意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

姚宗勲先生の著書『站樁功的「意念活動」』

古来より先人達は「站椿」功に類似する多くの養生法を伝えており、例えば「独立守神、肌肉若一」、「以形為体、以意為用、以静為和」、「勢以意変、形簡単意繁」等と言われたものが有った。その中の「守神」、「以意為用」と「勢以意変勢」は皆、意念活動の重要性を強調している。

「意念活動」と言うと、人々は気功で言うところの「意守丹田」を連想してしまう。しかし実際には、「意念活動」と「意守丹田」は根本的に別物である。「意守丹田」は気功を練習する人の要求であり、自分の体内の「丹田」部位(臍下の下腹部)に固定した意識を集中すること で、よく言う「守窍」のことである。そして「站椿」功の「意念活動」の要求は、練習者が自分の意念を大自然界のある種の状況、例えば穏やかな海や、夜の星空等を連想することに集中させることである。ゆえに「站椿」功の「意念活動」とは、気功の「意守丹田」とは完全に異なるものである。同時に、「站椿」功は「意念活動」を合わせた結果、練習者の快適感を増加するのみであって、いかなる副作用を生むことはあ りえない。

初めて「站椿」を学ぶ慢性患者にとって、「意念活動」は「情緒の安定、雑念の排除、筋肉の放松」の作用がある。一般の患者は疾病の影響を受けるため、「站椿」の訓練を始める時、精神と筋肉はとりわけ緊張し、気持ちを落ち着けることができない。このような時、稽古者に対し、もしただ単に「放松」に注意するよう伝えるだけなら、それはあまりに抽象的すぎて全く理解することができないであろう。しかしもし「意念活動」を配合して彼らに放松させようとすれば、それは具体的で効果がある。かつて、ある患者がおり、彼は自分で熱心に練功を重ねてきたが、常に心地よさを感じることができず、練功後には体全体が不快に感じられることもあった。ある時、彼は私たちの指導を求めて訪れた。彼の練功の様子を見た後、私たちは彼の精神と筋肉が非常に緊張していることを指摘したが、彼はすでに自分は放松していると感じていた。後に、私たちは彼に正しい姿勢をとらせ、「意念活動」を通して彼を指導し、自分が温かい水の中で入浴し、体全体を放松させ、水と共に漂うことを想像させた。が練功終了した後、彼は本当に放松したと感じ、温水の浴槽でのような快適さを得ることができた。場合によっては、患者が胸や腹部に緊張感を感じることがあり、「背中や臀部が物に接触している」という意念や「離れているようで離れていない」という意念を持たせることがある。腰や背中に緊張感を感じる人は、「胸や腹部が物に触れる」意念を、両腕が緊張している人は、両手が水中の浮き球に触れていることを想像するように指導するなど。「意念活動」は、練功者を放松させるだけでなく、体を強化する効果も向上させる。なぜなら、「意念活動」は神経系に対して正の影響を与え、大脳皮質の保護的な抑制を引き起こし、疾患の影響により生じる興奮を抑え、次第に大脳細胞の機能を調整、回復させることができるからである。その結果、多くの患者は訓練後、頭がはっきりとし、精神が爽快になり、記憶力が向上し、食欲が増し、眠りが深くなるといった良好な感じを持つことができる。高血圧の症状に対して、伝統的な中国医学は「陰陽の平衡が崩れ、血と気が上に向かって移動する」と考えている。練功中に全身の血液を下へと導く「意念活動」と組み合わせることで、良好な効果が得られる。これは、「站樁功」の「意念活動」と姿勢が良好に連動していることを示している。

「站樁」功の練習において、単純に姿勢や運動量の大小だけで「養生」であるか「技撃」であるかを区別することは、正確ではない。例えば、体質が良好な神経衰弱の患者は、大きな負担の姿勢で練習を行うことができるが、体質が弱い患者は、手をへその下の低い位置に置いただけで、支えるのが難しいと感じることがある。運動量で区別する場合、運動量の大きいものを「技撃」樁とし、小さいものを「養生」樁とするのは、患者の実情を考慮していない基準であり、患者には適切な姿勢の選択が難しくなる。したがって、私たちは「站樁」功の形式を確定する際には、「意念活動」を基準とし、その後姿勢を評価するべきだと考える。例えば、『站樁功的練法』の記事で紹介されている「拧裹推托」の一式は、形式的に「拧裹推托」の要件を満たす場合、技撃部分の四肢功の鍛錬法となるが、この姿勢は一般的に初心者には適していない。しかし、同じ姿勢で、「拧裹推托」を強調せず、練習者に「暖風吹拂」の「意念活動」を組み合わせることで、自分が明るい太陽の下、暖かい風が体を撫でる草原に立っていると感じさせ、全身の毛孔が開いていると感じるようにすると、練習者は非常に楽に感じることができる。それは「拧裹推托」のような緊張感とは異なる。ある体質の良い患者は、この姿勢を採用することができる。このように、「站樁」功の形式を確定する際、「意念活動」は非常に重要である。同時に、それは「站樁」功の運動量の大小とも関連している。

「站樁」功の各段階から具体的な姿勢まで、特定の状況を除き、「意念活動」から離れてはならず、そうでなければ単なる肢体の鍛錬になり、効果が低下する恐れがある。