、伸手は「捧、捋、擠、按」を結合して用い、いくつかの勁を総合的に運用する。捧の中には捋があり、擠があり、按がある。按の中には捧があり、擠がある…。

7、推手の際には以下の点に注意する:
(1) 距離を掌握し、個人の優れた技能を発揮するのに有利な距離を保つ。搭手する時の腕は伸ばしすぎず、半円が適している。
(2) 聴勁(懂勁とも呼ばれる)。相手が何をしようとしているかを知る。皮膚の感覚を通じて相手の功力の大小を理解し、相手の意図を掌握する。
(3) 体の松緊を知る。自分の腕や体を相手のてこに使われないように特に注意する。接触点に注意し、体が散らない程度に松し、意は切れずに連続し、いつでも合わせることができるようにする。松は懈になってはならない。

8、軽々しく動くべきではない。一歩動くたびに、その一歩の作用や価値が必要である。

9、一度手を動かす際には必勝の信心を持ち、精神を提起し、連続して進攻し、相手に沈重の打撃を与え、息をつく余地を与えない。

10、時には相手と同時に進撃し、撃を以て撃を返す。進むことは自己を守ることであり、敵を打つことである。

11、推手とは打つことである。

12、相手が発しようとしているがまだ発していない時は、進撃する絶好の機会である。「一」という字が口から出る前に、発出すべきである。筋肉は元より放松の状態にあり、意念が一瞬で緊となり、パッ!と力が発出される。

13、実戦では、両手は平行にしてはならない。進撃や防守が容易になるように、一前一後、一上一下、一左一右であるべきである。

14、普段から形松意緊の習慣を身につけるべきである。相手に対しても筋肉を固くしないようする。そうしなければ相手に引っ張られて、平衡を失いやすい。

15、先生は「盲目的に打つことにも利点がある」と言われた。様々な人と打ち合うことが重要で、拳を練習していない人の方が、時に練習している人よりも扱いにくい。練習している人は心に枠があるが、練習していない人にはそのような束縛がない。

16、顧は打であり、打は顧である。退は進であり、進撃することで自衛できる。

17、力点によって重心を牽引し、力点は力心であり、力心は重心である。聴勁は、皮膚からの反応を通じて大脳に伝わり、相手の力心や重心を認識する。

18、推手を行う際には搭手することで相手を放すことができる。

19、下に一圧、一按した後すぐに、単手または双手で前方に発力する。

20、单手は刀として使え、双手でも刀として使える。相手を一度牽引したら二度目の発力を行う。

21、推手の際には、支点を通じて力点を探り、力点を通じて重心を探る。

22、相手と搭手する際には必ず側身であり、正面からの接触を避ける。自己の中心を隠し、相手に自己の中心を探させないようにし、その代わりに相手の中心を探る。

23、単掌(拳)で人を発する時は、必ず側身で肩を順にし、腕は微かに曲げ、肘は下に垂らし、外に持ち上げたり内に挟んだりしない。

24、敵と搭手する際、相手が先に攻撃した場合、まず自己の中心を避け(相手の攻撃対象から避ける)つつ、同時に相手の中心を撃つ。

25、両手掌の合力を使用する。両掌が相手に接触した後、後手掌を開いて掌心を摩擦し、螺旋で前進する。

26、推手の動作はできる限り小さくする。小さければ相手に気付かれにくく、発力しやすい。動作が大きければ、相手は避けやすい。推手での円をかく動作は小さくし、大きいと良くない。

27、手を動かすことが目的ではなく、人に放つことが目的である。いわゆる「打輪」(円をかく)は、相手の隙を見つけるためであり、一度攻撃の機会を見つけたら、相手が反撃できなくなり、倒れるまで連続して攻撃する。

28、相手の上半身を打つ目的は、相手の中心を貫通することであり、そのために摩擦力や銼力を用いる。

29、相手との搭手は、一般的な相手であれば直接進む。相手が少し高明であれば、まず矛盾を作り、相手を惑わし、続いて進撃する。相手の双手が同時に進んでくる場合は、まず手指を払いのけてから進撃する。

