意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

趙道新先生の著書『道新拳論:拳術意念』

拳術訓練と実戦中、しばしば誤った傾向を見る。すなわち操拳者の技術動作はすでに相当熟練しているが、精神は渙散し、動作は脱節し、肌肉は制約される。敵情観念の薄弱、「見た目の良い」招式を売り込むのを好み、良好な戦機を把握できず、連続性の攻撃を行い難いことに表れる。これらの運動の「病態」の根源は拳術中の意念の欠如である。

意念は決して神秘または超高級なものではなく、精神上ある明確な目的に達しようとして産生される一種の抽象的でありながら強烈な願望である。人体運動の総的な趨向である。もし両手があなたの頭部を水中に押さえれば、何が上向きの意念かを体験できるであろう。拳術意念は他の競技運動では進攻意識と称される。これは思維の活動ではなく、精神の欲望であり、一種の手段を選ばず、代価を惜しまずに敵を死地に置く欲望である。訓練中にこのような意念を具えなければ、ただ独自に主宰するところのない空洞動作をするのみであり、これは技術水準の向上を厳重に阻害する。交戦中にもし意念を失えば、非常に遺憾なことに実力が低い対手に敗れる可能性がある。

拳闘中の意念不足は神経に充分な興奮を得られず、注意力が貫注し難く、反応が遅鈍となり、感官が外界の刺激を接収してから肌肉が相応の収縮をするまで、または進攻の機会を発見してから進攻の動作を完成するまでに必要な時間が長くなる。また容易に留情、猶予、多慮などの現象を産生し、打撃速度、強度の欠如を導き、打撃無効または敵に乗じられる被動局面を造成する。

しかし意念が過分に強烈であれば、神経系統は反って抑制の状態に処し、同時に大脳の敏鋭な思維にも影響し、力度、速度、霊敏度を下降させる。このほか、鋒芒外露(訳注:優れたものが表にでないこと)、孤注一掷(訳注:一か八かの勝負に出ること)、疲労加速などの副作用を産生しやすい。

拳術中の意念の合理的運用は適中の意念強度を訓練または実戦の始終に貫くべきであり、客観的需要に基づいて有意無意の間で霊活に調整できるべきである。戦闘中、較技を角闘と捉え、生死を度外に置き、敵手を戦勝することを神聖な職責とする。しかし真にこの点に到達するのは容易なことではなく、自身と環境の高度な調和統一に達しなければならない。

拳術意念の向上は人々の性格と意志と緊密な関連がある。性情が剛健であっても、しかし無鉄砲であったり善良な者は長時間強烈な意念を保持し難い。実は性格は複雑であり、多くの人の性格は捉え難い。しかし拳術の鍛錬は人の性格を改善でき、懦弱を剛強に変え、愚鈍を聡明に化す。故に拳術意念の訓練は拳術心理訓練中の欠くことのできない組成部分である。