意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

『林肇侖談拳録』(5)

一.意拳において、最も重要で基本的な樁法は混元樁と伏虎樁である。これら二つの樁法で多くの功夫を積むことで、成果を得ることができる。

二.最も重要な試力は扶按球試力と烏龍巻臂試力であり、技撃応用の中で最も自然で広く使われる。

三.站樁と試力は、動作が正しい場所に達することによってのみ、効果を生み出し、功力を強化できる。動作が正しい場所に達するとは、正確な感覚と姿態を見つけることを意味する。動作が正しい場所に達しなければ、訓練時間を完了することを目標としても、効果はわずかである。

四.意拳は技撃だけではなく、意拳の拳理は養生、益智、医療、体育、芸術など、生活と仕事のさまざまな分野に応用でき、巨大な効果をもたらすことができる。広い応用空間と展望があり、現代人はまだ十分に認識し開発していない! 薌老は「技撃は末技に過ぎない!」と言われた。

五.意拳の訓練を受けた選手は競技場で、小さいものが大きいものに勝ち、弱いものが強いものに勝ち、軽いものが重いものに勝つことができる。意拳は人体の自然力、本能力を開発し、現代の体育訓練は人体の筋肉繊維の収縮の機械力を訓練している。その理論基盤は異なり、この点で意拳は「反科学」のように見える! その理由は現代科学がまだそれを完全に研究していないからである!

六.意拳で人を撃つ際のエネルギーには、人体の生体電気のエネルギーや全身筋肉の収縮の力、あるいは他の本能力の作用があるかもしれない。これは意拳が研究すべき内容である。

七.意拳を学び始める最初の日から、この世を去るその日まで、站樁を行うべきである。站樁は拳学生命の支柱である。

八.推手は二人の試力であり、両方が実質的に中線の運動を行っている。推手の鍵は、相手の中線を探し出し、同時に相手に自分の中線を見つけられないようにすることである。

九.拳を学ぶ鍵は、師から先人の拳学の原則と原理を学ぶことであり、単に師の動作を模倣するのではない。師の拳の感覚を見つけ、できるだけ神を似せることを目指すべきであり、絶対に外形や貌似だけを模倣してはならない。