30、敵が直接来たら、我は横から取る。

31、試力や発力する際、行動は猿猴のように、精神は怒る虎のようである。

32、相当な功力を得た後は、練拳はまるで遊びのようになる。

33、竪、直、横、斜の四種類の力を組み合わせて互いに用い、相互に変化させる。各種打法、吊打、円打、閃打、直拳打、頭打、勾拳打などを練習する必要がある。

34、「死人」を打つ練習も、死ぬまで打たれる練習もしない。

35、相手に手腕を掴まれた場合、肘を挙げて身体を揺らし、相手を破壊することができる。

36、快拳での点打は無力であり、怖さはない。直拳や勾拳の落点は重い。

37、身法、歩法、手法は、散手や推手においても、個人に有利になるように、自由に変化させる。

38、「師の法則は守るべきであるが、拘泥しすぎてはならない」。「拳の本は無法であり、法があっても空である。一つの法が立たなければ、万法も容れられない」。

39、両手で搭手した後、精神や意念の変化、角度、面積もそれに応じて変えるべきであり、発力点もそれに合わせて移動する。

40、接触点の面積を変えず、発力する際の角度は変えることができる。力点を変えず、力根は変えることができ、身体は動く。

41、推手の際は、両手は互いに根として用い、左手を出すときは右手が随い、右手を出すときは左手が随う。両手を同時に用いることも、一方が主で他方が従うこともできる。

42、手の速さは身体の速さに及ばず、身体で人を打ち、手で表現する。

43、双推手の数種類の打法:

(1) 左右手往後刀:左手が刀なら右手は助け、右手が刀なら左手は助ける。脚蹬、腿伸、腰転、臂旋。一方の手で引っかけ(=勾)、他方の手で拍つ。

(2) 左右旋転刀:左手は刀で、右手は摧き、反対も同様にする。整体力を用いる。

(3) 左右拍打:左手で下に拍ち、右手で相手の右後方に摧き、拍ち、打つ。逆に、右手で下に拍ち、左手で相手の左後方に摧き、拍ち、打つ。身体の整勁に注意する。

(4) 撑打法:相手の両手の上にいる場合、相手の右肩に向かって上に押し上げ(=上撑)、受動から主動に変える。同時に右手は相手の腕の下から上に向けて捻り(=擰鑽)、相手を押し開き(=撑開)、直接相手の首筋へと斬りかかり、その後に前方に発力する。左右の手は交替しても行うことができる。

(5) 我の左手が相手の右手の下にある場合、我の右手で相手の左手を挟む。この時、我の左手で相手の右腕を左方向に振って(=抖)横外力を発し、同時に右手で相手の左方向に内横力を発する。相手を引っ張ったら(=牵)直ちに発力し、相手に息をつく余地を与えない。

(6) 相手と搭手する時は、両手で横力を発し、同時に前に進んで衝突する(=撞)。一回で成功しなければ連続して進撃する。

(7) 相手と搭手して、直接前方に発力する。直力、弾力、驚弾、驚抖力など、断続せずに発力する。

(8) 相手が手を離せば、竪、横、斜の力を総合的に使用する。

44、単推手:

(1) 右手が相手に一度搭手すれば、小腕を右下方向に一捻り(=拧)すると同時に、右軸を吊り上げ、直接相手の右心や右肩窩に猛撃する(半栽拳を用いる)。相手が倒れなければ連続して進撃する。

(2) 歩を下げて大きく引いて(=撤歩大捋)も良い(双推手でも用いることができる)。

(3) 小腕を下に一捻り(=拧)して直拳で進撃する。

(4) 搭手では相手の大腕と小腕を一方向に捻り(=拧)ながら、肩で前に靠打する。推手時は手を合わせる角度が重要で、手を伸ばすときは曲直の形で、小腕を横にせず、握拳か半握拳は拧裹螺旋を求める。大圏は小圏に及ばず、無形の圏が最も良い。

45、単推手でも双推手でも、基本原則は相手を持ち上げて(=掀)から撃つことである。

(1) 相手が肩で押してくる場合、左右内外の横力で叩く(=扇)。

(2) 相手が直力で突進してくる場合、左右の刀で撃つ。

(3) 相手が左右に肩を揺らしている場合、左右の横力を発する。

46、長、中、短距離、身体が接触している時でも具体的な力を発揮できる。大動、小動、あるいは形体が不動であっても力を発せられることが重要である。

47、発力する際は一般的に身体を低くし(=下蹲)、直立せず、いくらか含蓄を持たせる。発力は相手の中心を撃ち、左右や両端を打たない。

48、厳しく正面から侧面へ打つ。相手が猛攻してきた場合、その場に留まり、身体を正面から侧面に変えて砲拳で打つ。

49、両者が動き始めたら、まず相手の肩架の配備を乱れさせ、乱れた隙に中心を攻める。

50、両者が動き始めたら、まず相手の強い部分(=堅)を攻撃し、虚を攻めない。相手の背を攻撃し、順を攻撃しない。

51、拳法は「一陰が反って一陽になる」。精神は怒れる虎のように、気質は霊犀のようである。

52、拳の無意に至るところが真である。

53、相手の力頭を撃つ際は、正面ではなく側面を打つ。力頭を避けて側面を打ち、角度を考慮する。

54、相手の体格が高いか低いか、太っているか痩せているかに関わらず、相手に合わせず、自分のやり方で打つ。平時には体格の大きさや体型の太り痩せに応じた技撃の特徴を研究する。

