意拳浅談

意拳/大成拳を研究しています。翻訳は意訳です。

答疑(4)(『走進王薌齋』より)

問:大成拳の練習は先ず站樁ですが、いつ試力を練習すべきでしょうか?

答:大成拳の学習を站樁から始めるのは正しい。站樁の主な目的は静力を鍛錬することだ。静力とは動かない時に力があることで、自身の争力によって得られる力だ。站樁を練習しない人には静力がない。人体には百の関節があり、多くの部位があり、大きな面積がある。静力は一つの関節、一つの部位ずつ、点から面へと少しずつ鍛錬されていく。おおよそ静力が人体の各関節、各部位の半分ほどに現れた時に試力を練習できる。早すぎても意味がなく、王薌齋の言葉を借りれば「力がないのに何の力を試すのか」となる。遅すぎると進行を妨げる。試力とは動いている時に静力を現すことだ。動力と静力は合わせなければならず、いつでも合わせなければならない。動静の力が合えば、逆に站樁を助け、站樁時に静力があり、さらに動力もあり、動静の力がまた合わさる。樁を正しく立てず静力を認識できないことを専門用語で力がないという。力がない時に試力をするのは時間の無駄だ。だから、必ず站樁を通して静力とは何かを知り、力とは何かを理解してから試力をするべきだ。試力の中で動静の力が合えば、逆に站樁を促進し、樁の進歩をより速く、より強くする。

問:内清虚、外脱換とは何ですか?

答:内清虚、外脱換は西方インドの僧侶達摩の洗髄経と易筋経に由来する。南北朝時代に達摩が東来し、中国で洗髄経と易筋経を伝授した。洗髄経の洗髄が内清虚と呼ばれる。洗髄は主に気を練り、気を養い、内障を清めることで、非常に良い養生効果があるという。外脱換は易筋経の易筋で、易筋を通して筋を長く、縦に、順にする。易筋の法を通して人を力強くできるという。洗髄、易筋の法は養生と技撃が共存する難題を解決した。後にこの方法は中国武術家に利用され武術に融合され、非常に成熟した武文化として完成した。武術の練習ではこの方法を筋骨を鍛える、または功夫を練るといい、「洗髄易筋の法」とは呼ばないが、我々のこの練習方法は達摩の『洗髄経』と『易筋経』に由来し、後に多くの中国武術の大家は達摩を「老祖」と呼んだ。

洗髄経と易筋経は西方に由来するが、この学術は西方では発展せず、中国で、特に中国武術の中で輝かしい発展を遂げた。王薌齋先生が達摩の言葉「内清虚、外脱換」を引用するのは非常に正常で、彼自身が筋骨と功夫を鍛錬する継承者の一人であり、しかも非常に適切に、的確に運用していることから、彼が筋骨と功夫の鍛錬を完全に理解していることがわかる。

問:少林拳外家拳ですか?

答:少林拳外家拳ではない。明朝以前の武術は一派しかなく、それが少林拳だった。明末清初に中国で多くの拳派が現れたが、全て明朝の武術から発展したものだ。明朝の武術は公開で伝承され、誰もが同じように、誰が教えても同じで、新しいものではなく、站樁と慢練だった。清朝になると、武術は密かに伝えられるようになり、民間伝承に入り、あらゆる面で保障が得られなくなり、多くの派別が生まれた。中国の各派武術は全て少林拳から変化したもので、もし少林拳外家拳なら、中国に内家拳はあり得ないだろう。練習者が少林拳外家拳として練習するのは別の話だ。少林拳自体は外家拳ではなく、どんな拳でも練習が良くなければ外家拳で、良く練習できれば全て内家拳だ。何の拳であれ、その根源は一つの流れ、それが少林拳だ。天下の武術は少林から出たというのは、先人から伝わる言葉だ。大成拳も練習が良くなければ外家拳になる。

問:「持環得中、以応無窮」とは何でしょうか?

