意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

『林肇侖談拳録』(7)

一.林老師は次のように考えている。意拳を学ぶには、まず意拳理論の科学性を十分に理解し認識しなくてはならない。三日間は魚を捕り、二日間は網を干すようでは(訳注:三日坊主のこと)、意拳という「スイカ」を失い、他の「ゴマ」を拾いに行って、無価値なものを背負って帰ってくることになる。そうであれば、いつまでも意拳の門外に迷い続け、意拳の真髄を得ることはなく、意拳の恩恵を受けることもない。

二.林老師は言われた。「気足神全」、これは王薌齋先生が意拳の健身に対する深い洞察である。つまり、人の体の「気」が充足すると、精神が健康で安定し、精力が溢れる。「気」は中医学の用語で、現代の意味では「エネルギー」と理解できる。意拳を練習することは、エネルギー、つまり「気」を蓄積する過程である。

三.林老師は言われた。拳を習い、功を練るには、「明師」、「大師」だけでは足りない。「師自然」、「師造化」であり、大自然、宇宙から拳の道理を理解する必要がある。例えば、海水が岸辺の岩に絶え間なく打ち寄せる様子は、勢いが荒々しく、能量が尽きることがない。拳を練るときには、大海が海岸を洗い流す感覚があり、この自然現象から拳理を探す必要がある。