55、技撃は基本的に竪、直、横、斜、高、低であり、これが一般的な規律である。

56、単推手では相手の手を抑えたら(=搶)すぐに進攻し、相手の身長や力の大小に関係なく、腕を引き寄せて全身するか、歩を動かして螺旋力で進撃する。

57、単推手で、相手が手を掴もう(=捋)とした場合、掴まれた肘を立てて、肘尖で相手の胸部を打つ。続けて掖掌を用いて、双手を合わせて打つ。肘で打つ際には身体を使って肘を押し出す必要がある。これが一つの方法である。また、相手が右手を掴もうとした場合、相手の右腿に沿って、右手の甲で下滑りながら押さえる(=按)。同時に左手で我の右腕の上から相手の胸に攻撃する。

58、推手の際には沾、連、粘、随を用いる。

59、単推手でも双推手でも、重心は移動できる。自分の重心を手、腕、または身体の特定の部分に置くことができる。

60、歩を進めながら、側身になって直掌を上から発して中を打つ。力は足、胯、腰から上に発する。側身で直拳を下に打ち、左右の肋下を狙う。

61、双推手では、相手が両手で肩や腕を掴んできた場合、直接押し進むことはできないが、左手の手刀で相手の右手を切る(挑挂も可能)ことができる。右肘の中節で内側に螺旋し、拳を相手の顔に打つ。螺旋の中で右腕を上げる(=上鑽)なければ十分な力は得られない。また、片手で発力したり、両手で発力(合力を発する)することもでき、霊活に変化する。

62、単推手や双推手を行う(試力含む)際の意念:提、拉、撑、抱。

63、両手で搭手した後、相手が手や腕で我の腕を圧迫してきた場合、手首は球を抱くように上向きに螺旋し、受動的な状態から主動的な状態に変える。

64、右脚が前にある時に、相手が左拳で打ってくる場合、右脚は一歩引いて右拳で打つ。相手が右拳で打ってくる場合、左に身を屈めて右拳で打ち、肘肋も同時に打つ。

65、推手では、鑽、裹、拧横を要する。

66、左右の刀を使う際は、刀が古くなりすぎるのも、及ばないのも良くない。適度が良い。

67、遠くを断ち切り(=截)、近くを斬る(散手)。推手の際は靠打、肩打、肘打が可能である。

68、遮ることも防ぐこともできない。すなわち一撃である。

69、頭打は槍に似る。頭で五方に打つ。

70、千変万化は「十」と「円」から離れない。形意拳の名師は言った。「起手の横拳の勢は難しいが、四平に展開する前後の梢(竪、直、横、斜)がある」。

71、手を出すときは一撃ではなく、左右の手を交代して攻撃する。また、手、足、膝などを同時に用いる。

72、蜻蜓点水の打法。跳び上がって(=跃起)打つ。

73、単推手や双推手で力の大きい相手に遭遇した場合は、空、化、卸、走の打法を使い、硬くつっぱらない(=硬頂)。

74、双推手の際は「内抱外発」を利用し、搭手すれば人に放つ。

75、作用力と反作用力を利用して相手を撃つ。

76、蛇行:頭を撃つと尾が応じ、尾を打つと頭が応じ、中間を打つと両端が同時に応じる。

77、推手では腰の中節に含蓄を持たせることに注意する。両肩は争って開き、歩は常に変化し、中心を交換する。自分が力を得ることを主とし、牛が角を突合せるようにはしない。両手は左右、前後に分け、曲折と含蓄を要する。相手が直力で攻撃してくれば、上下で対応し、できなければ左右の横力で対応する。それもできなければ、上下左右の力を交互に使う。