答:「持環」の意味は四方八方に意識があるということで、環は円の意味だ。最も理解が難しいのは「得中」だ。得中とは「力を得る」ことを指し、「力が中上にある」「力が中間にある」ということだ。斉執度先生は力が十字路にあると言い、これも形象的だ。站樁ができる人にとって「力が中上にある」の理解は難しくない。なぜなら樁を一定程度立てると力は中間に来るからだ。站樁をこの程度まで立てると、自然と「力が中上にある」とはどういうことかわかるようになる。得中の力が静力だ。静力の力はまさに中上にある。静力はまず站樁で認識し、得られ、そして小さいものから大きいものへと変わる。静力は筋骨力で、筋骨を鍛錬する人だけが静力を得られる。筋骨力の発力は自分で争うことで完成され、自持力の出現は人体が動かない中で完成される。動かない中の力が筋骨力で、静力だ。力が中上にあってこそ横力と竪力の平衡が取れ、敵が竪力を使えば横力を使い、敵が力を使えば竪力を使い、敵に先んじることができる。この程度に達してこそ、複雑な技撃の中で横力と竪力の平衡を見出し、「以応無穷」することができる。他のスポーツの力は振り回すことに頼り、動作の幅で完成される。例えば、力がすでに中上にあり、左に力を発しようとすると、動作で左に一尺振り回す必要があり、このとき力はすでに中位から外れている。もし再び中央に力を発しようとすると、また右に一尺振り回す必要があり、往復で二尺になる。つまり中位から左右各一尺、合計二尺ずれることになる。

得中の力とはどういう意味か? 左に発力しようとする時、何の動作もせずに、自身の関節を一つ争うだけで、左に向かって発力することができる。この時、彼は動いておらず力はまだ中上にある。右に発力する時も同様だ。どの方向に発力しても、動作はなく、身体は動かず永遠に中位にあり、永遠に中を失わない。技撃がどんなに複雑でも、力は二つしかなく、それは横力と竪力だ。横力と竪力をうまく処理さえすれば、複雑な技撃の中で永遠に中を失わず、これを持環得中、以応無穷という。

技撃の中で持環得中、以応無窮を実現するには、もう一つ必須条件がある。それは搭手だ。技撃時には必ず搭手の形式で完成させなければ、持環得中、以応無窮を実現できない。「持環得中、以応無窮」という一句は、大成拳の站樁、試力、搭手の全訓練過程に関わっている。大成拳には完全で科学的な訓練体系があり、よく練習した人、功夫のある人だけが技撃の中で「持環得中、以応無窮」を実現でき、このような境地に達してこそ、中国五千年の武文化を体現できる。

問:なぜ技撃は「拳の末技」と言われるのでしょうか?

答:この言葉を言った人は必ず武術を徹底的に研究し、一つの国家、一つの民族、一つの社会の角度から問題を見て、このような結論に達したのだろう。この言葉を説明するのは実際とても難しい。なぜなら、これは中国武術の発展史と武術の訓練内容に関わるからだ。この二つの面について十分な理解があれば、この言葉を理解するのは難しくない。

まず武術発展史から見ると、人類が存在して以来武術はあったが、当時の武術は絶対に技撃を主な目的としていた。当時の社会では、誰の技撃水準が高いかが、富と権力の象徴だった。かなり長い期間、一つの国家、一つの民族、一つの部族は全て武術を現在の国防力に相当するものとして発展させ、あらゆる物資と人力を惜しまなかった。科学、政治及び他の学科の出現に伴い、後に武術は戦争における役割が徐々に小さくなった。例えば宋朝では、岳飛の軍隊は全て中国武術を練習し、戦争でも連戦連勝したが、当時「山を動かすは易しいが、岳家軍を動かすは難しい」と言われた。しかし最後には皇帝が捕らえられ、局部的な戦争には勝ったが、全体の戦争には負けた。その時から、戦争に勝つのは武術ではなく、武術以外のものだということがわかる。清朝に至っては、武術は完全に民間に追いやられ、民間でしか伝承できなくなった。

訓練内容から見ると、非常に早い時期から、武術は一つの国家の国防軍事力に相当するものだったため、必然的に重視され、投入される人力、物力は絶対に大きく、発展も速かった。「一拳一腿一刀一槍」から「禽獣の長を借りる」まで、さらに達磨の洗髄易筋之法に至るまで、それは非常に高い水準に達し、その訓練内容は既に単純な筋肉の練習から人体深層の筋骨鍛錬へと転換していた。

中国武術の筋骨鍛錬法は養生と技撃の両面で想像を超える神奇な効果がある。古今東西の技撃術は養生できず、病気を治せない。養生術は技撃できない。中国武術は養生と技撃を兼ね備えることができる。この点だけでも、哲理的に言えば必ず深い道理があるはずだが、この道理は今日まで科学では説明できない。一旦科学で説明できるようになれば、必ず科学、医学、経済に大きな推進力となり、恩恵を受けるのは全人類だろう。