78、単推手で力の強い相手に遭遇した場合の三つの方法。
(1) 後手で前手を一撃する。
(2) 腿を軸にして自分の中心を避ける。
(3) 外螺旋。

79、単推手や単腕での発力は、順に出し、歩を前にして突き進む。単操手を多く練る。動きの中で単拍、双拍、双刀拍を練習する。

80、拳を練習する際には闘争心が必要で、決闘の精神、獅子や老虎の精神を要する。

81、力がないと言われるのであれば、それは樁功から始めるべきであり、樁功の中から得られるものである。静かな時には自身の力量を求め、動いている時には外部の力量を体感する。試力では内外が結合しているか、精神が物質に達しているか、協調しているかを体感することを求める。小動の試力から大動の発力に至るまで、どれだけの力があるか? 発力は自己の力量の大きさを試すことである。まずは一面の発力から練習し、その後で多面力を求める。試力では渾円力を求め、一面力は求めないが、初めは一面力を集中して発し、その後で二面力、多面力、最終的には渾円力まで到る。力は試すことから生まれる。鋭角はどの方向からでも発力でき、爆発する。

82、断手(散手)の初歩的な四種類の打法:
(1) 大開門。 
(2) 閃中門。
(3) 虎抱頭。
(4) 猴象。鶏腿、龍身、虎抱頭、猴象を散打の中で運用する。散打は身体の操拳であり、実践である。

83、銼力は中銼、高銼、銼著栽、単手銼、双手銼に分かれる。

84、相手と打ち合う(推手)際には、抵抗しないのは間違いだが、絶対に抵抗するのも間違いである。攻守は一つであり、守攻も一つである。攻中に守があり、守には必ず攻があり、消極的な守ではならない。守中に攻があり、守と攻は一つの動作として行い、別々の一、二の動作としてはならない。閃打や退打を練習し、閃中に打ち、退くと同時に打つ。閃打を合一し、退打も合一する。

85、相手に接触した後の発力の変点は迅速でなければならない。発力は距離を掌握し、身体と手が相随う。伸手は前足の先を越えず、点の発力は適時を認識しなくてはならない。

86、光線は精神力である。

87、単推手や双推手で相手の力が強い場合、中心を利用し、重心を接触点に置く。上下左右前後、どこでも使え、自身を揺動させる。相手が直で衝突して(=撞)くる場合、左右に偏って衝突し、作用力を利用することができる。つまり、矛盾を利用して相手を撃つのである。手を合わせた後、重心を揺動させ、その揺動する中心を接触点や相手の特定部位、要所に置く。上下左右前後を揺動させれば、相手は対応できず、相手が受動的になれば進撃する。

88、力は功を打たず、功は力を打たない。相手と互いに打ち合うことを恐れてはいけない。

89、三つの準備をして初めて、相手に一撃を与えることができ、隙を見ることができる。一つ分の功夫しかなければ、外に出てはならない。

90、敵が直で来たなら、横を取る。横から来たら、鑽打する。

91、身体をばらばらにして、初めて整えることができる。極松になれば極緊になれる。極松がなければ、極緊はない。極松を体得すれば、気血と神意が通じ、周身が均整になる。動に似て動に非ずの中で人を打ち、発力する。

92、身法を使う際は、点を管しなければならない。身法を使いつつも、接触点を管理し、点を失わず、途切れさせない。少なくとも相手の両手を管し、重要なのは中節の腕(推手)を管することである。

93、推手では、鑽、裹、拧、横を忘れずに粘を利用する。竪、直、横、斜においても粘を重視する。そうすることでより動きがは洗練され、相手が逃げたり、点を滑らせたり、点を逃がさないようにできる。粘性、吞吐がなければならず、粘性がなければ吞吐を利用するのが難しい。粘はまず引くことが必要であり、相手が松であれば粘はできない。まず相手の勁を引き出し、勁を問い、二つの力点がぶつかる時に粘性を使う。そうすれば、鑽、裹、拧、横を使って周辺を突破し、中心を攻めることができる。

94、刀で相手を動かせない場合や、偏で相手を動かせない場合は、自分の身法を変える必要がある。相手が不動なら我は動く。正面を避け、側面を進撃する。力の小さい者が力の大きい者に対抗する際や、体の小さい者が体の大きい者に対抗する際に、この方法を取る。刀で動かせない、押し下げられない場合は、上に挂ける。下が上手くいかないなら上に行く。まずは拍打し、続いて刀や偏を使う。拍打、刀、偏を同時に使う。相手に随わず、一度随えば破体する。あなたは自身のやり方で打ち、我は自身のやり方で打つ。勢を見て勢を打ち、招を見て招を打つ。