当初、王薌齋先生が功夫を練習したのも技撃家になるためではなかった。彼は幼い頃から喘息を患っており、病気を治し身体を養うために功夫を練習したのだが、結果的に武術の大家になった。王薌齋先生は民国初期に多くの人を教えたが、その多くは中国の大政治家、大軍事家、大軍閥、大芸術家だった。これらの人々が拳を練習したのは技撃のためだろうか? 大総統に技撃が必要だろうか? 軍隊の総司令に技撃が必要だろうか? しかし彼らはなぜ拳を練習し、筋骨を鍛えたのか?それは技撃以外のものを必要としたからだ。これらのものは技撃よりもさらに重要なのだ。

中国古代では、武人だけが功夫を練習したわけではなく、文人も士大夫も功夫を練習した。功夫は非常に高雅な文化で、中国で非常に高い地位を享受していた。明代に至ると、功夫は中国でかなり普及し、素質の低い一部の人々が功夫を練習して技撃を大技とし、至る所で勇を誇り力を争うようになり、中国功夫の地位が少し低下した。文人士大夫は徐々に武壇から退くようになった。清朝に至っては、中国功夫を民間に押しやり、それ以来中国功夫の筋骨鍛錬法は失伝し始め、世代を追うごとに劣化していった。

中国武術の筋骨鍛錬法は、その機能から言えば、あらゆる人々に適している。強者は練習を通してさらに強くなり、老弱病残者は練習を通して強くなれる。つまり、誰でも拳を練習できる。それは運動の休息であり、また休息の運動でもある。体力労働者が筋骨を練習すれば休息の目的を達成でき、頭脳労働者が筋骨を練習すれば運動の目的を果たせる。どんな人でも、筋骨の練習を通して人の生理を改造し、五臓六腑を正常に働かせ、人体を健康にできる。逆に、健康な身体は人の心理に作用し、人を聡明で精神的にさせる。さらに逆に、良好な心理状態は生理に作用し、人の身体をより健康にし、人を良性循環に入らせ、より良く生活し、仕事ができるようにする。

中国人がこの土地で生存できたのは、中国武術が軽視できない役割を果たしたからだ。それは自衛、健康、病気予防などの面で巨大な役割を果たし、その役割は医薬では代替できないものだ。技撃を好む者は広大な人々に比べれば一部に過ぎず、大多数の人が最も必要としているのはやはり養生だ。中国武術の筋骨鍛錬法は全方位的に発展してこそ、人類に巨大な貢献ができるのだ。

中国の武術家の中には養生のために武術を習練する者もいれば、技撃のためだけの者もいる。目的が何であれ、ある程度まで練習すると皆が共通の見解を持つようになる。それが「技撃は拳の末技なり」ということだ。

問:なぜある人々は長年拳を練習しても拳譜を理解できないのでしょうか?

答:実は理由は非常に単純だ。過去に拳譜を書いた人は一般的に武術の大家だった。練習を理解していない人は拳譜を書く勇気がなく、書くのも恥ずかしいと感じていた。一般的に言えば、武術の大家は皆功夫を練習し、筋骨を鍛えていた。彼らが書いたのも筋骨を鍛える際の体験と効果だった。現代の人々は一般的に肌肉を鍛えているが、肌肉と筋骨の感覚は全く異なる。だから、筋骨を鍛えた人が書いた拳譜をどうして理解できるだろうか?

筋骨を鍛えて得られるのは静力と動力の合力だ。肌肉を鍛えると動力は得られても静力は得られない。これは人の生理が決定しているのだ。力が異なれば、力の使い方と法則も異なる。筋骨力を使う方法は全て外形が動かないか、外形の制御を受けない状況で運行する。現代の人々はこの種の力の使い方を特定の動作に付加しようとするが、これではどうして合うだろうか?

現代の人々も拳譜を書くが、皆理解できる。しかしそれでは、古い拳譜と合わない。肌肉を鍛える人は肌肉を鍛える人が書いた拳譜は理解できるが、筋骨を鍛える人が書いた拳譜は理解できない。筋骨を鍛える人は筋骨を鍛える人が書いた拳譜も、肌肉を鍛える人が書いた拳譜も理解できる。肌肉を鍛えるのは比較的単純で直接的で、皆よく見かけ、よく聞き、宣伝も多いので、自然と理解しやすい。筋骨を鍛えるのは違う。一般的に理解しづらいが、実は筋骨を鍛えることこそが中国の武文化なのだ。

李栄玉『走進王薌齋』大展出版社有限公司より