95、側面からの攻撃が上手くいかないなら、中上を探る。中上が上手くいかないなら、上路を探る。上面が上手くいかないなら、側面から打を放つ。

96、大きな相手は放さず、「五臓」を震わせる。

97、中の中に拘ってはならない。中は、脊椎だけでなく、両脚の裏にもある。両脚の角度を変えることで、足裏でも守中することができる。

98、身体が動いても、手で点を支え(=頂)、方向を多様に変え、忽ち上へ、忽ち下へ、忽ち左へ、忽ち右に動く。相手に支点を利用されないようにする。相手が中を攻めるなら、円をかいてそれを破る。

99、相手が崩打してくるなら、こちらは円打を用いて、相手の進撃を支え開く(=撑開)。相手が高打してくるなら、偏刀によって反撃する。相手の身手が上にあり、容易に顔を打てる場合、手を翻して左右に打つ。実の力に直面した場合、その力を分散させる打法を取る。相手が直で来る場合は、左右から取る。

100、一般的に人々の発力は洗練されておらず、着相や執着に囚われている。搭手は、まるで自身が操作しているかのようである。人を打つ際には考えすぎず、自分が学んだことを相手に対して練習する。

101、坐弾力の発力が上手くいかないのは、按勁が大きく、冲勁が小さいからである。按勁は小さく、冲勁を大きくすべきである。この式では支点を強化し、支点を軟らかく打ってはならない。按は支節であり、撞が本体である。主に攻める方向では、一、二と分けてはならない。按と同時に撞を行い、按と撞は同時に行う。

102、上が緊であれば下が松、左が緊であれば右は松、前が緊であれば後が松、後が緊であれば前が松である。松緊は互に用い、半松半緊で敵を誘い込む。各角度の松緊を常に調整し、自分の利のために用いる。強い力に遭遇した場合は、少し松にする必要があり、前に向かって松とする。

103、点で押し合い(=擠点)、点から離れて、撃つ。直力を横に放たず、円をかくように放つ。長い動作を多く練習し、腕関節や肘関節の曲折を多く練習する。混乱の中で中を撃つ。

104、「十」字を見たら円をかき、かき終えれば進む。陰手で円をかき、陽手で節円(滾動中)をかく。

105、双推手では淬驚打(驚弾力、驚抖力)を使うことができる。相手が驚いた時に、突然進撃する。両手を交互に使って、左右から肩を送る。

106、按と撞を併用し、手は低くしない。これを伏按と同時に前撞すると言う。

107、接触点と身体は平衡しなければならない。火打ち石が一度打たれたら(鳥が落ちるように)、人を倒さなければならない。意は形に随い、いつでもどこでも拳となる。曲の中に直を求め、神気と一致する。搭手は電気に触れるようである。接触点と中は分かれて動き、点で支えて(=頂)から中を動かすことができ、分解して用いる。

108、あなた(筆者)は以前円をかく動作が多く、枢動が少なかった。推手では蜻蜓点水を使い、一度で三点が連なる。

109、手は空出せず、意を空回せず、何かを持ち帰る必要がある。閃けば必ず打ち、双推手では双重に注意する必要がある、双重であれば動きにくい。円を抱いて意を守り、伸手は腿を越えない。肩架を適当に整える。発力するときは枢の作用に注意し、脚と頭が相争う。

110、精神の配備が主で、形体は次である。枢を用いて人を打ち、大環も小環も用いる。

111、実が過ぎると滞り、滞れば死ぬ。

112、両脚や腿で重心を絶えず交換し、身体が平衡を失わないようにする。

113、手は三、足は七に勝る。上肢や上半身で力を用いれば、身体は平衡を失いやすく、頭が重く、脚が軽くなる。

114、手を出すときは指弾のようで、手を戻すときは鋼の鉤のようである。身体で発力し、手の重さは身体の力量を超えないようにする。さもなければ平衡を失い、力が発せられない。

115、身体で人を打つが、しばしば最初に接触するのは手脚である。手脚は身体で人を打つ具体的な運用であり、手脚は身体で打つことの体現である。

116、拳が中成に至れば招は不要であり、招は力の具体的な応用である。中成に至れば手を出すだけで対処となり、自由に打ち、自然に力学を応用する。

117、双推手では拍打し、相手と搭手した後、例えば右手で相手の左肘尖を支えて突き上げ(=托崩)、左手で相手の右手を伏按する場合、右手で相手の左肘を相手の中心線に向かって掻き上げ(=崩掀)、左手で相手の右手を下按し、相手の平衡を失わせる。